第2話

「どういうことなの、よしのん?」


「いや……僕にもよくわからないんだけど、アニキがここに来いって……」


 僕とお宮さんは、アニキの指定した場所――枝楠マネージャーの住むマンション前に佇んでいる。

 アニキは僕への連絡だけでなく、お宮さんにもここに来るよう電話したらしい。

 僕らはお互い、事情を聞かされていないので、アニキがどうしてここへ来てほしいと言ったのかは不明のままだ。


「ふうん? で、その当人であるキム兄はいったいどちらへ?」


「なんか準備があるらしいよ。で、その間、しばらくここの見張りを頼むって」


「見張り? 誰を?」


「さあ……でも、ここで見張る人物っていえば、枝楠マネージャーくらい、かな」


 前に調べた限りでは、このマンションは出入り口が一つで、見張るのに人数はあまり必要ない。それは少人数で動く僕たちにとって好都合なことだった。

 で、肝心の見張る対象と思しき枝楠マネージャーの姿は、未だ見ていない。

 現在午後五時。勤め人が帰宅するには少々早い時間帯ではある。

 尾行していたときと同じなら、枝楠が帰ってくるのはもう少し後になるのではないか。

 そんなことをぼんやりと考えていたら。それまで黙っていたお宮さんがパン、と柏手を打った音を聞いて、僕は驚いてそちらを見る。


「ははあ、わかったよ……さてはキム兄、告白でもするつもりなんじゃない?」


「告白って、いったい誰に?」


 訊いておきながらなんだけど、この場合、告白するなら相手は一人しかいないだろう。

 枝楠マネージャー……ではなく、お宮さんだ。

 アニキってお宮さんのことを好いているんだっけか。一度もそんな話を聞いたことないけど、まあ違和感のない状況だ。

 ……いや、ちょっと待てよ。

 もしもそうなのだとしたら、僕は何のために呼ばれたんだろう。告白の見届け人か?

 しかし、あの漢気溢れるアニキが、そんな行動をとるだろうか?


「それはもちろん、よしのんだよ」


 爽やかな笑顔で、お宮さんは僕の肩をそっと叩いた。さも当然、と言わんばかりに。


「いっ、いやいやいやっ! どうしてそういう結論に? 普通に考えたら――」


「うん、普通に考えてよしのん以外、ありえないよね」


 僕の言葉を引き継ぐようなタイミングで、お宮さんは腐女子っぷりを炸裂させる。


「ちょっ、お宮さんってば! 違うって!」


「違う? そうかなあ、私の中では『よしのん×キム兄』のカプは鉄板なんだけど。『キム兄×よしのん』だと、ちょっとイメージ崩れるなあ」


「お宮さん、そういう意味じゃなくって!」


「え、じゃあさ、よしのんはキム兄のこと嫌いなの?」


「そっ、それはもちろん、好き……だけど」


「ほらあ、やっぱり! 相思相愛なんていいなあ。うらやましい……」


「好きっていってもあれだよ、尊敬しているって意味であって、決して色恋のそれでは」


「アレが好きなんて……よしのんてば、もうっ、このこのっ!」


「…………」


 そういうことは、妄想に留めてほしい。

 お宮さんから肘でつつかれて、僕はそっと溜め息を吐いた。

 大体、僕がここに来た最大の理由は、白峰さんの行方を知りたいがためである。

 アニキが信じてくれと言うものだから、素直に頷いてここへ来たけど……。

 いったい、アニキは何を考えて僕とお宮さんを呼び寄せたのか。

 枝楠マネージャーが、白峰さんの居場所を知っているとでも言うのだろうか?

 通常ならばそうに違いない。学校にも家にもいないとなると、残るは自然と、仕事ということになる。改めて言うのも気が引けるけど、白峰さんには友達もいないわけだし。

 仕事だったら、事務所のマネージャーたる枝楠が彼女の居場所を把握しているはず。

 でも、今は通常とは異なる事態だ。

 白峰さんが誘拐されていると思しき画像が、僕の脳裏に蘇る。

 アニキには申し訳ないけど、ここで枝楠の帰りを待っていることが、白峰さんの無事を確かめるのに有効な手段とは思えない。

 今のところ、もっとも有効な方法は、アマデウスの人智を越えた能力だけ。こんなオカルティックなことに頼るなんて、どうかしているとは思う。けれど、僕には他に選択できる手段など思い付かない。


「お宮さん、ごめん。……僕、帰るよ」


 お宮さんの横を通り抜けようとしたそのとき、ぐい、と腕を強く掴まれてしまった。


「えっ、ちょっと、よしのん! キム兄のこと、待っていなくいいの?」


「うん、今は他のことを考えられないっていうか……白峰さんのことが、心配だから」


 そう告げると、僕の腕を握るお宮さんの力が、ふっと緩んだ。


「……ごめん、よしのん。私、よしのんが落ち込んでいると思って、それで……何か元気の出る方法がないかなあって……」


 振り向くと、お宮さんは目にうっすらと涙をためていた。

 口元をへの字に結び、一生懸命に涙を流すまいとこらえているように見えた。


「ど、どうして泣いてるの、お宮さん?」


 驚いて尋ねると、お宮さんはハッとして、それからゴシゴシと目元をこする。


「なっ、泣いてなんかいないけどさ……ひっぐ……だって、よしのん、すっごく辛そうにしてるんだもん……」


 途中、しゃくりあげながらも、お宮さんは真っ赤な瞳をまっすぐに僕へと向ける。


「……ご、ごめん……」


 僕はなんと言えばいいのかわからず、ただ一言、そう口にした。

 僕とアニキの仲をくつけようとしているのかと思っていたけど、彼女の目的はそれではなかったようだ。

 落ち込んでいる僕を励まそうと、いつもにも増してBL話を色濃くしていたのだ。

 やり方や内容はともかく、それに気付かずに僕ってやつは……。

 僕は自分のアホさ加減に呆れると同時に、白峰さんの優しさがいかに尊く、それを他者に向けるのがいかに難しいのかを、身をもって知った。


「ううん……私こそ、空気を読めなくって……ひっぐ……ごめん……」


「いや、お宮さんは悪くない。だってお宮さん、僕を励ましてくれようとしたんでしょ?」


「……ひっぐ……う、うん……まあ……」


 鼻水まで垂らして、お宮さんはその整った顔を台無しにしていた。

 目元は赤く、この期に及んでまだ泣いていないと思っていそうな、くしゃくしゃな顔。

 けれど僕は、お宮さんの今の顔を見て、胸の奥に熱いものがたぎる感覚がした。

 今なら、胸を張って言えそうな気がする。お宮さんは僕の友達だ、と。もちろん、アニキもだ。


「それでわざと、アニキとくっつけようとしていた、と」


「ううん、それは本当……ひっぐ……常日頃から、キム兄とよしのんがくっつけばいいのにって思ってる……」


「…………そ、そう」


 正直だな、お宮さんは。

 後日、この件が済み次第、お宮さんには「僕は女の子が好きだ」と厳重に言い含めておくべきだな。


「ま、まあでもさ、励ましてくれたのは本当だし、僕としてもおかげで元気が出たっていうか――」


 お宮さんの肩に手を置いて、僕がお礼の言葉を言い掛けたその瞬間。

 ――シュンッ!

 僕の鼻先を、猛スピードで何かが通過する。空気を裂いて、それは辺りに鋭い音を響かせた。

 ――シュンッ! シュンッ!

 間髪を入れず、またしても僕の側を通り過ぎる複数の音。


「うおぉっ、あぶなっ!」


「えっ、なっ、なんなのっ?」


 お宮さんも僕も、頭を庇って中腰姿勢になっていた。


「よしのんっ、あれ、矢だよきっと!」


「矢って……え、矢?」


 お宮さんが指さす方向に、それは確かにあった。

 地面に転がっている幾本もの矢。少し遠目ではあるものの、その先端部分が尖っているのははっきりとわかった。どうやらおもちゃではないらしい。

 方向から推測すると、この矢を放っている犯人がいるのは、件のマンションの入り口付近のどこかだろう。

 しかしここからではマンション入り口に植えられている木が邪魔で犯人の姿が見えない。


「おいっ、やめろっ! どこの誰かは知らないけど、そんなもの、人に向けて打ったら危ないだろうがっ!」


 僕はマンション入り口に向かって、この矢を放った犯人に大声を上げた。


「……チッ」


 聞こえよがしな舌打ちの後、タタタタッと走り去る音がした。

 マンションの隣にある駐車場へと、その足音は向かっていったようだ。


「……とりあえずは止めてくれた、のかな」


 ふっと溜め息が漏れ出る。僕の上げた大声が功を奏したのだろうか、それ以上、矢は飛んでこない。


「ね、よしのん。これってたぶん、クロスボウだよ。ほら」


 いつの間にか、お宮さんは矢を手にしていた。僕がマンションに目を向けて様子を伺っているときにとってきたようだ。


「クロスボウって……あの、狩猟とかで使うアレのこと? 西洋の弓っていうか」


「……たぶん。威力といい、精度といい、おそらく間違いないよ」


 神妙な面もちで、お宮さんは矢を見つめたまま応える。


「そんな物騒なもの、もしも人に当たったら……」


「まあ、ただの怪我じゃ済まないだろうね。当たりどころにもよるけど」


 なんと恐ろしい。今の今まで、僕らはその「当たればただじゃ済まない」武器に狙われる獲物の立場だったのだ。いたずらにしては度が過ぎる行為である。


「よしのんさ、何か心当たりとかあったりする?」


「あるわけないでしょ。クロスボウで狙われても仕方ないことなんて」


「だよね。いくら大抵の家に一つはあるくらいに普及してきたとはいえ、クロスボウで人を狙うなんて」


「……クロスボウって普通、一家に一台もあるもの?」


「え、よしのんちにはないの? うちにはあるよ?」


「ふ、普通は持ってない……と、思うけど……」


 口ではそう言いつつ、僕はあることを思い出していた。僕の部屋の窓を砕いた、あの拳大の石のことを。

 状況から、矢を放った人物と投石犯は、おそらく同一犯に違いない。

 とすると、僕らは今、真相に近づいているということか?

 追いつめられているからこそ、犯人は人に向けて矢を放つという暴挙に出たのではないだろうか。

 そう考えると、自ずと犯人像は絞られてくる。僕と白峰さんが知り合いであることを知っていて、且つ、それを望ましく思っていない人。

 そしてこの場所に僕が現れては困る人物。たとえば、この場所に住む――


「ひょっとして、私とえぐっちゃんくらいなのかなあ……」


「……い、いきなりなんの話?」


 枝楠マネージャーを思い浮かべていたら、お宮さんが唐突に、その妹の名を口にした。


「何って、クロスボウだよ。この武器を家に備えているお宅は、私が思うほどは多くないのかなって話」


 がっくりと肩を落として、残念そうな顔のお宮さん。

 よほど思い入れでもあるのだろうか。それとも、自分の家の常識が、他人のそれと一致していない事実にショックを受けているのか。

 よそのお宅事情に口を挟むつもりなどないけど、お宮さん――宮野家の普通は、世間の常識とちょっぴり齟齬があるようだ。

 お宮さんが中学時代に仲のよかった相棒、えぐっちゃんにも同じことが言える。


「まあ、僕の周囲ではお宮さんくらいだと思うよ。その、えぐっちゃんって人も相当変わって……ん? ちょっと待てよ……」


「どしたの、よしのん?」


「いや、ふと思ったんだけどさ、えぐっちゃんの家にクロスボウがあるなら、当然、それを兄である枝楠マネージャーも知っているんだよね」


「知っているどころか、結構な使い手だったと思う」


「つ、使い手?」


「うん。前、えぐっちゃんと遊んでいたときに、お兄ちゃんも一緒だったことがあって。そのとき、いろいろと技を見せてもらったんだよ。たとえば、矢の代わりに石を飛ばす、とか。あれって結構難しいんだよね、簡単そうに見えて」


「石……」


「飛ばすだけならともかく、矢でも石でも、正確に的を射るのは相当な腕が必要なんだよ」


 クロスボウを使いこなせて、その上、その武器で石も飛ばすことのできる枝楠。

 これはもう、疑わしいというレベルじゃない。枝楠は、紛れもなく投石犯人である。


「お宮さん、言いにくいことなんだけど……僕はもしかしたら、お宮さんの友達のお兄ちゃんを――」


 警察に売ることになるかもしれない。そう言い掛けたときだった。

 マンションの駐車場に、一台の黒いバンが入っていく。


「よしのん、あれって白峰さんの……」


 僕の脳裏に焼き付いて離れない、白峰さんの誘拐画像。

 白峰さんが連れ込まれた黒いバンと、まったく同じタイプの車。

 その車が、このマンションの駐車場に入っていったということは誘拐犯人は一人ではなく、二人以上いるのかもしれない。

 先ほどクロスボウで僕らに矢を放った人間と、移送のための運転手。片方は枝楠マネージャーだろう。もう一人いるとは思わなかった。

 けれど、相手が何人いようとも、僕のとるべき行動は変わらない。


「僕、ちょっと行ってくるよ。お宮さんはここで待ってて」


「えっ、でも、もうちょっと待てば、キム兄だって到着するよ? それからでも――」


 背中にお宮さんの声を聞きながら、僕はもう、黒いバンを追ってすでに歩き出していた。

 アニキを待っていた方が、もちろん心強い。

 でもこれはやはり、僕の問題だ。神さま捜しなら手伝ってもらいたいけど、この件だけは、僕の手でなんとかしなくちゃいけない。

 とらわれの身である彼女――白峰夢乃さんを守るのは、友達である僕がやらなくちゃ。

 僕は拳を握りしめ、己に巣くう弱さを振り払うように、足音をアスファルトに響かせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る