第四章
第1話
頬に衝撃を受けて目を覚ます。重い瞼をこじ開けると、そこにアマデウスの顔があった。
「ミノル、メシクレ。モウ、オヒル」
僕はいつものように全裸待機のおっさんを払いのけると、起きあがってスマホを手に取る。
「……昨晩も連絡はなかった、か」
着信もメールもSNSも、昨日寝しなに確認したときと同じ状態だ。
思わず、深い溜め息が口から漏れ出る。白峰さんと連絡が取れなくなってから、今日でもう三日目。
あの画像――白峰さんが誘拐されたと思しき画像――を見た僕は、すぐさま白峰さんに連絡を試みた。
しかし幾度電話してもメールしても一向に返信がなく、これはもしや本当に誘拐ではないだろうかとの疑いが、僕の中で強まっていた。
いや、僕だけでなく、その場にいたお宮さんもアニキも、同様の反応を見せた。
手を引かれ、車に乗せられている画像。ここ数日、白峰さんと連絡が取れない事実。
この二つの要因が、おのずと「白峰さんの誘拐」という推論に僕らを導く。
そこで、僕が最初にとった行動は、事務所にコンタクトをとることだった。
住処のわかっている枝楠マネージャーに会いに行って訊いてみたところ、「無関係の人間に白峰のスケジュールを教えるわけにはいかない」と、けんもほろろに断られてしまった。食い下がろうとはしたけど、「警察を呼ぶ」と脅されて、それ以上踏み込んで尋ねることもできなかった。
枝楠マネージャーは鉄面皮を崩さず、表情から悲壮な色は窺えなかったので、この時点(誘拐と思しき画像を見た日の夜)にはまだ彼は何も知らなかった可能性もある。これに関してはなんとも言えない。
妙なのは、白峰さんが行方不明であるのにもかかわらず、ニュース等のメディアで報道されていないことだ。
お宮さんの見解では「誘拐事件ってギリギリまで情報公開しないんじゃないかな」とのことで、僕も彼女の意見に同意した。うかつに報道してしまえば、被害者を危険にさらすことになるからである。
同じ理由から、警察と白峰さんのお宅に伺うのは自重した。
もしも犯人が周辺を観察していた場合、こちらの動きを察知して白峰さんに何かをしでかすこともあるからだ。
とはいえ、ここで諦める僕じゃない。
ファンとしても男としても、見過ごせる案件ではない。当然、人としても。
白峰さんが連絡を取れない状況に置かれているなら、僕が助けにいかなくては。
彼女の、一人の友人として――
「ミノル、メシクレ。オレ、ハラガヘッタ」
思考を中断したのは、全裸おっさんの昼飯催促だった。
払いのけた後も、アマデウスはそれを気にする素振りも見せず、繰り返しご飯の要求ばかりしてくる。
「おまえはちょっと黙ってろ。ったく、本当は流暢に人の言葉を話せるんだから、その口調、どうにかならないのか?」
「了解した。では改めて飯の用意を頼む」
「……前言撤回。普段のままでいい。普通に話せ」
「ミノル、ハヤクシタクシロ」
声色が変化しただけで、内容はまったく変わっていない。
「おまえ、僕をおちょくっているのか? 僕は今、重要な考え事をしているんだから、こんなことでイライラさせないでくれよ」
今日も白峰さんの行方を追うためにしなくちゃいけないことがあるっていうのに、全裸おっさんと遊んでなんかいられるか。
「ミノル、シラミネ、サガシテル」
「どっ、どうしてそれを?」
アマデウスの口から白峰さんの名前が唐突に出てきたので、僕は驚いた。
白峰さんの一件、僕は話す必要もないと思い、この全裸おっさんには何も聞かせていない。
「ミノル、イツモ、シラミネヲカンガエテル」
「そ、そう改めて言われると……。まあ、合ってるけど」
「オレ、ワカル。シラミネ、ワカル」
「ほっ、本当かっ? 白峰さん、今、どど、どこにいる?」
僕は期待を込め、藁にもすがる思いで、目の前で局部を露出するおっさんに尋ねた。
するとおっさんは、その汚い尻をこちらに向け、何やら押し入れの中に上半身を突っ込んだ。
「なんか前にも見た光景だな、これ」
気分が悪い。おっさんの汚い尻なんて、見たくもない。
「ホラ、シラミネ、アル」
定位置の押し入れから戻ってきたおっさんの両手には、溢れんばかりの縞パンが。
「……おい、まさかおまえ、このパンツを白峰さんだと思って……?」
「コレ、シラミネ。キホンソウビ。ミノル、ダイコウブツ」
頻りに頷く全裸おっさんを見て、僕は頭を抱える。
何を勘違いしているんだ、アマデウス。これは女性用下着であって、彼女の名前じゃない。
そりゃ白峰さんが身に付けていたのもこういった縞パンだろうけど――
「ん、ちょっと待て。アマデウス、どうしてこの縞パンが僕の大好物だって知って――じゃない、わかるんだ。僕は一言もそんなこと言ってないぞ」
「カオ、カイテアル。イワナクテモ、ツタワル」
「……そ、そんなわけあるか」
とツッコミを入れつつ、内心、ドキリとしていた。
顔にそんなこと書いてあったとしたら、これから大手を振って外を歩けない。『僕は縞パンが大好物です』って書いてある顔ってどんな顔だよ。あまつさえその面を白峰さんに向けていたとしたら、変態野郎じゃないか。
「ホントウ。オレニハミノル、ワカル」
「う、嘘吐けよ、パンツと白峰さんを間違えていたくせに。じゃあ、今、僕が何を欲しているのか、それも顔に書いてあるってのか?」
売り言葉に買い言葉というやつで、僕はついアマデウスにそんなことを言ってしまう。
当然、全裸おっさんに、白峰さんの行方を尋ねたわけじゃない。
彼女と連絡が取れない不安を、全裸おっさんへの攻撃に変えただけ。
自分の弱さが、そういう形となって現れてしまっただけだ。
だから、この人智を超越した存在が白峰さんの居場所を突き止めてくれるのではないかとの期待よりも、一匹の猫(僕には人間のおっさんだけど)に対する申し訳なさが強かった。
「あ……いや、その、だな……。アマデウス、僕は……」
素直に謝ればいいものを、僕の口は中々思うように動いてくれない。
「つまり、その……」
「トム・ダーティ」
「なんと言ったものか……って、トム?」
「ミノル、ユクエフメイノトム・ダーティ、サガシテル」
僕がぽかんと口を開けて、アホ面をさらしていると、アマデウスは押し入れからポスターを持ってきた。
「おい、それ《巫女》の初回特典でもらったポスターじゃないか」
それを広げ、艶やかな衣装に身を包んだ白峰さんを指さすアマデウス。
「コレ、ミノル、トム・ダーティ。ダロ?」
ドヤ顔をこちらに向ける全裸おっさん。
名称を間違えてはいるものの、一応、こいつなりに分別はあるようだ。
ということは、すなわち――
「も、もしかして、白峰さんの居場所、わかるのかっ?」
たるんだ腹をぼいんと叩き、アマデウスはこくこくと頷いた。
自分の顔に思っていることが書いてあるとか、マユツバかと……。これはこれで問題があるけど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「アマデウス、頼む! 白峰さんを……トム・ダーティを探してくれっ!」
一縷の望みをかけ、僕は神さま仏さま――アマデウスさま、と両手をすり合わせた。
☆ ☆ ☆
アマデウスに豪勢な昼飯を提供した後、僕は一人、神社に来ていた。
お宮さんが襲われた場所、そして願いが叶うという噂のある、あの神社である。
全裸おっさんが「シバラク、ジカン、カカル」と言うので、僕はその間、何もせずにいるのはどうかと思い、外へ出た。
行く宛があったわけじゃないけど、気が付けば僕は無意識に、その神社へと足を向けていた。
夏真っ盛りの昼間から神社に訪れる人影はまばらで、静けさに充ちていた。
そのせいか、急いていた僕の気持ちも次第に落ち着きを取り戻していった。
「考えてみれば、ここがすべての始まり、なんだよな」
一人ごちて、ここへ最初に来たときのことを思い出す。
一年前の夏、僕は受験の合格祈願に、この神社へとやってきた。
生まれて初めての受験に、僕はかなりプレッシャーを感じていた。
だからこそ、取り立てて信心深いわけでもないのに、願い事をしに来たのだ。
引っ込み思案な性格が災いしてか、学校で友達もおらず、同じ受験生として悩みを打ち明ける相手もいなかった僕は、数ヶ月後に控えている高校受験の重圧に押しつぶされそうになっていた。その記憶は、今もまだはっきりと僕の中にある。
もしも落ちたら。それを考えるだけで、将来が不安になった。
そんな折、気分転換も兼ねて訪れたこの神社で、白峰さんと出会った。
僕が絵馬に願い事を書いていたとき、向こうから話しかけられた。
『アメ、食べますか?』
初対面の中学生男子に対して、白峰さんは天使のような微笑みとともに、アメを一粒差し出してきた。
しばしためらった後、無言でアメを受け取ると、彼女は『あんまり根詰めない方がいいですよ』と、僕の心を読んだかのような台詞を口にしてその場を後にした。
嬉しかった。なんてことはない言葉だったけど、今思い出しても胸が熱くなる。
その後、僕は彼女にもう一度会いたくて、この神社に度々足を運んだ。
もらったまま食べずにとっていたアメを、ぎゅっと握りしめて。
名前も知らない彼女に会うには、それしか思い付かなかった。
今思うと完全にストーカーのそれだけど、僕のその行動が実を結んだのは、それから一ヶ月ほど経った九月に入ってから。
学校帰りに寄った神社で、僕は彼女――白峰夢乃さんと再会した。
……いや、再会したは語弊があるか。僕が一方的に白峰さんを発見しただけだ。
彼女が、自身の願い事を書いた絵馬を奉納しているところを、ちょっと離れた場所から見ていた。名前を知ったのは、そのときだ。
リア充ならナンパがてらに声でも掛けているんだろう。でも僕にはそんな大それたことなんかできっこない。
すれ違うことさえためらわれて、僕は境内の隅に身を隠し、彼女がその場を離れるのをじっと待った。
興奮していた僕は、少しでも近づきたくて白峰さんの真似をする。
絵馬を奉納すべく、願い事を筆に乗せる。
けれどいざ、願い事をと考えると、何を書いたものか大いに迷ってしまった。
高校受験がうまくいきますように。普通なら――彼女と出会う前ならきっとそう書いたことだろう。
でも僕は白峰さんに、あの日のお礼を言いたかった。
彼女からすれば何気ない一言だったかもしれない。けれど僕にとっては、救いの言葉だったのだ。
だから彼女にお礼を伝えようと、そう思っていた。
向こうは僕のことなんか覚えていないだろう。それでも一言、感謝の気持ちを届けられたらと、強く所望していた。
白峰さんへ。あのときはありがとう。
こんな感じで書いたところで、おそらく伝わらない。何せ、彼女と僕の関係は、友達以前に顔見知りですらないのだから。
伝わらない感謝では意味がない。僕の独りよがりではダメだ。
そう思うと、中々筆が進まない。何を書こう。どちらを願おうか。
願い事が一つだけと決まっているわけじゃないのかもしれないけど、どうしてか、そのときの僕は願い事は一つと、そう感じていた。
僕は白峰さんの絵馬をもう一度眺める。
『周りの人に元気になってもらえるようになりたいです 白峰夢乃』
白峰さんがそう願う理由を、僕は知らない。
けれども、それは些末なことだ。彼女の願うことならば、それがもっとも大切なのだ。
彼女は自身の願いを成就させるべく、日頃から努力している。
あの日、僕に対して声を掛けてくれたのも、きっとこの思いからきているのだろう。
その後、たっぷりと一時間ほど悩んだ挙げ句、僕はこう書いた。
『きみの夢が叶いますように アメと元気をもらった冴えない受験生より』
書き方も合っているかわからないまま、僕は丁寧に気持ちを込めて筆を走らせた。
芸もないし、恩返しとまではいかないけど、今、僕に可能なことはこれくらいだ。
本心を、自分の言葉で書くことができたせいか、僕は思いの外すっきりとしていた。
白峰さんが《巫女》として活動を始めたのは、その直後のこと。
なんでも、神社の神主さんが元々芸能事務所を経営していたらしく、再び一花咲かせようと思い立ったことで募集が始まったようだ。
……あくまで雑誌に掲載されていたものだから、真実とは限らないけど。
それを知った僕が、《巫女》を応援しないはずがなかった。
昨年十二月、ここで行われた《巫女》のCDデビューイベントも、もちろん足を運んだ。
一客としてではなく、ボランティアのお手伝いとして。
これを白峰さんに伝えようか迷ったのは、彼女が「友人がいない」と言っていたことに起因する。
僕は、彼女のためなら(そうでなくても)是が非でも友達になりたいと思った。
もしも友達になるとしたら、芸能活動を知らない人間の方が、何かと打ち解けやすくなるのでは?
片方だけが相手のことを知っているというよりも、お互いに少しずつ知っていく方が、友達として自然な気がする。……ボッチの僕が言うと説得力ないだろうけど。
「ま、それにしても、あの日の僕に『白峰さんと仲良くなれたんだ』と言ったところで、きっと信用してもらえないだろうな……って、足に何か……」
追憶していた僕の意識を現在に引き戻したのは、足下にすり寄る白い猫だ。
「なんだ、猫か。ったく、驚かせるなよ」
「ナーウ」
低い声で鳴くその白猫はふとっちょで、どことなくアマデウスを連想させる。
左右の瞳の色が違う、所謂オッドアイであるところも、あのおっさんを彷彿と――
「って、まさかとは思うけど……おまえ、アマデウスじゃ……」
「ナーウナウ」
「……違うよな。悪い、人違い……じゃなく、猫違いだった」
僕の言葉に、小首を傾げてみせる白猫。
反応はしてくれているみたいだけど、この白猫がアマデウスなら、人間の姿に映っているはずだもんな。
「もしかして、腹でも空いているのか?」
そう尋ねたのは、猫の腹の虫が鳴いたからでも、僕が空腹だからでもない。
絵馬を奉納したあの日のことを思い出したからだ。
初めて白峰さんの名前を知ったあの日、僕はずっと大切に保管していたアメ(リア充の悲鳴が聞こえるけど無視しておく)を、境内で横たわる白い猫にあげた。
猫に人間用のアメをやっていいものかわからない。いや、おそらくはよろしくない行為だろう。でも、その猫はやせっぽっちで、ひどく疲れていたように見えた。
普段ならこんな施しなど絶対にやらないけど、僕はその白猫に自分を重ねて見てしまったせいで、つい、何かしてあげなくちゃと思って、持っていたアメを差し出したのだった。
食べ物をそれしか持っていなかったから、僕はスーパーで猫用の餌を買って、再度神社に戻ってきた。そのときにはもう、あの白い猫の姿はどこにも見あたらなかった。
「ナウー……」
「今、何も食べ物を持ってないんだよ。申し訳ないけど……」
ポケットに手を入れて、一応何か持っていないか確かめる。
「ん? これ、持ってきちゃったのか……」
食べ物は入ってなかったけど、ポケットには青縞のパンツがあった。さっきアマデウスが押し入れから出した下着をしまおうとして、無意識にズボンのポケットにねじ込んでいたようだ。
と、そのとき着信音が鳴り、僕はアマデウスからの連絡かと、勇んでスマホに飛びついた。
「ん、アニキから? ……なんだろ」
てっきりアマデウスからだと思っていた(考えてみれば、これはこれでおかしいけど)ので、僕は気持ちを切り替えて電話に出た。
『実、今からオレの言う場所まで来てくれ』
アニキは開口一番、どこか思い詰めたような声でそう言った。
「え、でも、これから白峰さんを……捜しに行かなくちゃ……」
まさかアマデウスの超能力に頼って白峰さんの行方を追っているなどとは言えず、僕はちょっと嘘を交えて、アニキに断りを申し出ようとした。
「くればわかる。オレを信じてくれ、実。場所は――」
アニキの口から伝えられた住所に聞き覚えがあった。
「そ、それって……どういう……」
「真相はオレにもわからん。だが、おそらくこの糸は、真実へと繋がっているはずだ」
「う、うん、わかった」
僕は混乱しつつも、アニキの指定した場所へと向かうべく、神社を後にした。
……なんか緊張するな。いろんな意味で。
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