第3話
「その不届き千万な輩が、ここにいるってわけか」
アニキは、目の前にそびえ立つマンションを見上げて言った。
「いや、まだそうと決まったわけじゃないんだけど……」
僕はアニキの迫力に気圧され、もごもごと呟いた。
「よしのん、そんな弱気じゃダメだよ。もっと強く攻めないと逆に掘られちゃう……じゃなくてヤられちゃうよ?」
「お宮さん、それ言い直す意味がないって」
彼女の中では、僕はどうあってもそちらのネタになってしまうのだろうか。
僕は女の子が好きなので、男を掘るのも男に掘られるのも、御免被る。
「ところで、枝楠の野郎は何時くらいにこのマンションに帰ってくるのか、わかっているのか」
「大体……十時くらい、かな。今は九時五十分だから、もうすぐ帰宅するはずだよ」
「ちなみによしのん、それは私のおかげなんだし、もっと褒めてくれてもいいんだよ? 《幸運の男神さま》捜しをしていたからこそ、えぐっちゃんのお兄ちゃんの怪しげな行動を掴むことができたんだから」
それはたしかにお宮さんのおかげという部分もあった。
今から三日前。二度目の投石があったその日の夜。
例によって、僕はお宮さんと《幸運の男神さま》捜しに、白峰さん宅のある商店街に赴いていた。
白峰さんのケーキ屋前にある喫茶店は残念ながら定休日で閉まっており、仕方なく僕らは、周りから不自然に思われないよう、夜の商店街を行ったり来たりしていた。
残念ながら神さまは現れなかったけど、その代わり、件の痩せぎす男、枝楠は毎夜その姿を僕らの前にさらしていた。
この三日間、枝楠を尾行して気が付いたのは、二つ。
一つは、枝楠は決まって白峰さんの数メートル後ろを歩いていたということ。マネージャーだというのに直接話しかけるでもなく、隣に並んで帰るでもないその光景は、ファンの僕でなくとも怪しく感じられることだろう。
もう一つは、いつも定時に帰宅するという点だ。芸能界という、時間的に決まりのないだろう仕事にも関わらず、マネージャーの枝楠は決まった時刻に帰宅していた。
まあ後者については、事務所の意向かもしれない。
白峰さんはまだ高校生だ。だから仕事を入れるにしても、学業との兼ね合いは当然しているはずである。
学校は決まった時間割があるので、それに合わせて仕事の予定を組むとなると、帰宅時刻は定時になってもおかしくはない。
ただ理由はどうあれ、行動が決まりきっているのなら、こちらとしては先回りして枝楠を捕捉しやすいし、予め作戦――投石犯と思しき容疑者を捕まえる――を立ててもおける。
そして昨夜、僕が事情を軽く話して協力要請を仰ぐと、アニキは二つ返事で快く了承してくれたのだった。
「あっ、来たよ」
お宮さんがいち早く枝楠の姿を発見した。
五十メートルほど向こうに、背広姿の痩せぎす男が見える。遠目ではあるものの、街灯に照らされたアスファルトを歩く彼の姿は、はっきりと視認できた。ここ数日の尾行で、完全に顔形を把握しているからだろう。
「じゃあ、行ってくる。後は予定通りに」
「本当に、オレも一緒に行かなくていいのか、実」
アニキが心配そうに、僕を見つめる。
事前に立てた作戦とは、至ってシンプルなもの。
僕が正面切って枝楠に例の脅迫文を見せて、投石犯かどうかを、その反応から確かめる。
もしも犯人でなければ、素直に謝る。
挙動が不審なら、僕自身の手で捕まえる。その際、警察への身柄の引き渡しをしなくてはならないので、連絡係を同行してもらった友達二人に頼んだ、というわけである。
「うん、平気だよ。アニキに鍛えてもらったし、それに……これは僕がやらなくちゃいけないような気がするんだ」
「……漢だな、実」
ふっと、アニキは口元を綻ばせた。慈愛が感じられるような、優しげな笑み。
その瞬間、お宮さんは「は、鼻血が……」と、なぜか嬉しそうに言った。
「もしも実がヤられたら、そのときはオレがアイツをヤってやるから、安心してくれ」
横でお宮さんがニヤニヤしているせいか、アニキの言葉が妙な意味合いを含んで聞こえてくる。……お尻がちょっとむずむずするのは気のせいだろう。
見知らぬ間柄であるはずのマネージャーを「アイツ」と、まるで旧知の仲であるかのように呼んだアニキの台詞が妙に耳に残っているのも、きっと気のせいだろう。
「行ってらっしゃい」
緊張感をそぐような、あっけらかんとしたお宮さんの声を背中に受け、僕は白峰さんのマネージャーに向かって歩き出した。
☆☆☆
「……きみの言っている意味がよく理解できない」
僕の家に石とともに投げ込まれた脅迫文を見せたところ、枝楠は眉一つ動かさず冷静に応えた。
街灯に照らし出された枝楠の顔には、感情の揺れが窺えない。
これは……どっちなのだろう。
枝楠の反応が、僕の予測の枠を越えていた。
自分の中ではほぼこの人物が投石犯且つ、白峰さんのストーカーだろうと思っていたし、この脅迫文さえ見せれば、きっと動揺するに違いないと決めつけていた。
しかし実際はそうではなかった。
てっきりいきなり殴りかかってくるものかと思っていたので、堅く身構えていたけど、どうやらその必要はなさそうだ。
突然、見知らぬ男子高校生が夜道で話しかけているというのに、ピリピリとした空気はおろか、むき出しの警戒心さえ少しも感じられない。
「ほ、本当に見覚えがない、と?」
「ああ」
再度尋ねるも、枝楠は短く応えるだけで、相変わらず表情に変化はない。
元々こういう人なのだろうか。喜怒哀楽の表現が平坦というか。だとしたら、申し訳ない気がしてきた。
考えてみれば、今のところもっとも怪しい人物というだけで、投石に関してもストーカー容疑にしても、確証は他にない。
そう思うと、さっきまで僕の全身を覆っていた緊張感が嘘みたいに、どこかへと霧散していく感じがした。まるで、期待していたホラー映画が思いの外怖くなくて拍子抜けしたような感覚である。
「……あの、白峰夢乃さんのマネージャー……ですよね」
だから、僕はつい油断して、こちらが相手の素性を知っているという情報を開示してしまった。自分の迂闊さに、怒りを覚える。
「あ、いや、その、これは……ですね……」
慌てて言い訳を試みようとした、そのとき。
「どうしてそれを知っている」
先ほどとは打って変わって鋭い声。こめかみがピクリと動くのを、僕は見逃さなかった。
「きみは一体、何者だ」
鳥肌が立った。数秒前とは別人のような、こちらを突き刺す眼差し。
枝楠の全身から、ただならぬ気配を感じる。
僕が豹変した枝楠の迫力に気圧され、何も言えずに黙っていると、
「ボクは枝楠。白峰のマネージャーだ」
なぜか唐突に、彼は自己紹介を始めた。
「……あの……?」
「ボクは名乗った。すでにきみは知っているかもしれないが、一応念のために自己紹介をさせてもらった。次はきみの番だ。生徒証は持っているかい」
突然の名乗りに動揺して、僕はつい、相手の言うとおりに顔写真入りの生徒証を提示した。
「吉野実くん、ね。どうやらうちの白峰と同じ高校ではないようだが、きみと彼女はどうやって知り合った?」
「……偶然、です」
「まあ、この近くの高校に通っているようだし、そういう理由もあるかもしれないな」
僕は本当のことを述べた。けれど、枝楠は言葉上頷いているだけで、全く納得などしていないような表情で僕を見る。
蛇に睨まれた蛙とはこういう状態を指すのだろう。
枝楠の視線は、まるで物陰に隠れて獲物を狙う爬虫類かのように静かだ。
「ほ、本当なんです。い、一応、連絡先も知ってますし……」
恐怖のせいで一歩も動けないどころか、いらぬ情報まで明らかにしてしまう。
いつの間にか、じっとりと背中に汗をかいていることに気が付く。
原因は夏の暑さではなく、目の前にいる痩せぎすのマネージャーから睨まれているせいだ。
枝楠はしばらく考え込むように間をとってから、ふっと息を吐き、それから口元に薄い笑みを浮かべる。
「きみはもちろん知っているだろうが、白峰はアイドルだ。だからスキャンダルがあっては困る。それはわかるだろう?」
明言こそしていないものの、枝楠の言いたいことは理解できる。
白峰さんは美少女だ。性格も良い。ちょっと天然なところはあるけど、それもまた彼女の良い部分だと僕は思っている。
理由はどうあれ、同世代の男子が美少女と知り合ったら。ましてや彼女は芸能人。
恋人関係を想像しないと言えば嘘だ。それは否定しない。
だけどそれは、謂わば妄想のようなもので、きっと誰しもがやっている、心の癒しだ。
現実にそうなろうと積極的に動いたりはしていない。……つもりだ。
「ぼ、僕はただの……白峰さんの友達で……」
「もしもきみとのツーショット写真が出回れば、世間はそうは思わないだろう。少なくとも、マネージャーのボクには、その関係を疑うに足る理由がある」
優しい笑みを顔に貼り付けて、枝楠は諭すように言った。
声にドスをきかせたり、暴力行為で訴えてきたりするよりも、数段迫力のある威圧。
僕は完全に腰が引けて、怖じ気付いてしまう。
「……それは、わかります、けど……」
「きみは本当に彼女のことを大切に思っているかい」
「もっ、もちろんです!」
僕が正直に応えると、枝楠は笑みを引っ込めて冷たい表情に戻った。
そして一息に僕との距離を詰めると耳元で囁いた。
「ならこれ以上、白峰には近付かないと約束してくれ」
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