第6話

「なあ、アマデウス。これを盗ってくるのは犯罪なんだ。僕の言っている意味がわかるか」


 おとなしく隣で座る全裸のおっさんは、ゆっくりと首肯する。

 こうもあっさりと頷かれてしまうと、却って言葉が届いていないように感じる。

 夏休み。件の神さま捜索から、約一週間が経過した日曜日の昼下がり。

 僕は日に日に増える女性下着をどうしたものかと、途方に暮れていた。

 幸い、今この家にいるのは僕だけだ。父さんと母さんはいつものようにデートに出掛けている。この好機に、押入の中身をどうにか処分しないとまずい。

 今はまだ押入に収まる程度の量で済んでいるけど、このままではアマデウスがどこからか持ち帰る下着がそのうちに溢れかえってしまう。

 それに加え、もうひとつ。


「おまえが人の言葉で話せるってのはもうわかってるんだ。ちゃんと話せ」


「おまえが人の言葉で話せるってのはもうわかってるんだ。ちゃんと話せ」


 おっさんがオウム返しに僕の言葉を繰り返すのを見て、聞いて、猛烈に腹立たしくなってきた。

 さっき知ったばかりなんだけど、おっさんは人の言葉を使って僕以外の人と話すことが可能であるらしい。

 しかもどういうわけか、僕の完全な声真似で。


「繰り返すな。僕の質問に答えろ」


 小学校の頃、そうやって人の言葉をオウム返しにする奴がいたことを思い出す。それは実際やられてみるとわかるけど、本当にムカムカしてくる行為だ。

 僕は蘇った忌々しい気持ちで、アマデウスをにらみつける。


「ヒトノコトバハナス、ソレ、トテモツカレル。メシ、クウ、ネル。ジュンビ、ヒツヨウ」


「それって、体力を使う行為なのか?」


 僕の問いかけに、おっさんはまたゆっくりと首を縦に振る。意味がよくわからない。

 たとえば僕は日本語しか話すことができないけど、学校で習っている英語なら、片言になってたどたどしくても、どうにか日常会話くらいなら可能だと思う。

 たしかに疲れるだろう。でも、それは気疲れであって、そこまで体力を消費するものでもないように感じる。


「じゃあ僕とこうして話しているのはどうなんだよ。これだって充分におかしいだろ」


 全裸おっさんがもしも本当に猫なら、ごく普通の人間である僕との会話だって成立しないはずである。……すべてが僕の妄想でなければ、だけど。


「ミノル、トクベツ。メシ、クレタ」


「……それはおまえがお腹空いたって言うからだろ」


 事実、僕はこいつを飼うというか、一緒に暮らすつもりなんて毛頭なかった。

 追い出そうとしても動かないし、この肥満体を持ち上げることもできそうにないので、仕方なく、なのだ。両親などは「まあいいじゃないか、この家が気に入っているなら」と、アマデウスの来訪を快く思っている節もあり、それを無碍にできないだけだ。


「ふう……まあいい。よくはないけど、今はいい。それよりも、だ。これをどうにかしないと、いつ母さんに見つかるか。アマデウス、このパン……下着をどこから盗んできたんだ?」


 僕は押入を指さして、すました顔の全裸おっさんに訊いた。

 処分するにせよ持ち主に返還するにせよ、盗ってきた当人の犯行理由を知らなくては、また同じことを繰り返すに違いないし、対処もできない。


「ミノル、シラミネ、スキ」


「んなっ! な、なんだよ、突然……」


 おっさんは正座して、真剣な眼差しをこちらに向ける。

 動揺していた。いきなり白峰さんの名前を口にされただけでなく、「スキ」という単語そのものが、僕の鼓動を速めるのに絶大な効果を発揮した。


「ダカラ、トッテキタ。シマパン、オレイ」


「……もしかして、ご飯をもらったお礼に、白峰さんの、その……下着を盗ってきたっていうのか?」


「シラミネ、スキ。イイニホヒ」


 全裸おっさんが即逮捕レベルの感想を漏らしているのを見ながら、僕は自分の中に妙な気持ちがわき出ていることに気が付いた。

 お礼、か。考えてみれば、こうして誰かに面と向かって感謝されたことなんて、あまり記憶にない。

 そのせいか、僕は無性に嬉しかった。行為そのものは犯罪であるというのに。


「じゃ、じゃあ、これ、やっぱり白峰さんの……」


 僕は手近にあった青い縞を手に取り、じっとそれを眺める。

 やり方に問題はあるけど、アマデウスは良い奴なのかもしれない。


「オレイ。エンリョ、イラナイ。ニホヒ、カイデミロ」


 若干、物言いが以前にも増してくだけているのは、仲良くなった証なのだろうか。

 僕は震える手で、その青い宝物をやおら顔に……鼻に近付ける。


「か、勘違いするなよ。お礼とあっちゃあ、無碍に断ることもできないって話だぞ。僕はこう見えて礼儀正しいんだ」


 気が付けば僕は、宝物を目の前にして興奮しているせいか、正当化も甚だしいこれぞ言い訳、というような台詞を口にしていた。

 下着ドロは犯罪である。ましてや、その香りを堪能しようだなんて……決してやってはならない。

 しかし、やってはならない背徳感が、皮肉にも僕の背を押している。

 しかもこれは、あの――アイドル白峰夢乃さんのもの。

 ファンである僕が、この宝物を前に、興奮しないでいろというのは不可能である。

 それに。これは別段、僕が自ら望んで行っているわけじゃない。あくまでアマデウスの好意を受け取る、という意味合いを含んでおり、なんらやましいことなんて――

 ――ピロロロロロロロロッ!


「うああああっ!」


 僕が不埒な妄想で脳内を充たしていたとき、それを遮るように携帯が鳴り、僕は思わず仰け反った。

 その拍子に、鼻先まで近付けていた宝物……じゃない、下着もどこかに放り投げてしまう。


「……び、びっくりしたあ……ん、お宮さんから電話か……」


 素に戻り、反省する。やはり、盗んできた下着の匂いを嗅ぐだなんてやるべきでない。

 さっきとは異なるドキドキを感じつつ、僕は神さまは存在しているのかもしれない、と考えを改めた。

 絶妙なタイミングで電話をかけてきたお宮さんのおかげで、僕は辛うじて一線を越えることなく、こちら側に踏みとどまることができた。

 溜め息をひとつ吐いてから電話に出ると、お宮さんの口から想像だにしなかった台詞が聞こえてきた。


「よしのん、神さま見つけたっ!」

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