第5話
神社の周辺に広がる雑木林。まだ見ぬ《幸運の男神さま》に会うため、僕は林の中、道なき道を進む。
『――こちら宮野。よしのん、そちらの様子はどうですか? どうぞ』
ノイズまじりに、耳元で声がする。
先ほど、罠の設置から戻ってきたお宮さんから、連絡はこれで取り合おうと、インカムを手渡された。声はそこから聞こえている。
「どうって、まだ百メートルも進んでないよ。それにカメラの映像も、お宮さんが持っているモニタ画面に映っているんじゃないの?」
今僕が装着しているインカムにはカメラも付いているタイプの物だ。僕が見ている映像が、そのまま境内で待機しているお宮さんのところへ送られる仕組みらしい。
わざわざ言葉で尋ねなくても、映像モニタで確認は可能である。
『そんな無粋なこと言っちゃダメだよ、よしのん。せっかくのハンティング日和なんだし、もっと雰囲気出していこうよ』
「う、うん、わかったよ。……で、本当に信用していいんだよね?」
『よしのん、どうぞって言わないと』
「……ど、どうぞ」
僕はこの恥ずかしい場面を誰か知り合いにでも見られてやしないだろうかと周囲を確認しつつ、お宮さんの指示通り、応答する。実に面倒くさい。
『信用ってよしのん、まだ疑ってたの? ちゃんとサイトに書いてあったってば。誰かが目撃したからこそ、情報がアップされたんじゃない。それよりも、周辺に《幸運の男神さま》がいないか、見逃さないよう気を付けて。どうぞ』
サイト――『ご近所オカルト』は、お宮さん御用達の、怪しげな情報満載のウェブサイトである。
信用性は……正直、言わずもがな。
僕としては、あくまでわかっている上で「そういう楽しみ方」をするサイトだと思うので、そこに記載されていた情報を鵜呑みにして、あまつさえ現地に赴いて確かめるだなんて、普通は誰もしないと考えている。
「……りょ、了解」
それきり、お宮さんの声はしなくなった。ノイズは相変わらずなので、通信自体は切れていないようだ。
「『実、どうだ、そっちは』」
今度はアニキだ。耳元からも聞こえるけど、後方からも声がする。
振り向くと、五十メートルほど遠くに、木の枝葉の隙間から巨躯が見えた。
「こっちは全然見あたらないなあ。アニキの方はどう?」
「『こっちも同じだ。気合い入れて注視しているんだが……』」
どうでもいいけど、後方から聞こえる生の声の方が大きく、アニキの場合はあまりインカムの意味がない。
「『だが安心してくれ。実に近付く怪しい影があれば、オレがすぐに助けに行ってやる』」
本来、アニキと僕は同じルートではない方が効率的だ。当然、お宮さんもそう提案した。
渋々とはいえ、神さま捜索に承諾した僕も、お宮さんと同じ意見だ。
しかし、この作戦に関して異を唱えたのはアニキで、その理由は「実を一人で歩かせるわけにはいかねえ。オレが護衛する」と言い出したからである。
「『マッキーナが言っている《漢神》ってのは今のところ見つけられていないが、実のケツだけはここからでもはっきり見えているぜ』」
アニキはどこを見ているんだろう。
身体を動かしているので暑いはずなのに、今、なぜだか急に涼しくなった。
「う、うん、ありがとう……」
僕がアニキに対してお礼を述べたそのとき、インカムの向こうから、ザザッ! と激しくノイズ音が聞こえてきた。
「っ……! お宮さん、どうかしたの?」
しかし彼女からの応答はない。どうぞって付け加えるのを忘れてたからだろうか。
続いて、タッタッタ、と走り去る足音が聞こえた。なぜだろう。妙に胸がざわついている。
「実っ、何かおかしい! マッキーナのところに戻るぞっ」
インカムからではなく、遠くからアニキの大音声が林の中に響く。
不穏な気配を感じ取ったのは、どうやら僕だけではないらしかった。
僕はアニキと合流してから、境内で待っているお宮さんの元へと向かった。
☆ ☆ ☆
「……なんだかまだ頭がクラクラする……うぷっ」
お宮さんは吐き気があるようで、口元に手をあてている。
僕とアニキが急いでお宮さんのところへ戻ると、彼女は一人、境内の隅で仰向けに倒れ込んでいた。
幸いというか、僕らが駆けつけてすぐ、お宮さんは目を覚ました。吐き気はある様子だったけど、見たところ身体に傷もなく、とりあえずは無事らしい。
お宮さん曰く、モニタ画面に目を向けていたら、突然後ろから口元に布をかぶせられ、その後、急速に意識が遠くなっていった、とのこと。
「ふう、すぐに戻って正解だったね、アニキ」
「こんなときに聞くのもなんだが、もう少し詳しく状況を教えてくれないか。直接犯人の顔を見ていれば一番いいんだが」
「うーん……それがチラリとも見てないんだよね。後ろを振り向こうとはしたんだけど、口にあてられた変な匂いを嗅いでいたら、身体に力が入らなくなっちゃって」
笑顔で気丈に振る舞いつつも、お宮さんは未だ体調が万全とは言えないらしく、ふうっと溜息を吐いてうなだれた。
「すまん。オレが付いていながら……」
「アニキ……」
いつもは明るいアニキが俯いて、悔しそうに顔を歪めていた。
心なしか、気高さの象徴たるポンパドールもしょげているように見える。
僕は何と言ったらいいのかわからず、ただ口を噤んでしまう。
人気のない神社の境内に、静寂が横たわる。
と、うなだれたお宮さんの肩が、カクカクと震え始めた。
「お、お宮さん……平気……?」
無神経な言葉かもしれないとは思ったけど、僕は静寂に耐えきれずに声を発した。
……泣いているのだろうか。
おばちゃん然としたたくましいお宮さんであろうと、やはり彼女も普通の女の子なのだ。
さっきはまだ混乱が先に立っていたかもしれないけど、こうして僕とアニキがやってきたことで、今し方自分の身に起きた恐怖を実感していることは考えられる。
俯いたままなので表情はわからないものの、おそらく僕の想像は間違ってはいまい。
と、そのとき。すでに日も傾き、暑さも和らいだ人気のない境内に、妙な音がした。
耳で音源を辿る。どうやらその音はお宮さんの口から漏れているらしい。
「……ククク」
「お宮、さん……?」
心配になってのぞき込む。お宮さんは口の端を歪めて笑っていた。
気絶する寸前、どこかに頭でも打ったのだろうか。
お宮さんは焦点の合わない目で、ここではないどこかを見ているようだ。はっきり言って、かなり怖い。
「どうやら私の読みは当たっていたみたい。私たち、あの《幸運の男神さま》の近くまで来ててるっぽいよ」
唐突に告げられた言葉に、僕は理解が追いつかない。
《幸運の男神さま》と、お宮さんが襲われたことがどう繋がるのか、さっぱりである。
「だってそうでしょ? 一介の高校生風情である私が襲われることなんて、他に考えられないもの」
「それはちょっと考えが飛躍しすぎじゃないかな……」
「いやいやよしのん、これは間違いないよ」
吐き気も大分治まってきたのか、お宮さんはいつもの調子を取り戻して明るく言った。
「まあ、私のあまりの可愛さにリビドーが抑えきれなくなったってこともなきにしもあらずだけど、だとしたら今度は、どうして私に何もせずに犯人が姿をくらましたのか疑問が残るんだよね。天下のJKに対して、だよ?」
さも当然の事実のように、お宮さんはしれっと「自分が可愛い」と口にする。まあ、
それはさておき、お宮さんの犯人の見立てに関しては否定する部分が見あたらない。
犯人は何かしらの目的があって彼女を毒牙にかけたのだろう。
けれども、犯人は標的に眠り薬か何かを嗅がせるだけで、それ以上のことはしていないみたいだし、行動原理がよくわからない。
もしや本当に、《幸運の男神さま》に関わったことで、誰かから圧力をかけられているのだろうか。
この間自分の部屋に投げ込まれたあの脅迫文書を思い出す。
あれは白峰さん絡みだからこの件には直接関係ないと思うけど、狙われたという一点に関して言えば、共通した何かを感じなくもない。
「財布も生徒証も携帯も盗られていないし、身体に何かしたってことも……あれっ?」
お宮さんは突然、慌てた様子で腰回りを忙しなく手でまさぐっている。
「どうしたんだ、マッキーナ。妙な薬のせいで体調でも崩したか?」
「……ぱんつ、盗られたみたい」
お宮さんはアニキの質問には答えず、俯いてそっと呟いた。
なんだかとんでもない発言だ。一応は僕もアニキも歴とした高校生男子なので、そういった内容をこうもあけすけに口にしてもいいのかどうか……?
……まあ、これは僕らへの、彼女からの信頼という風に好意的に受け取っておくべきか。
「よくあるよな」
「うん、あるあ……いや、よくあることではないんじゃないかな」
そんなもん、頻繁に起きたら困る。
「そうか? オレも以前、ジムでビキニパンツを強奪されかけたことがあるぜ。無論、返り討ちにしてやったがな」
そう言うと、アニキは白い歯を見せる。
この場合の返り討ちって、つまり相手のビキニパンツを……いや、その先は考えまい。
「あ、一応言っておくけど、ズボンって意味じゃなくて、二重に装着した見せパンの方ね」
パンツ。そのキーワードを耳にして、僕はメタボリック体型の全裸おっさんと、自宅の押入にあった大量の女性下着の山を思い浮かべる。
……あのバカ、まさかこんな風に、人様の下着を強奪する犯罪行為に手を染めているんじゃないだろうな。
いや、買った物でないのですでに犯罪行為には違いないんだけど……。
「くう……腹立つなあ……もうっ!」
わなわなと拳を震わせるお宮さん。顔もわからぬ犯人に対して、怒りが沸き起こっているようだ。
「怖く、ないの?」
「怖い? どうして?」
「だってさ、その、パン……下着ドロなんて、なんだか得体の知れない奴じゃない?」
僕がもしもお宮さんの立場だったら。そう考えると、怒りよりも恐怖の方が先に立っているような気がする。
だから彼女の反応が、普通ではないなあ、なんて思ってしまう。
「よしのん、私が怖いのは、世の中から不思議な出来事がないと証明されてしまうことだよ。たとえば、《幸運の男神さま》がいない、とかさ」
お宮さんは勢いよく立ち上がり、ずずい、と僕に詰め寄ってくる。
それにしても、そんなに熱を入れて神さま捜索してたんだ……。
予想以上のオカルト信者っぷりに驚きつつも、僕はある種の感動というか、尊敬の念を抱いた。僕には彼女みたいに、情熱を注ぐ対象がない。白峰さんは好きだけど、そういう類のことではなく、趣味というか夢というか、ともかく自らが能動的になれることを、僕は未だ見つけられていない。
「じゃあ、どうして怒ってるの?」
「そんなの決まってるよ。盗られたのが、お気に入りの《ご近所オカルト》柄プリントの、特製パンツだったからだよ。あれ、相当なレア物で、今は入手が困難な代物なんだよ……」
次第に声のトーンがすぼまっていく。
その品の希少性は知らないし興味もないけど、お宮さんからすれば、よほどショックなことなのだろう。下着を強奪していった犯人に恐怖ではなく怒りを覚えるくらいに。
「うう……今日はせっかく験担ぎにはいてきたのに……。えぐっちゃん、予備とか持ってないかなあ……」
「えぐっちゃん?」
知らない名前だ。少なくともクラスメイトではない。
予備、というのはもちろん件の下着のことだろう。この話の流れから察するに、例の《ご近所オカルト》ファンのようだ。
「ああ、オカルト仲間のえぐっちゃん。……ほら、これ」
お宮さんが差し出してきたスマホの画面に、二人の女の子の画像が写っている。
片方はお宮さん、知らないもう一人がえぐっちゃんらしい。
えぐっちゃんは、なるほど、お宮さんが可愛いと表現するのが納得の、ちんまりとした美少女だった。画像の中、お宮さんは満面の笑みだけど、えぐっちゃんはジト目で、これが平常なら、あまり明るい性格のようには見えない。
もしもお宮さんを太陽だとすれば、えぐっちゃんは月、といった感じ。
「ね、可愛いでしょ? 中学の後輩でひとつ年下なんだけど、ある意味では先輩で」
そう言うお宮さんの表情は、先ほどと打って変わって明るい。よほどえぐっちゃんが大好きなのだろうと、無関係の僕にも容易に感じられる。
「先輩って?」
「私が《ご近所オカルト》を知ったのも、元はといえばえぐっちゃんの影響なんだ」
ははあ……いらんことを吹き込んだのはこのジト目女子か。
おかげで僕はお宮さんに連れ回されているから、はっきり言って好印象ではなかった。
「つまり諸悪のこんげ……じゃなくて、オカルトの師匠みたいな?」
だからうっかり口を滑らせかけてしまった。
「そうそう。まあ師匠ってよりは、コンビの関係に近いかな。今年は向こうが受験の学年だから誘うのは自重してるけど、前は二人でオカルト捜索に精を出してたよ。頻度は以前と比べて減ったけど、《ご近所オカルト》にもちょくちょく顔を出しているみたいだし……今はお互いにライバル関係ってとこかな」
お宮さんはえぐっちゃんに何か思うところでもあるのか、言葉尻を少し濁して言った。
それについては詮索はしないけど、親友らしきえぐっちゃんに対して自重できるなら、僕に対してももう少し配慮してもらいたい。
「今のオレと実みたいな、抜きつ抜かれつの好敵手ってわけか。オレたちも昼休みに精を出していたし、親近感がわくな」
「……そう、だね」
アニキが「抜きつ抜かれつ」「精を出す」なんて言葉を言うと、意味が違って聞こえるから不思議だ。いかがわしく聞こえるのは気のせい。お宮さんが「ktkr!」とか、快哉を叫んでいるのは、これとは無関係。のはず。
「ま、今日はこの辺にして、また明日、出直してくることにしようかな」
元気を取り戻したお宮さんが本日の企画を締め括る台詞を口にして、僕らは神社を後にした。
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