第二章

第1話

「あ、アニキっ、ぼ、僕っ、もう……っ!」


「何だ実っ、まだまだこれからが本番だぞっ」


 僕がゼイゼイと息を切らしている後ろから、アニキの檄が飛んでくる。

 昼休み、人気のない体育館に、タン、タン、と不規則なリズムを刻む僕とアニキ。

 字面だけ見ると、なんだか男二人でヤバい雰囲気だけど、これは歴とした訓練だ。

 僕は今、アニキに手伝ってもらって、腕車の真っ最中である。


「実っ、もう少し頑張ったらご褒美が待ってるぜ! オレ特製のスペシャルドリンク、タンクにたっぷりとため込んできたぞ!」


「う、うん……ありがとう……」


 いつもならのんびりと教室で過ごしているこの時間、どうして訓練にあてているのか。

 それは昨日、僕の部屋に石と一緒に投げ込まれた脅迫文が元だった。


『安眠したければ、彼女に近付くな』


 言うまでもなく、彼女とは白峰さんのことだろう。

 白峰さんの盗撮画像がネットにアップされた日も近いことから、僕はこの投石犯人と盗撮者が同一人物と見ている。

 こうして鍛えているのは、もちろん僕自身の身の安全もある。

 でも一番の目的は、狙われている当事者の白峰夢乃さんを守ることだ。

 もしもこの犯人と遭遇したとき、今の僕の力では彼女を守るどころか、逃げ道を作ってあげることさえ難しい。

 今朝アニキにそれを相談(白峰さんのことは伏せて)したら「そんなの簡単に解決できる。昼休み、オレと一緒に身体を鍛えようぜ」とありがたい申し出を受けたのだった。

 正確な表現では「実、オレとヤらないか」だったから、周囲には妙な誤解を与えてしまったかもしれないけど……。


「よし、ここまでにしておくか」


 アニキの合図で、昼休みを半分ほど使った訓練メニューを終え、僕はようやく一息入れることができた。


「はあっ、はあっ……アニキ、今日は僕の訓練に付き合わせちゃってごめん」


「何を水臭いことを言ってるんだ。オレと実の仲じゃねえか。こんなことくらい、いつだって相手してやるさ」


 アニキはそう言って、眩しい笑顔をこちらに向けた。


「……うん、あ、ありがとう、アニキ」


「ところで実、お前がそこまでして守りたい相手ってのはどんな男なんだ?」


 男? いやいや、何を勘違いしているんだ、アニキは。

 確かに白峰さんのことは伏せたけど、男だなんて一言も口にしていないのに。

 ていうか昨日、白峰さんが僕の家の前で盗撮された画像を一緒に見たはずなのに?


「いや、男じゃなくって、おん――」


「ああ、悪い。立ち入ったことを聞いちまったな。忘れてくれ」


 アニキは僕の言葉を遮って、詫びの言葉と共に頭を下げた。立派なポンパドールがかすかに揺れる。


「実が守りたい相手がいるって聞いて、つい、どんな男なのか気になっちまってな」


 どうやらアニキの中で、僕がガードする対象が男というのは揺るがない事実となってしまっているらしい。

 今更違うと指摘するのも骨が折れそうだし、取りあえずそのまま放置することにした。


「しかし、人の家に投石するなんて不逞な野郎は許せねえな」


「う、うん。怖いのは怖いけど、冷静に考えたら腹立たしさが出てくるっていうか」


「何なら今夜からオレが実の家に泊まり込みに行っても構わないぜ。見つけ次第、その不届きな輩に気合い入れてやる」


「こ、心遣いは嬉しいんだけど、うちは狭いし……」


 もしもそれを実現させたら、僕の部屋はカオスになってしまう。

 全裸の中年(猫)、ガチムチマッチョ、そしてひ弱な僕。

 アマデウスにしてもアニキにしても、僕に襲いかかるなんて卑劣な行為には及ばないだろうけど、万が一何かあったら大変だ。

 まあ、全裸おっさんとアニキのニ択しかないなら、僕は当然、引き締まった身体を持つアニキを選――

 いやいや! 何を考えているんだ、僕は。危なく雰囲気に流されてしまうところだった。


「そうか……。だが、オレが必要なら、いつでも呼んでくれよ」


 アニキは少し寂しそうに、僕の肩を優しく叩いた。


   ☆ ☆ ☆


「うーん、続報は届いてないなあ」


 放課後の教室に居残り、僕はお宮さんと向かい合わせに座っている。

 お宮さんに盗撮画像のその後について尋ねるも、めぼしい情報は得られなかった。


「そっか……。まあ、新たな画像なんかアップされない方がいいんだけど」


「白峰さんのニュースは出てないけど、《幸運の男神さま》の情報は追加されてたよ」


 お宮さんはキラキラと笑顔を輝かせているけど、正直僕はあまり、というか全く興味のない話題だ。


「これは会員登録した人だけに送られるメルマガに書いてあったんだけど」


 そう前置きすると、お宮さんは口で説明するよりも見た方が早いと、僕にスマホを差し出してきた。


「ええと……この『実体験』というのでいいのかな」


「そそ、全部で十個くらい記事があるはず」


 お宮さんに促されるまま、僕は適当なタイトルを選択して記事を開く。


『Aさん(四十歳・起業家) ワタクシ、《幸運の男神さま》と出会ってからというもの、手を出すものすべて大当たりしましてね。濡れ手に粟と言いますか、おかげさまで毎日がウハウハで――』


『Bさん(五十歳・自営業) 俺ね、人に自慢できるってくらい、今まではツイてない人生を送ってきたんだけどさ、《幸運の男神さま》に会ってからこっち、何をしてもツキが巡ってきてるっつーか、上手くいくんだよ。これって――』


『Cさん(三十七最・主婦) 私、あの人に本当に感謝してます。最初は疑っていましたけど、身の回りで次々と幸運が舞い降りていくのを目の当たりに――』


 三つ目の記事を最後まで読むことなく、僕はスマホをお宮さんに返した。

 黄金のネックレスを買ったら、仕事は順調、美女にもモテモテ、人生で一発逆転したいなら云々、みたいな怪しげな感想ばかりで、げんなりした。

 お宮さん、今からこんな胡散臭いものに惹かれて、将来は平気だろうか。


「ちょっと、よしのん、ちゃんと読んだの? こんないかがわしいもの、とか思ってない?」


「いやあ、ははは……科学的な根拠は薄い、かな」


「そういうところにこそ、神秘的なサムシングが眠っている可能性があるんだよ。ほら、漢を晒すなら男の中でって言うでしょ?」


「……もしかしてそれ、木を隠すなら森の中、のこと?」


「細かいことは言いっこなし。とにかく、多くの人が見逃しがちな部分だからこそ、本当の神懸かりな出来事が隠されていると思う」


「それは、そうかもしれないけど……」


 だとしても、一体誰に対して何を隠しているのだろう。


「あとさ、この記事の感想そのものよりも、体験者の住んでいる地域にご注目」


「全員この辺、だね。これがどうしたの?」


 先ほどは記事の胡散臭さに辟易して見ていなかったけど、十数個ある体験記投稿者の地域欄には、僕たちの通う高校付近の地域名が書かれていた。

 当然といえば当然だろう。何せこのサイト、ご近所オカルトと謳っているのだ。全国からそんな感想を集めたとなれば本末転倒な感は否めないし、ますますいかがわしさが膨れ上がるような気がする。


「チッチッチ。鈍いなあ、よしのんは。ほら、二ヶ月前のこと思い出さない?」


「二ヶ月前……ああ、そういえばお宮さんに連れられてUMA探しをやったね」


 UMAとは、未確認生物のことだ。

 二ヶ月前、僕らはUMA探しにと近隣を歩き回った。夢見がちなお宮さんの純粋な興味かと思ったら、彼女はUMAを捕まえてどこかに売るつもりだったらしい。


「あのときはたしか、ヒトガタを探しに行ったんだよね。今頃言うのもなんだけど、ヒトガタって海にいるんじゃなかったかな」


 ヒトガタは、真っ白な身体を持つ超巨大な人間のようなUMAだ。

 数年前、某巨大掲示板にその情報が投稿されて話題になったらしい。

 捕鯨調査船員が海で目撃したとかっていう話だから、そもそも陸で探すこと自体がおかしいのだけど、お宮さんは僕の話に耳を貸さずに、その情熱だけで突っ走っていった。


「未確認なんだから、生態だってまだわかってないことだらけのはずでしょ。陸にいたって、不思議でもなんでもないよ」


 トンデモ理屈の登場だ。これがお宮さんの口から出てくるとなると、イヤな予感がする。


「私が思うに、《幸運の男神さま》とヒトガタ、同じ人のことを言っているんじゃないかなあと。目撃者の地域も日付も近いしさ、結構当たってるんじゃないかな」


「う、うーん……どうだろう」


 お宮さんは完全に確証バイアス状態で、彼女自身の信じる根拠以外を受け付けない感じだ。

 僕は言葉を濁して苦笑いすることしかできない。


「それに全員じゃないけど、《幸運の男神さま》は真っ白な身体って書いている人も数人いるし、共通する情報なら信憑性も高まってくる気がしない?」


 お宮さんは再び件の『実体験』をスマホに表示させて、僕に差し出す。

 仕方なく受け取って感想を眺めていると、なるほど、たしかに「真っ白な身体」と書いている人も幾人かいるみたいだ。

 とはいえ、この情報だけで《幸運の男神さま》とヒトガタを同一の存在と見るのは、少し乱暴すぎやしないだろうか。


「真っ白な身体……あっ」


 そういえばアマデウスも白い肌をしていたな。

 全裸メタボのおっさんにしか見えないから、UMAのヒトガタではなくとも《人型》とは言えるかもしれない。


「なになに、その反応! 思い当たる節でもありそうなその顔の理由は?」


 お宮さんは僕の反応を見逃さず、前傾姿勢で食いついてきた。


「ひょっとしてこの間言ってた、よしのんの友達が飼っている猫と何か関係が?」


 エアマイクを片手に、お宮さんの質問攻めが続く。

 机を挟んだ向かい側から、ずずいと顔を近付けてくるお宮さんの顔が、僕のすぐ目の前にある。お宮さんは愛嬌もあるし可愛らしい外見をしているから、こういう話題でなければドキドキしてしまいそうなくらいの素晴らしきシチュエーションなのに、僕の胸が一向に高鳴らないのはなぜだろう。

「会いたい、会わせて」とあまりにぐいぐいとくるものだから、僕は曖昧な返事を出すこともできず、代わりに彼女が納得しそうな答え(嘘)を話すことにした。


「友達の家からは出て行ったみたいだよ。残念だけど――」


「じゃあ、今から探しに行こうよっ。ほら、早く早くっ!」


 言うが早いか、お宮さんはすでに教室から出て行った。

 僕は手がかりがないと暗に述べたつもりだったのに、それが却ってお宮さんのやる気を増長させてしまったようだ。

 断る理由も思い付かず、僕は渋々、お宮さんの背中を追いかけた。

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