第6話
「よしのん、何ニヤついてんの?」
昼休み。僕が自席で惚けていると、お宮さんが声をかけてきた。
「えっ? ええと……その、何というか……」
どうしよう。正直に白状すべきだろうか。
僕が自分でも気が付かぬうちにニヤニヤしていた理由は他でもなく、昨日の出来事を思い出していたからである。
我が家に憧れのアイドルがやってきた奇蹟は、こうして翌日になっても僕の心を明るく照らしてくれている。
本当は自慢したい。でも、白峰さんのことを思うなら、黙っていた方が良いのではなかろうか。個人情報的な観点から考えても、無関係の人にベラベラと話す内容ではない。
それに、僕だけの思い出として、胸の中に大切にしまっておきたい気持ちもある。悩ましいところだ。
「ははあ、さては良いことでもあったんだね。何があったのか教えてたもう!」
お宮さんは今日もテンションが高く、窓の外で僕らを見下ろす太陽みたいに元気いっぱいの笑顔をこちらに向ける。
「いや、別に良いことっていうか、大したことは……うひひ」
嘘を吐いた。そのつもりだったけど、思わず口から笑い声がこぼれてしまう。
我ながら気色悪いとは思う。でもこれは仕方がない。不可抗力ってやつだ。
「そんなこと言わないでさ、私にも幸せをお裾分けしてよ~。昨日、キム兄と何かあったの?」
「アニキと? どうしてそこでいきなりアニキが出てくるの?」
「だってよしのん、昨日キム兄と話してから元気になったから」
お宮さんは鼻息荒く言った。なんだかよくわからないけど、とても興奮しているらしい。
「まあ、アニキといると妙に安心する感じはあるけど……」
アニキは誰にでも壁を作らずに明るく接する優しいナイスガイだ。筋肉バカな部分は少々受け止めにくいけど。
そんなアニキと一緒にいると、たしかに元気をもらえるような気はする。
「なんだ、またオレの噂をしていたのか?」
昼のトレーニングを終えたアニキが教室に戻ってきた。
アニキは僕の隣に座り、持参した水筒を取り出す。
「キム兄、いつも何を飲んでるの?」
「ん? ああ、これか。こいつは魔法の粉だ」
「魔法の……粉?」
随分といかがわしい。まさかアニキが脱法ナントカに手を出すことはないだろうけど……。
水筒の中身をのぞき込む。白い液体で満たされているようだ。
「プロテインさ。運動の後はやっぱりこいつだよな。この白濁した液体が、オレをさらなる高みへと誘ってくれる」
白濁……。魔法の粉もそうだけど、もう少し表現をどうにかした方が良いような気がする。
「どうだ実、オレの白濁液、飲んでみるか?」
アニキはそう言って、口元から白い歯を覗かせる。
お宮さんは「ぐはあっ! は、鼻血が……」と、妙な反応を見せる。
「い、いや、今は喉渇いてないし」
「そう遠慮するな。こいつはオレ特製のスペシャルドリンクだぞ。たっぷりと濃厚なエキスがぎゅっと詰まっているし、すぐに身体に栄養として吸収される」
ますます誤解を与える表現だ。アニキには悪気はないみたいだけど、白濁液なんて言われた物を口に入れる勇気を僕は持っていない。
「うーん……せっかくだけど、それはアニキの分だから遠慮しておくよ」
「実は本当に優しいヤツだな。よし、明日は実の分まで作ってこよう」
しまった。丁重な断りをしたつもりが、却ってアニキにやる気を起こさせたみたいだ。
プロテインを飲むこと自体はまあ問題ない。
でもそれを、教室内という衆人環視の状況で行うのは、いささか問題がある。
「……ぐふっ。その様子だと、よしのんの元気の源は、キム兄からもらったサムシングじゃないみたいだね」
鼻をハンカチで押さえつつ、お宮さんは話を戻す。
「言われてみりゃあ、今日の実はどこかひと味違うな。男から、漢になったって感じだ」
「男……《幸運の男神さま》にでも会ったとか。……あっ、もしかして白峰夢乃ちゃん?」
「どっ、どどどどうしてそれをっ!」
僕は図星を突かれ、動揺しまくった。
お宮さんにもアニキにも、僕がアイドルグループ《巫女》を好きだと話したことはある。
でも、ただそれだけの理由で、なぜお宮さんに言い当てられてしまったのだろう。
「やっぱり。どうりで浮かれてるなあって思った」
「み、見てたの?」
誰にも話してない事柄なので、夕べ僕の家に白峰さんが来ていた場面を目撃していたとしか考えられない。
あのときは緊張で周りに気を配る気持ちの余裕がなかったから、こっそりと覗かれていても気が付かなかったのだろう。
「うん? 見てたっていうか……ほら、これこれ」
お宮さんはスマホを操作して、画面に何やら表示させている。
差し出されたスマホの画面を見ると、そこには見覚えのある人物が遠目に写っていることがわかった。
「白峰さん……ってこれ、うちの前だ!」
薄暗くて見えにくいけど、さすがに自分の家はすぐにわかる。
この画像は、昨日、白峰さんが僕の家から帰るときのものだ。制服も昨日と同じだし、何より彼女が我が家にやってきたのは昨日が初めてだからである。
「えっ、この画像を見てニヤついてたんじゃないの? 私、てっきり……」
撮影者の意図か、画像は僕の家から白峰さんが出てきたといった様子ではなく、偶然通りかかった風に見えるようになっていた。
構図にしても、白峰さんを中心に捉えたものではなく、どこかおかしい。
「誰が撮ったんだろう……これってニュースサイトなわけないよね。これを見る限りでは、ちゃんとしたカメラマンが撮影したってよりも、ファンが盗撮したって感じだけど」
「盗撮? そいつぁいかんな。オレもよく撮られるからわかるが、いくら人気者でもプライベートってのはある。それを侵害するなど、ファンのやることじゃねえ」
アニキの言うとおりである。
芸能人ならではの有名税という考え方もあるけど、度が過ぎればそれは店に対して「こっちは客だぞ。お客様は神さまのはずだろうが」というなんとも身勝手な理屈を持ち出す客となんら変わりはない。
ファンならば、少なくとも応援する対象に迷惑をかけてはいけないと思うはずだ。
「お宮さん、ちなみにこれ、どこのサイトで見つけたの?」
「《あなたの町のご近所オカルト》っていうサイト。私、ここよく閲覧するから。《幸運の男神さま》の情報もここに掲載されてたものだよ」
また何ともいかがわしいサイトだ。
しかし、アイドルの盗撮画像がどうしてこのサイトに掲載されているのだろう。
白峰さんとオカルトの繋がりなんて、僕には思い付かない。
それを尋ねると、お宮さんは眉根を寄せて腕を組み「うーん、それは私にもわからないなあ」と頻りに唸っていた。
このサイトの常連であるお宮さん曰く、アップされる画像や動画には、何らかの説明文が載せられることがほとんとらしい。
にも関わらず、白峰さんの画像については何ら説明文もなく、常連のお宮さんは違和感を覚えて一応念のためと、保存しておいたらしい。
「ストーカーってヤツじゃねえか。オレもよく尾行されるからわかるが、されて気持ちの良いものじゃねえよな。人気者はつらいぜ」
ストーカーか。そうだよ、どうしてそんな単純な答えを導き出せなかったんだ。
アイドルと盗撮、この二つの要素から考えられるのは、分を弁えないファン(とは呼びたくないけど便宜上)の行き過ぎた行為だ。間違いない。
「キム兄も追いかけられるの?」
「ああ、以前通っていたジムのヤツに言い寄られてな。オレの鍛え上げた身体に憧れを抱くのは構わねえが、限度ってものがあるだろう。さすがに便所までついてこられたときには一発お見舞いしてやったぜ。まあ、元々ケツの穴の小せえヤツだから、ちょっと気合い入れてやったらすぐに大人しくなったが」
アニキの恐ろしい実体験(色々な意味で)はともかく、これは耳を素通りできない仮説だ。
僕の応援するアイドルが、ストーカー野郎に悩まされている。
今はまだ仮説の域を出ないが、これが事実だとしたら由々しき事態である。
白峰さんの純粋なファンである僕の鼻が、匂う匂うと反応していた。
☆ ☆ ☆
「ミノル、テレビ、シラミネ?」
「ん……ああ、そうだよ。白峰さんだ」
夕食を終え、僕は部屋に戻って、録画保存してある《巫女》のライブ映像を眺めている。
隣にいるアマデウスも、なぜか興味を持っているらしく、今は大人しくしている。
本当は一人で見たいと思っていた。でも、怪しげなな全裸おっさんとはいえ、同じものに惹かれているというのは、なんだか嬉しい。仲間が増えたみたいだ。
白峰さんは、まだデビューしてから一年と経たない新人アイドルグループの一員だ。残念ながら、まだ世間的な認知度も低い。
そのせいか、僕の周囲ではまだファンを公言している人と出会ったことはない。
だから、たとえ猫(僕の目には全裸おっさん)であろうとも、こうして一緒にライブ映像を見て話ができる相手がいるというのは、僕にとって嬉しいことだ。
テレビにも出演しているし、ライブだって頻繁に行っているから、そのうちにファン層も拡大していくだろうと期待している。
身の回りで白峰さんを追いかけている人物なんて、知り合いにはいないけど、きっといつか――
「なあ、昨日さ、白峰さんがうちに来たとき、家の周りに変なヤツとか見なかったか?」
僕はふと思い付き、アマデウスに尋ねる。
昼間、学校でお宮さんから見せてもらった、あの盗撮画像を思い出していた。
皮肉なことに、僕の周辺で白峰さんの話題を発信しているのは、あの画像を撮影した、彼女のストーカーらしき人物だけだ。
僕自身は白峰さんの来訪に興奮してまったく気が付かなかったけど、もしかしたらアマデウスは見ていたかもしれない。
「ミノル」
全裸おっさんは、間髪入れずに答える。
「う、うるさい。たしかに僕は昨日、憧れのアイドルがうちにやってきたことで興奮して、いつもよりもおかしな言動があった。それは認める。けど、僕が言っているのはそういうことじゃなくて――」
僕がアマデウスに対して言い訳を述べ立てていたときだった。
ガシャン、と派手な音を立て、窓ガラスが割れた。
「うおっ! ……な、なんだ、何事だ?」
わけもわからず、僕は身を縮めて様子を伺う。
部屋には割れたガラスの破片が飛び散っており、うっかり移動すれば、その破片で足を切ってしまいそうだ。
「……石? これが原因か?」
部屋中に散乱する窓ガラスの破片に混じり、拳大の石があるのに気が付いた。
誰かが僕の家めがけてこれを投げてきたのだろうか。
これが石でなく、野球のボールだったらそうは思わない。すぐ裏手に公園もあるし、そこから誤って飛んできたという推測も現実的に感じる。
つまり、これを投じた相手は、明確な意志を持ってこれを行ったということだ。
僕は細心の注意を払って窓際に忍び寄り、外の様子を確かめる。
「は、犯人はもういないみたいだ……。おい、大丈夫か、アマデウス?」
街頭が照らす夜道に目を向けたまま、僕は部屋の中で怯えているだろう全裸おっさんに、安否確認の言葉を投げた。
しかしいくら待っても返事がない。僕は慌てて振り向き、アマデウスを探した。
「あれ……アマデウスが、いない?」
その代わり、ドアは開いていた。どうやらヤツは逃げていったみたいだ。
一応しばらく待ったけど、続けざまに石が投げられることもなく、犯人も行方を眩ましたようだった。
「ま、無事ならいいか……って、何だこれ」
部屋の片付けをしようと、飛び散ったガラスを拾い集めていると、拳大の石に折り畳まれた紙が括り付けられていることに気が付いた。
紙を開いてみると、そこには赤いインクでこう書かれていた。
『安眠したければ、彼女に手を出すな』
定規で引いたと思しきその文字の一つ一つから、怨念のようなものが感じられる。
と、これを見た僕の頭の中で、この投石犯人と、お宮さんが見せてくれた盗撮画像の主が繋がった。
見ていろよ、犯人。
危険因子に対して心の中で呟き、僕はファンとして白峰さんを守る決意を固めた。
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