第4話
帰宅した僕を待っていたのは、これでもかというくらいに散らかった部屋だった。
タンスの引き出しは全て口を開け、押入の中身もぶちまけられ、ただでさえ広くはない六畳間がますます狭く感じる。
「……これ、お前がやったのか?」
僕は目の前にいる全裸のおっさんに問いかけた。
最初は泥棒でも入ったかと思ったけど、考えてみれば、犯人候補の最有力容疑者はあいつしかいないだろう。昨日の今日だ。他にめぼしき要因は考えにくい。
言葉がどこまで通じるのかはわからない。でも昨日、母さんの目をごまかすためにと送った合図を、全裸おっさんはたしかに受け取っていた。期待しても良いだろう。
「お前が散らかしたのか?」
しかしメタボ腹から何ら反応が伺えないので、もう一度、今度は強めに訊いた。
全裸おっさんは小首を傾げ、不思議そうに僕を見ている。
……なんだかイライラしてきた。昨日からこいつのせいでろくに寝ていないのが影響しているみたいだ。
僕が母さんや父さんと同じように、こいつが白くて可愛らしい猫に見えているなら、まだ微笑ましいと思うこともできたかもしれない。今まで動物に縁のある暮らしをしてきたわけじゃないけど、きっとそうに違いない。
でも現状、僕にはこいつが白猫とは到底思えない。
中年太りの怪しげなおっさんが猫と同じように行動したとしても、これっぽっちも情などわいてこないし、萌えも感じない。
「……ったく、どうせ人に見えるなら、もっと若くて可愛い女の子ならよかったのに。……そう、たとえば白峰夢乃さん、とか」
彼女の姿に見えたなら、たとえ妄想にとりつかれていたとしても大歓迎だ。
しかも全裸だなんて……想像しただけで鼻血を出してしまいそうだ。
実際にそうであった場合、もしかしたら僕は出血多量で異世界ダイブしてしまうかもしれない。
「シラ、ミネ……」
「そうそう、白峰さん。僕と同い年で、昨年デビューしたばかりの新人アイドル……って、お前、今何か言った……?」
気のせいだろうか。低くくぐもった声が聞こえたような……。
おっさんは相変わらず小首を傾げたまま、僕をじっと見つめている。
「まさか……話せる、とか?」
僕の疑問は、しかし突如部屋に鳴り響いた着信音で霧散してしまった。
ピピピピピ、とけたたましく鳴り続ける電子音。
僕のスマホではない。僕の着信音は白峰さんが所属するアイドルグループ《巫女》のデビュー曲に設定してある。
耳障りでしかたないので、僕は散らかった部屋の中、渋々捜索を始める。
途中で電子音が途切れたので探すのを諦めようかと思ったけど、また鳴り出されても困るので捜査を継続する。
「ん、ここか? ……ああ、あったあった」
折り重なった紙の束に埋もれていたその携帯に見覚えはない。
「誰の……いや、そもそもどうして僕の部屋に?」
なぜかスマホにはロックもかかっていなかったので、僕はオーナー情報を確認すべく指を滑らせる。あくまで持ち主に届けようという、善意からである。
「え、白峰……? 白峰夢乃、だって……?」
僕は自分の目を疑った。信じられないことに、オーナー情報には僕の大好きな白峰さんの名前が登録されていた。
これだけではただの……いや、熱狂的なファンの仕業ということもあり得る。
僕はいけないことだと知りつつも、他のページにも目を通しておくことにした。
すると、画像データやメール、SNSに至る全ての情報が、本人しか知り得ないような内容で溢れかえっていた。
熱心なファンを自覚している僕でさえ知らなかった情報が、ここにはぎゅっと詰まっている。これがもしも本物ならば、ファン垂涎の宝といって差し支えない代物である。
まさか本当に、アイドル白峰夢乃さんのスマホなのか……?
「ヒロッテキタ」
振り向くと、おっさんがふんふんと鼻息荒く、興奮していた。
「……これ、お前が持ってきたのか?」
おそるおそる、僕はメタボ腹に尋ねる。
もはやこのおっさんが猫であろうが喋ることができようが、そんな些細なことはどうでもよくなっていた。
「ソウ。オレ、シラミネ、ヤッタ」
途切れ途切れに言葉を紡ぐ全裸おっさんの表現にはいささか問題はあるけど、それよりも今は別のことが気になって仕方がない。
「本当に白峰さんのスマホ? あのアイドルの?」
僕の問いに、何度も頷く全裸のおっさん。何か期待しているような素振りに見える。
「ヒロッテキタ。オレ、シラミネ、ヤッタ」
「……その表現はやめろ。無性にイライラする」
おっさんは繰り返しそればかり口にして要領を得ない。
額面通り受け取るなら、おっさんがこのスマホをどこかで拾ってきたらしいけど……まさか盗んでやしないだろうな。なんだか急に不安になってきた。
僕がそんな思いを視線に込めて、おっさんを睨みつけていると、またしても電子音がけたたましく響いた。
「うわわっ!」
驚きつつも画面を見る。非通知で電話がかかってきたらしい。
どうしよう。僕が出るべきだろうか。
非通知でかけてきたことから推測するに、友人や家族といった親しい間柄ではないように思う。事務所の可能性も考えにくい。となると――
「ひょっとして、持ち主がかけてきた……?」
いたずら電話もあり得るけど、僕の脳は期待で膨らんだ妄想で満たされており、それしか考えられない状態になっていた。
白峰さんからの電話だったなら。そう考えるだけでドキドキが止まらない。
落としてからまだ時間が経過していない場合、持ち主がかけてくる可能性は大だ。
僕は意を決して、電話に出ることにした。
「……も、ももももしもし」
自分でも声が震えているのがわかる。おまけにどもってしまった。
もしも電話の向こうで白峰さんが聞いていると想像すると、とても平常ではいられなかった。これでは変態野郎と思われてしまっても仕方がない。
「ああああの、ぼぼぼく、その、このスマホを、ひひひ拾ってしまいまして、その、本当に申し訳ない、というか」
慌てて弁明を試みるも、未だ鼓動が激しく胸を打っており、内容も意味不明な上、怪しさを際だたせてしまった感は否めない。
イヤな思いをさせてしまった。きっと電話の向こうで、白峰さんはその美しい顔を歪めていることだろう。
ただでさえスマホを紛失して落ち込んでいるだろうに、僕のせいで気分の悪さに拍車をかけてしまった。
これ以上通話を続けるのは無理だ。僕の精神は限界に達しようとしている。
スマホは後で交番にでも届けに行こう。警察を介してスマホを受け取った方が、こんな変態野郎から直接手渡されるよりも気分は良いはずだ。
僕は通話を終了させるべく、耳からスマホを離そうとした。そのときだった。
『ありがとうございますっ!』
テレビやCD、ラジオやライブなどで馴染みのある透き通った声が、電話の向こうから聞こえてきた。
「……へっ?」
自分の顔は見えないけど、僕はきっと鳩が豆鉄砲でも喰らったような面を曝しているに違いない。罵りや嫌悪のこもった台詞を期待……じゃなく予想していただけに、相手からお礼の言葉が飛び出てくるなんて考えもしなかった。
『拾っていただいてありがとうございます! よかったあ……』
心底安堵したといった感じで、通話相手は溜息混じりに言った。
「あ、あの、この携帯、どこに届ければ……よ、よければ僕、ひひひ暇なので、お届けに上がる所存であります」
『いえいえ、届けていただくなんてとんでもないです。差し支えなければわたしが取りに伺いますので、どちらにいらっしゃるのか教えていただけませんか?』
僕は言われるがままにこの家の住所を口にしていた。
『――ですね。十五分くらいで到着できると思います。申し訳ないんですが、少しお時間いただけますか?』
「そっ、それはもう! 僕、今日は一日暇を持て余していたところでして……ええと……」
はっと息を飲む音がした。
『あっ、ごめんなさい! まだ名乗っていませんでした』
彼女は自己紹介が遅れたことを詫び、慌てた様子で名前を口にする。
『わたし、白峰夢乃です』
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