第3話

「ねえよしのん、《幸運の男神さま》って聞いたことある?」


 朝一番とは思えないほどテンション高く、お宮さんは鼻息荒く言った。

 昨日、僕の身に起きた奇っ怪な出来事を、あくまで友人のこととして要点を掻い摘んで話すと、お宮さんはやたらと前のめりになって食いついてきた。その返答がこれである。

 正直に自分のことだと伝えようかと思ったけど、母さんみたいに過剰な反応をされても困るので、緩衝材を挟むことにした。

 お宮さん――宮野真希奈みやのまきなさんはクラスメイトで、隣の席に座る女の子だ。

 あけすけな物言いが印象的なクラスのマスコット的存在の彼女は、裏表のない人柄が男女の性差なく人気を集めている。

 一言で言い表すなら、近所の明るいおばちゃんという感じ。今はまだぽっちゃりの範囲内に収まっているけど、将来的には太……ふくよかな体型になるのが想像できそうだ。失礼だから口には出さない。


「……お宮さん、また何か妙なオカルトにハマってるの? 《幸運の男神さま》って……女神さまなら聞いたことあるけど」


 また、というのは、以前も彼女がそうして広めた噂話があったからだ。

 二ヶ月ほど前になるだろうか。五月のゴールデンウィーク中に、パワースポット探しという名目で僕はかり出された。足を棒のようにして歩かされたことはまだ記憶に新しい。

 ……まあ、そういう彼女だからこそ、メタボおっさんのことを相談しているわけだけど。


「幸運をもたらすのは、女神さまだけの特権じゃないでしょ? 八百万の神さまの中には、きっとイケメンもいるって――」


 お宮さんが熱弁を振るおうかというそのとき、ガラリと扉が開いた。


「うっす。イケメンって聞こえたが、俺のことを噂していたのか」


 不遜な台詞と共に教室に入ってきたのは、クラスメイトのアニキだ。

 アニキ――木村優きむらまさるくんは今時珍しいポンパドール&リーゼントの不良スタイルで、学ランがぱっつんぱっつんになるほど全身を鍛え上げたガチムチマッチョな男――いや、漢である。

 とても同じ十六年という年月を重ねてきた人間には見えないことから、クラスではキム兄とか、アニキと呼ばれている。ダブリではないらしい。


「おはよう、アニキ」


「おお実、今日は身体の具合、平気なのか?」


 アニキは僕を見つけると、昨日休んだことを心配しているのか、そんな言葉をくれた。


「う、うん、まあ平気、かな」


「実、病み上がりならあまり無理はするなよ。風邪は治りかけに油断すると長引くからな」


 僕の背中を優しくさすり、アニキは口元から白い歯を覗かせる。

 昨日休んだ理由を伝えてはいないけど、アニキは僕の欠席を勝手に病欠と捉えているようだ。まあわざわざ訂正する必要もあるまい。

 それを見て、なぜだか隣に座るお宮さんが頻りに頷き、「ぐっじょぶ、ぐっじょぶ」と親指を立てていた。

 ……寒気がする。本当に風邪を引いたのかもしれない。


「ねえキム兄、聞いたことない? 《幸運の男神さま》の噂」


 お宮さんが今し方僕に伝えた話を、そのままアニキに伝える。

 ある人には動物、ある人には人間の姿に見えるというのが、お宮さんの言う《幸運の男神さま》の噂に当てはまる内容らしい。


「何だそりゃ? そんな噂、ついぞ耳にしたことはねえが……」


 ほっとした。自分だけが知らない常識だったらとうしようかと思ったけど、アニキも知らないみたいだ。


「そうだよね、普通、幸運といえば――」


「ああ、肉体だよな」


「やっぱそうだよね……って、ん? 肉体……?」


 女神、という言葉が続くと期待していた僕の耳に、何か妙な単語が入ってきた。

 しかも当然というニュアンスを込めていたような気がするのは、僕の気のせいだろうか。


「笑う角には福来るっていうだろう。つまり、前向きな心を持つヤツのところにこそ、幸運が訪れるってことだ。健全な精神は健全な肉体に宿るともいうからな」


「ちょっと意味が……」


「要は男だろうが女だろうが、ポジティブハートを乗っけられる強い肉体を作り出すのが、幸運を呼ぶ一番の近道だってことだな」


 そう言うとアニキは口元を綻ばせ、先ほどお宮さんがそうしたように、僕に向かって親指を立てる。

 ますます意味がわからないし、話の筋も変わっている。

 強くて優しい良い人なんだけど、アニキは自分が鍛えていて思い入れがあるからなのか、どんな話もマッチョな方向に誘う傾向にあるのが玉にきずだ。


「ところでさ、よしのんの言ってたその友達って、まだその猫と一緒に暮らしてるの?」


「暮らしているというか……あいつが出て行かないから、まあそういうことになる、のかな」


 僕は苦々しい記憶を引っ張り出しながら言った。

 昨日の晩から今朝にかけて、僕はあの全裸おっさんと共に部屋で過ごした。

 病院から帰宅したとき、父さんが違和感なくメタボっ腹を連れてが出迎えてくれたおかげで、ここが気絶する前と地続きになっている現実なのだとげんなりした。

 メタボおっさん――両親曰く白い猫――が一向に出て行かないので、仕方なく僕の部屋を一晩提供することにしたのだ。人生で最悪の夜だったのは言うまでもない。


「あいつ? 随分と親しげだけど、もしかしてよしのんもその《幸運の男神さま》に会ったことあるの?」


 げえっ、しまった。つい、油断した。

 お宮さんはキラキラと輝く興味津々の顔をこちらに向け、僕に何か期待を寄せている。


「い、いや、そうじゃなくって、その……」


「お願いっ! 私にも会わせてっ!」


「俺も興味あるな。その男の身体、いかに鍛え上げているのか」


「皆で会いに行こうよっ! 私とよしのんとキム兄でさ」


 言い繕うつもりで言葉を探すも、その間にお宮さんとアニキはすっかり僕が件の《幸運の男神さま》と知り合いという前提で話を進めてしまっていた。

 どうしよう。何て説明すれば……。

 いや、別に会わせてもいいんだけど、もしも二人の目に、メタボおっさんが猫に映ってしまったら、僕が自分の頭を本気で疑わなければならない。

 お宮さんの仕入れた噂話が本当であってくれれば問題はない。でも冷静に考えれば、人の姿に見える猫を信じるよりも、僕自身の脳を疑う方が現実的だろう。


「ま、まあ、そのうちにね」


 僕は慌ててその話を打ち切った。

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