第35話 解体現場

 囲いが取り払われた解体現場に、老夫婦は立ち尽くしていた。

 思い出が詰まった我が家は、土だけの更地に変貌していた。

 周囲には住宅やマンションや中層ビルやコンビニが立ち並ぶ中、まるで地球のへそのように空虚な穴ぼことなったこの一角に、秋風が通り抜けた。

 五十年出入りした玄関も、廊下を歩いてガラス戸を開けた先の居間も、妻が料理を作り続けた台所も、風呂場も、二人の寝室も、トイレも、本で埋め尽くされた奥の書斎も、上り下りする際に軋む音がした木板の階段も、長女や長男が勉学に励んだそれぞれの部屋も、南向きで風通しの良かった物干し場も、そして柿の木も、全て無くなり更地と化していた。

 老夫婦は茫然と眺め続けた。

 若い二人から始まったこの家での歴史。長女が生まれ、長男が生まれ、夫婦の喜怒哀楽と共に成長していった子供たち。やがて長女が嫁いで出て行き、長男が結婚し、二人の孫が生まれ、成長し、家族全員それぞれの人生を築かせてくれたこの家が、いまや跡形もなく風だけが抜ける場所となっていた。

 多い時には六人で生活した我が家。それでも広い家だと感じていたが、何もないこの場所の狭さに二人はあらためて驚いていた。

 婦人は一歩ずつ前に進み、玄関から夫の書斎まで昔を思い出しながら歩いた。何度も立ち止まってはかつての生活を蘇えらせた。夫も後に続いて歩いた。しばらくして二人は、居間のあった場所に顔を合わせるように並んで腰を落とし、何もない場所に座った。そして両手を土に置き足を投げ出して空を見た。

 「どうして売ったりなんかしたんでしょうね」婦人が呟いた。

 「どうしてだろうね」夫が応えた。

 「あんなに酷い業者がいるなんて」

 「運が悪かったのかね」

 「何か伝えられる術があれば、良かったんですけどね」

 「仕方ない事だよ」

 「そうでしょうか」

 「悪い事は続かないよ」

 「そうですかね」

 「みんな一生懸命に生きてるんだ。真っ正直に生きているんだ。そんな子供たちに悪い事が続いてなるもんか」

 「そうですね」

 「そうさ」

 「私たちに出来る事はないかしら」

 「そうだねぇ」

 「何か出来る事はないものかしら」

 婦人は深いため息を吐いて、夫の手の上に自分の手を置いた。

夫は婦人の顔を見て、哀しい表情で笑みを見せた。婦人は夫の肩に頭を寄せて目を閉じた。

 夕暮れ間近の風が老夫婦の頬を撫でるようにそよいだ。

 学校帰りの小学生たちが、楽しそうな会話をしながら通り去って行った。


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