第33話 葬儀場にて

 故武藤貞夫葬儀式場と書かれた案内板に灯る明かりが消された。

 葬儀場を通り過ぎようとした時、自転車の後部座席の作蔵が背中をポンと叩いて止まれを合図した。

 「何?」拓也は振り返って訊くと、作蔵は前方を指差した。

明かりの消えた葬儀場から数人の喪服姿の人たちが出て来た。武藤家の親族のようだった。

 作蔵は荷台から降りて褄下を正した。

 親族の声が聞こえて来た。

 「想像以上に来てくれたね」

 親族の一人、黒いワンピ-スを着た女性が言った。

 「本当だよな」

 「あんなに交友があったなんて知らなかった」

 「でも、よく知らせられたね。兄さん」

 「おじさんたちのお陰だって」

 「おじさん、おばさん、ありがとう」

 「あなたたちこそ、ありがとう。立派になったね」

 「本当だ。みんな立派になった。兄さんも、喜んでいると思うよ」

 親族たちが拓也たち二人の前を通り過ぎて行く。

 「ところで雄一君、あの家はどうする?」

 「はい。僕らの実家ですからね。兄弟で相談して、誰が住むかって話を考えています」

 「そうか。それはいい事だね」

 「お父さんが建てた家だから、やっぱり子供たちが守らないと、ね、兄さん」

 「そうだね」

 拓也の前に一人の老人が立っていた。作蔵がにこりと笑った。

 老人は作蔵に手を差し伸べて握手をした。そして拓也に向かって深々とお辞儀をした。

 拓也も深く頭を下げた。

 「ありがとう。君のお陰だ。本当にありがとう」

 老人はそう言って拓也にも握手を求めた。拓也は両手で老人の手を握った。

 老人はそのまま、歩き去った親族たちを優しい目で見送りながら消えて行った。拓也の手から人の感触がなくなった。



 カッコウの鳴き声が聞こえた。チャイムの音だ。佳苗は反射的に時計を見た。八時半。

 「パパが迎えに来たよ」とソファに寝ている沙紀に静かに声を掛けて、玄関まで早足で向かった。

 ドアの前では、はぁはあと息をしながら疲れた表情の竜次が「すいません・・・こんな遅くなって・・・ごめんなさい佳苗さん」と言った。

 「お疲れ様です。遅くまで」と声を掛けた佳苗は急いで部屋に戻り、寝ていた沙紀を抱きかかえて玄関まで戻った。

 佳苗の腕に抱かれた沙紀は片目を開けて「おじいちゃん?」と言った。佳苗ははっとして沙紀を見たが「ごめんねぇ、起こしちゃって」と小さな声で言った。

 「ごめんな~沙紀ちゃん。ごめん、ごめん」竜次はそう言ってから沙紀を受け取り、佳苗に向かって何度もお辞儀をした。佳苗はにっこりと笑って「沙紀ちゃんいい子にしてましたよ」と応えた。

 沙紀を抱え込んだ竜次は、ドアを背中で押しながら表に出て行った。

 佳苗もすぐ後を追った。竜次の腕の中で大きな欠伸をした沙紀の横顔に、佳苗はほっと息を吐いたが、竜次に伝えなければならない事があった。

 沙紀をシ-トに乗せ込んでサドルにまたがろうとした竜次を、佳苗は呼び止めた。

 「加藤さん」

 竜次は遅くなった事を咎められるのかと思い、一瞬閉口して上目遣いに佳苗の表情を伺った。佳苗は竜次の耳元に手を添えて小声で話した。

 「ご存知かどうか分かりませんが・・・沙紀ちゃんの友達の三浦さん、三浦ユミちゃんと妹さんが先日、事故で亡くなりました」

 竜次は目を見開いて佳苗の両目を交互に凝視し、沙紀に目を向けた。沙紀はトロリとした目でぼんやりとしている。竜次は佳苗の顔を再び見て尋ねた。

 「いつ、何処で」

 佳苗は眉を顰めて、まるで自分の責任かのように申し訳なさそうに小声で答えた。

 「金曜日の深夜、おばあちゃんの見舞いの帰りだったって聞いています。でも詳しい事は分かりません」

 竜次は顔を下に向け少しの間沈黙した。毎朝ここに停まっている赤い軽自動車が脳裏に浮かんだ。幼い姉妹二人の手を握り、扉を開けて入っていく母娘の姿が浮かんだ。優しい口調で「おはようございます」と挨拶をする物静かな母親が浮かんだ。

 「・・・で、沙紀は知っているんでしょうか?」

 「分かりません。でも、年長の子が話しているのを今日聞きましたから、もしかしたら・・・」

 「・・・そうですか・・・先生、教えてくれて、ありがとう」

 佳苗は竜次に頭を下げた。

 竜次もお辞儀をして、佳苗に顔を見せずにペダルに力を入れた。

 二人の後を佳苗は立ち尽くして見送った。何とも言い難い重たい心境だったが、慌ただしく息を切らせながら入って来た竜次に「佳苗さん」と呼ばれた事が心に残っていた。


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