第六章

第31話 拓也と作蔵と黒い物

 青信号になると、堰を切ったように多量の車が流れ出した。路線バスの後ろには、トラックがモクモクと排気ガスを撒き散らせて続いている。後続する数台が黒い煙の中を走り抜け、車道の空間に留まったガスの塊は、次第に引き千切られていった。

 ガスの匂いが漂う警察署前の垣根の横で、自転車のハンドルを掴んだ拓也と、後部席に足を揃えて座っている作蔵が周囲を見渡していた。

 作蔵は着物の下に出た足でパタパタと草履を動かしながら、誰かが来るのを見続けていた。通りかかる人や信号を渡る人などに目を向けていると、車両の行き来が激しい国道から一台のパトカ-が署に入って来た。二人は目で追いかけた。

 作蔵は鋭い眼光でパトカ-の中と、署内に目を向け「来とらんようだな」と言った。

 拓也は「外回りなんじゃないすか?」と聞いたようなセリフを吐いた。

 作蔵は拓也を見て「先生、どうする?ここで待つか、それとも出直すかね?」と言った。

 拓也は辺りをキョロキョロと見回してながら「どうしますか?」と誰かに尋ねた。

 警察署の玄関前に、長いこん棒を持って立っている警察官が、睨みつけるような目で拓也の様子を伺っている。そしてゆっくりと階段を降り近づいて来た。

 「何してるんですか、ここで?」

 拓也は慌てて作蔵に目をやり「どうしよう。何て言えばいい?」と小声で話しかけた。

 警察官は拓也をさらに睨んで続けた。

 「さっきから、ここで何をしてるんだと聞いてる」

 拓也は警察官に向き直し、おどおどした顔をして答えた。

 「いえ、あの・・・ちょっと人を待ってまして」

 「ここでか?」

 「あっ、はい・・・待ち合わせで」

 「署内の誰かか?」

 「いえ・・・警察関係の方ではないんですけど・・・」

 「ここは警察署の出入り口だから、人を待つならもう少し脇に寄りなさい」

 拓也は小刻みに頭を下げて「はい」と返事をした。作蔵は拓也を見て、にやりと笑った。

 拓也は自転車を引いて玄関が見えない場所まで移動した。警察官はその様子を確認して玄関の入り口に戻った。

 「そっか。不審者に見えるよね」拓也が作蔵に言った。その時、拓也たちの目の前を二人の男が横切り、署内に入って行った。

 (あれだ)と声がしてその僅か後、拓也の体から一人の老人がすっと抜け出し二人に付いて行った。作蔵は「おう、来た来た」と言って老人を目で追った。

 こん棒を持った警察官が二人に敬礼をし、二人と老人はそのまま玄関から署内に入って行った。


 「思ったより早く出会えて良かったですね」拓也はハンドルを持って自転車を押しながら作蔵に言った。作蔵は後ろに座ったまま、ゆっくりと街の景色を眺めている。そしてぽつりと言った。

 「わしが生きていた頃はこの辺は何も無かったなぁ」

 拓也はチラリと作蔵を見て「そりゃそうですよね。二百年以上前だもんね」と言った。

 まるで祖父と会話をしているような暖かな気持ちを抱いて、拓也は作蔵との会話を楽しんでいた。

 「こんな世の中になるとは、考えもしなかった」

 「そうですよね」

 「高い建物も無ければ、信号やコンビニなんかもなぁ」

 「コンビニなんて言葉知ってるんですか?」

 「何百回この世に来てると思ってるんだ」

 「そっか」

 「わしが話す言葉も、お前が理解出来るように話してるんだぞ」

 「えぇ~、そうなんですか」

 「そうじゃ」

 「この先もずっと、こっちとあっちを行き来するんですか?」

 「いずれ無になる時が来る」

 「む?」

 「それぞれがお役目を終えた先は、みな、無になっていく」

 「無」

 「無だ」

 「無になるのはいい事?」

 「いい事だ。望みだよ」

 「ふ~ん」

 作蔵は一ブロック先にあるコンビニエンスストア-を指差して拓也に言った。

 「あのコンビニで売っているモンブランとか言うデザ-ト、お前帰りに買ってかんかい」

 「モンブラン?・・・食べられるの?」

 「お前が食べればいい。わしはお前の体に入れば味も分かる。・・・あれは旨い」

 「へぇ~。・・・でも、今月はそんな余裕ないっすよ」

 「何とかせい」

 「何とかって言ったって・・・」

 その時、作蔵は座席から飛び降り、目の前の交差点に向かって、歩くことなくすうっと移動して行った。

 拓也はそれに気付き、作蔵の向かう交差点に目をやった。

 東西南北に走る幹線道路、右折車線を含めると片側四車線ずつの大きな交差点だ。

 拓也からは対岸にあたる角のガ-ドレ-ルの車道側に、二十代中頃の男性が両手で膝を囲んだ体育座りのような格好で俯いている。左折車が来たら確実に引かれてしまうと、拓也は思った。作蔵は既に男の横に立っていた。拓也もペダルに足を掛け、急いで目の前の信号を渡った。

 男が座っている場所には赤信号でまだ行けない。拓也は信号を待ちながら男と作蔵を見続けた。注意して見ていると、男の後ろには影が立体化したような、半透明で黒っぽい物体が幾つも揺れている事に気が付いた。頭を下げ俯いていた男は、横に立つ作蔵を見上げた。顔は青白い。作蔵は男の顔を覗き込むようにして何かを話している。男は作蔵の顔を無表情に見ているだけだ。

 信号が変わった。拓也は急いで作蔵の近くに向かった。男が座る腰の辺りに置かれた枯れた花束に目が行った。

 「よくぞ耐えた、ここまで。申し訳なかった。見付けてやれずに、本当に申し訳なかったな」作蔵は男にそう声を掛けていた。

 拓也は自転車にまたがったまま、ガ-ドレ-ルの内側で様子を見る。行きかう人々が中途半端な場所で自転車を停めている拓也を、怪訝な表情で睨んで去った。

 「もう安心しなさい。よく頑張った。よく耐えた」

 男の後ろで蠢く黒い物体の中に一つだけ煙草の煙のような半透明の白い物が揺らいでいた。

 男はゆっくりと立ち上がり、作蔵を見つめながら初めて表情を変えた。笑った様に拓也には見えた。そして男の体が次第に透明になっていき、やがて消えた。黒い物体も、白い煙も瞬間消えてなくなった。作蔵もいなくなっていた。

 「おじいちゃん」

 拓也はあたりを見渡しながら声を掛けたが、帰って来る声は無かった。

 仕方なく拓也は(何だったんだろう) と思いながら家に向かって自転車を漕ぎ続けた。

 暫くすると十台程の駐車スペ-スがある大きめのコンビニエンスストア-を見付け尿意を感じていた拓也は、自転車を停めて中に入った。昼時のレジは混みあっていた。

 「モンブランじゃ」

声が聞こえた。

 「おじいちゃん?」なぜか拓也は安心感を覚えたが、拓也の発した声に何人かが振り向いた。拓也は素知らぬ顔で胡麻化した。そして心の中で作蔵に問いかけた。

 (もしかして亡くなった人?)

 作蔵も心で応える(一か月程前にオ-トバイの事故で命を失ったそうだ。後ろに黒い奴らがいたのがお前には見えたか?)

 (見えた)

 (奴らがあの若者を誘っていたようだ)

 (んんっ?)

 (あの場所を通る人間を同じように事故で死なせれば、この世から連れて行ってやると)

 (うん)

 (だが、あの若者は必死に耐えていた。一人だけ彼を守護する者がいたが)

 (あぁ、あの白い煙のような物だね)

 (あれは彼が小さい頃飼っていた犬だそうだ)

 (犬?)

 (彼が死んだ事を誰よりも早く知り、若者を守るために降りて来たそうだ)

 (へぇ~凄い)

 (その犬が彼を支えていた。そして若者は必死に誘いに耐えた)

 (おじいちゃんは、あの人が死んだ事は知らなかったの?)

 (奴らが隠していたと言うか、わしらには見えないように包んでいたと言うか)

 (あの黒いのもおじいちゃんの世界の人?)

 (いや、違う。わしらと奴らとでは住む世界が違う)

 (悪魔とか?)

 (悪魔というのをわしは知らんが、兎に角わしらとは、存在する次元が違う。誘いに乗っていれば、あの若者も奴らの世の中に消えて行くことになった。よく頑張った)

 (そうなんだぁ~)

 心の中の会話を続けている間に拓也はレジを済ませていた。ふとレジ袋を見ると、モンブランのケ-キが一つ入っていた。(やられた)と思いながら外に出ると、駐車所の片隅で四十代半ばのス-ツ姿の男性が、大きな声で電話をしていた。作蔵は拓也の目の前にふわっと現れ、拓也に目で合図をした。拓也は自転車をゆっくりと動かしながら、男の会話に耳を傾けた。

 「社長を出せよ・・・早く・・・出せよ・・・呼んで来いよ・・・早く・・・」

 作蔵は顔を強張らせ、男を睨む。

 「早く社長を出せっ・・・名前は何て言うんだ・・・バカかっ、お前んじゃない。社長だよ・・・俺が直接社長に話すって言ってんだよ・・・いつまでもごねてんじゃねぇ・・・駄目って、どういう事だよ・・・いいから出せっ社長を・・・なら今日中に何とかしろよ。家の解体ごときで、何で一週間も掛かんだよ、そうだろっ・・・土日休みだぁ、月曜だって動いてなかったじゃねぇか、いい加減な事いうな。だからお前じゃ駄目なんだよ、いいから社長を出せよ・・・予算なんか知らねえよ、そんな事・・・あしたデベロッパ-が来るんだよ・・・いいか、兎に角今日中だぞ・・・今日中に何とかしろよ・・・知らねぇよ・・・最低だなお前は・・・」

 拓也には男の周りに、先ほど見た黒い影のような物体が何体も揺れ動いているのが見えた。その中からやはり先ほど見た白い煙のようなものがこちらに近づいて来た。拓也はじいっと白いものを見続けたが、先ほどと同様に人間の姿に見える事はなかった。作蔵はその白い何者かと何かの会話をして頷いた。そして白い何者かはお辞儀するように体を曲げ、消えて行った。

 作蔵は拓也に目で行くぞと合図をした。拓也は頷いて自転車にまたがり、駐車場から遠ざかった。

 後ろに座っている作蔵は、ひっきりなしに行き来する車の音にかき消されないよう心で拓也に話を聞かせた。

 (あの男は、いつもああやって自分の非を認めずに他人に責を負わせているそうだ。他人の事などどうでもいいと思っている利己まみれの輩だ)

 拓也も心で作蔵に訊いた。

 (あの人は人間?)

 (人間だ。この世に生きている人間だ。解体業者の担当者と話していたらしいが、あの男は予算を削って仲介の人間から金を受け取ったと、そう言ってたぞ。そして高圧な態度で業者を責め立てていたようだな。土地を手にした時も、詐欺まがいの手口でとことん迄値切ったそうだ。どっちが最低だ、なぁ。お前には見えたか?守護していた者が去って行った姿が)

 (見えたよ。白っぽい煙みたいなのでしょ)

 (もうあの男の守護は諦めたそうじゃ。今まで色々な試みをしたが、結局駄目だったそうだ。それで、自らの役目を終えて、戻って行った)

 (じゃあ、あの人はどうなるの?)

 (さっきも言ったが、あの男は黒い奴らの世界に引きずり込まれる事になる。そうしてほぼ永遠にその世界の住人となり続ける)

 (白っぽいのは、元々人間だったの?人のようには見えなかったけど)

 (あの者は人間だった。あの男のせいで力が衰えてしまったようだがな・・・)

 (そうなんだ~・・・霊って逆に人間の行動を変えたりは出来ないの?)

 (そんな事が出来るのは、一握り、いや一掴みの魂だけだよ)

 (ふ~ん)

 拓也はそれ以上の事は聞かずに、そのまま黙って自転車を漕ぎ続けた。


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