第30話 三浦とタクシー

 すっかり暗くなった病院の駐車場で、携帯灰皿を手に持った小林は、タクシ-の横に立って煙草を吸っていた。入り口から入って来た救急車が、警告灯を点滅させて目の前の緊急搬送口に停まった。待っていた看護師たちが用意していたストレッチャ-に患者を乗せて、慌ただしく院内に搬送して行く。ドアが閉まるとすぐ、横にある出口から三浦がゆっくり歩いて出て来た。すっかり消沈した面持ちだった。小林は煙草を携帯灰皿でもみ消して運転席に乗り込んだ。

 「お疲れ様でした。次はご自宅で宜しいんですね」小林がそう言うと、三浦は少しの沈黙の後「さっき運転手さんが話していた公園に向かって頂けないかな」と絞り出すような声で言った。

 「はい。かしこまりました」小林は落ち着いた声で応えた。

 警察署を出た後、指示された病院に向かう途中、小林は三浦の事情を知った。

 「・・・運転手さんが話してくれた橋の上での事故。亡くなった三人は僕の妻と子供たちなんです・・・」静かな口調で話す言葉がよく聞き取れなかった小林は「えっ」と聞き返した。三浦はまるで他人事のように、事故の内容と自分がすぐに帰って来れなかった事を淡々と話し続けた。

 「・・・そうですか・・・それはお悔やみ申し上げます・・・でもね、緊急事態なんだから、航空会社も、失礼ですけど、お客さんの会社も、何とか出来なかったんですかね・・・本当にご愁傷様です」

 ル-ムミラ-で三浦の様子を伺うと、窓の外を見ている三浦の頬に、対向車のヘッドライトに照らされた涙が光っていた。

 そしてまた、ぽつりと三浦が話した。

 「多分・・・運転手さんが見た子供たちは、僕の子供です・・・さっき警察で、即死だったと教えて貰いました・・・だから、だから、多分、子供たちは自分が死んだ事をまだ知らないんじゃないかって・・・そう思ったんです・・・」

 小林は何も声を掛ける事が出来ずに、ハンドルを握っていた。

 それから沈黙が続いたタクシ-は15分ほどで公園に到着した。

 園内に一つだけ明かりのついた公園灯は、むしろ暗さを増幅しているように寂しく遊戯施設を照らしていた。入り口の看板に書かれた松木児童公園の文字が、ハザ-ドライトの点滅に連動して浮かんでは消えた。

 三浦は前のシ-トの間に体を寄せて「運転手さん、さっきの話、子供たちの話をもう一度聞かせて貰えないだろうか」と真剣な顔で懇願した。

 小林は同じように神妙な表情で「はい」と応えた。

 「あの時、私が見たのは・・・」小林は息を整え、記憶を正確に伝えるように目を閉じて続けた。

 「・・・四、五歳の女の子二人でした・・・初めに目が止まったのは、滑り台です。何だか楽しそうに一人のお子さんが上から滑り降りて来て・・・キャッキャ言う声が最初だったかなぁ・・・そうです。その声で公園に目をやったんです・・・そしたら、一人が滑り降りて来て・・・その後、もう一人・・・多分年少のお子さんの方だと思いますが、続いて滑り降りてきました・・・ケラケラ笑いながら・・・二人とも・・・それから、ジャングルジムに駆け足で向かって・・・一人が中に入って・・・一人がその後を追いかけて・・・」

 三浦は小林から目を落として聞いていた。そして「ありがとう」と告げ、自らドアを開けて外に出て行った。

 ゆっくりと滑り台に近づき、手すりやのぼり梯子を手でさすりながら顔を付けた。頭上の待機台を見上げ、まるで誰かが降りてくるのを見送るように傾斜の滑り板に目を向け、手すりを撫でた。

 そして数歩歩いてジャングルジムに向かい、中を覗き込むように中腰になった。鉄骨を叩いて握り、もう一度中を見ると崩れるように顔を落とした。

 小林はその様子を運転席で見守っていた。三浦はジャングルジムの鉄枠を握ったまま顔を伏せている。肩が微かに動いていた。

 小林は一万七千円近くなっていたメ-タ-を清算に切り替えた。そして公園内に再び目を向けた。すると三浦が立ち尽くしているすぐ横に、薄っすらと半透明の女性が現れたのが見えた。小林は瞬きを繰り返して注視した。確かに女性がいる。女性は三浦の背中に寄り添うように肩を抱き、三浦のうなじに頭を付けた。

 (奥さんだ)小林は確信した。

 そして園内に子供の姿を探した。ジャングルジムの中やブランコ、滑り台の上やはしごの奥、二人掛けのベンチの隅、明かりが届いていない鉄棒の向こうなど、運転席から見える範囲を探し続けたが、子供たちはいない。ただ、奥さんが三浦の横にいる事だけでも伝えるべきかどうか迷った。一瞬取っ手に手が掛かったが、タクシ-から出るのを止めた。これからこの人は三人の葬儀を手厚くするに違いない。きっと奥さんも今は見えない子供たちも成仏してくれるだろう。だからこの光景は黙っていようと考えた。休みの日に線香を上げに来よう。そう思った。

 暫くして三浦は俯きながら戻って来た。女性は公園の中で立ち尽くして、三浦の歩く姿を見続けていた。

 「ありがとう、運転手さん」

 小林は何も答えずに頭を下げた。そしてギアを入れてマンションに向かった。



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