第29話 サトちゃん

 十分遅れで拓也は待ち合わせの時計台に着いた。高校時代に通り続けた懐かしい駅前だった。腕時計を拓也にかざして遅れたぞ、と言いたげなサトちゃんはにっこりと笑って手を差し伸べた。

 「久し振りだな。たっちゃん」

 「久し振りだね、サトちゃん」

 「予約してる訳じゃないけど、いい店発掘したんだ」

 「いいね。行こうか」

 二人は自然に肩を抱き合って、線路に沿って連なる裏道の飲み屋街に足を運んだ。


 「改めて久し振りだね。見たよ。番組。しっかり仕事してんじゃん」

 「そうでもないよ。相変わらず少ないって」拓也は指で輪を作って稼ぎを表現した。

 大ジョッキの生ビ-ルをぶつけ合って二人は再会を祝した。

 店員に向かってサトちゃんは色々なつまみを注文した。

 「今日は俺のおごり。とことん飲もうよ」サトちゃんが意気揚々に拓也に言った。

 「駄目だよ。割り勘でいこうよ」

 「いいのいいの。最近稼いでるから」そう言ったサトちゃんは、ゴクゴクと大生を豪快に喉に入れた。

 拓也は自分の隣に座るサトちゃんの母親を気にしていた。どのタイミングでサトちゃんに話しかけるべきか、どんなきっかけで話し始めるべきか迷っていた。つまみの品が続々と運ばれてくる。サトちゃんは「さぁ、食べよう」と言いながら、さらにビ-ルを注文した。

 母親は不安な顔で拓也を見ている。拓也はゴクリとピ-ルを飲んでから、頷いた。

 「あのさ、サトちゃん」

 「ん、何」

 「あのさ、最近の仕事って、何やってるの?なんかいい仕事って言ってたけど・・・」

 「仕事?・・・そんなの気にしなくていいよ。俺はお笑い辞めたんだから」

 「いゃ、そうじゃなくて、そうじゃなくてさ」

 「いいって、お前は気にすんなっての」

 「・・・あのさ・・・」

 「何だよ」

 「信じてもらえないかも知れないけどさ」

 「だから、何だってぇの」

 「・・・ここにサトちゃんのお母さんが来ててさ」

 サトちゃんは一瞬、拓也の顔を伺ったが「何言ってんの。馬鹿じゃねぇの」と笑い飛ばした。

 拓也は真剣な顔で体を乗り出した。

 「あのさ、お母さんが言うのは、サトちゃんの仕事が心配だって。あんな仕事辞めるべきだって。そう言ってる」

 サトちゃんは笑いながら、しかし、目を合わせずに反論した。

 「どの仕事が心配なんだよ。変な仕事してないよ。って言うか何で母さんがここにいるのよ」

 「ここにいるんだ。俺の横に座ってる」

 「馬鹿言うなよ」

 「馬鹿なことじゃないんだ。真剣に聞いて欲しいんだ」

 サトちゃんはゲップと共に息を吐いて、拓也に言った。

 「たっちゃん。お前ちょっとテレビに出たもんだから、調子こいてんな。それも心霊番組出たからって、霊能者のつもりかよ」

 「そうじゃないんだ。いい、聞いて。お母さんが言ってる。サトちゃんがやっている仕事は、人様を誑かしているって。人に嘘付いているって」

 「ふん。んな事ねぇよ」

 拓也は横の席を指差して「ここにいるんだ。お母さん。ここにいて、サトちゃんに話してくれって言われてんだよ」と言った。

 サトちゃんは怪訝な顔をして拓也の横の空いている席を見た。

 「何が言いたいの。たっちゃん。俺は別に変な事してないよ」

 「サトちゃん。今からお母さんが言う事をそのまま言うね。ちゃんと聞いてね」

 「ふん」とサトちゃんは顔を反らした。

 「サトちゃんが小学五年生の時、描いた絵が学校に貼られたんだってね。そう言ってるよ。凄く嬉しかったって、そう言ってる」

 サトちゃんはしかめっ面で「覚えてねえょ」と言った。

 「あと、六年生の時に地区大会で優勝したんだってね・・・ん・・・野球か」

 「・・・」

 「でも、秋になって骨折して遠足に行けなかったって、そうなんだ」

 「知らん」

 「中学に入ってからは・・・えっ・・・家出!・・・家出したのサトちゃん?」

 「知らん」

 「彼女が出来たって、中二で・・・」

 サトちゃんは煙草に火を付けて、大きく煙を吐いた。

 「中三で、えっ・・・また骨折?・・・また行けなかったんだ、修学旅行」

 「・・・」

 「・・・その後亡くなったんだってね、お母さん・・・でも、ずっと見てたって、サトちゃんの事・・・高校になってからは、お笑いライブに通い出した。そして、色んな漫才とか、コントとか、お母さんの仏壇の前で披露してくれたって・・・嬉しかったって・・・」

 サトちゃんの表情が曇り始めた。

 拓也の目頭も熱くなってきた。

 「それから二年になって僕と出会ったんだよね・・・色々教えてくれた・・・僕は全然、クラスで宙に浮いてたけど・・・サトちゃんと出会って・・・」

 拓也は咽び始めた。

 「・・・それで・・・それで・・・」

 サトちゃんは拓也を見て「母さん、本当にいるの?」と尋ねた。

 「いるよ」拓也は隣の椅子を抱えて「ここにいるんだよ」と叫んだ。

 そして泣きながら母親の言葉を代弁した。

 「僕と一緒にコントとかやってた時が、学が最高に輝いていたって、そう言ってる」

 サトちゃんは鼻水を啜って「何で死んじゃったんだよっ」と言った。

 「ごめんなさいって言ってる」

 「親父のせいだよ」

 「そんな事ないって言ってるよ」

 「親父だよ。親父が早く病院に連れて行けば」

 「それは仕方ないって、お母さんがお父さんに話さなかったからだって」

 「見てれば分かっただろうによ、一緒に生活してたんだからさ」

 「・・・あと、学の人生はこれからだから、今みたいな仕事から一刻も早く脱け出て、しっかりした生き方をしなさいって」嗚咽しながら拓也は母親の言葉を伝えた。

 サトちゃんは自分が泣いている事を隠すかのように、ぶっきらぼうに言った。

 「じゃあさぁ、どうしたらいいんだよ」

 「学ぶが考えろって、自分で考えろって・・・そう言ってるよ・・・お母さん、泣いてるよ・・・」

 サトちゃんは暫く天井の照明を見続けた後、店員に向かって「グラスとビ-ル持ってきて」と告げた。

 拓也は嗚咽を堪えて「サトちゃん・・・」と言った。

 サトちゃんは涙を拭いて拓也を見た。

 「お母さんの言葉を、また、そのまま伝えるね。いい?」

 拓也は唾を飲み込み、頷いたサトちゃんを上目で覗き込むように見ながら言った。

 「・・・今のお前の稼ぎでは飲めないって・・・」

 サトちゃんは拓也の言葉を聞いた瞬間、堰を切ったように泣き崩れた。両手で顔を隠して咽ぶ息を隠そうとしても、サトちゃんの体は大きく揺らいで店の誰もが振り向くほどの声で泣き続けた。

 拓也の横の席では母親が両手で顔を伏せて頷いていた。


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