第13話 老夫婦

 老夫婦は互いの手を取り合い、長く伸びた光の塊の中に飛び込んだ。とてつもなく早い速度で移動する白い塊は、漆黒の空間を人間の子宮に向かって音もなく進んで行った。行き付く人間の形が見えた時、何かの爆発のような衝撃を受けて、老夫婦は見知らぬ仲間たちと共に地上に降り立った。


 拓也は工事現場を覆う囲いシートにぺこりと頭を下げて、自転車を漕いで走り去った。

 老夫婦は壊れ行く家の解体現場をぼんやりと見つめていた。

 緑色の小型ショベルカ-が、かつては家を支えていた太い柱を引き倒している。ア-ムが動くたびに、柱が軋む音と反発する機械音のすさまじい轟音が、囲い壁の外にも轟いた。ヘルメットを被った現場監督が数メ-トル離れた場所で周囲の安全を確認しながら、解体の進み具合を見守っている。運転手が監督の指示を受けて、一旦ア-ムを地面に下ろした。数名の作業員たちは停止したショベルカ-の動きを指差しで見定めてから、瓦礫となった家の残骸に近づいた。

 婦人は夫の手を握って顔を見た。泣きたかった。夫も婦人の顔を見つめた。

 作業員たちは瓦礫を敷地の空いた場所に手作業で運び続けた。大小の瓦礫が少しずつうず高くなっていく。その瓦礫の山の横には、小さな実を付けた柿の木が植えてある。幹の下には数十枚の枯れ葉が落ちていた。婦人は柿の木に近づいてガサガサの表皮を撫でた。

 再び大きな機械音が鳴り始め、ショベルカ-は少し前に進んで大きな瓦礫の塊にア-ムを突き刺した。轟音がまた轟いた。作業員たちはショベルカ-の横や後ろに回って、情け容赦ないア-ムの動きを見ている。

 夫はゆっくりと瓦礫の山に近づき、腰を落として中に埋もれた小さな木片を見た。筆文字で佐野と書かれた表札だった。瓦礫の中に隠れている為、佐野の文字の下は見えない。夫は手を差し出して表札を掴もうとするが、手は表札をすり抜けて掴む事は出来なかった。夫の行動を見ていた婦人の目から涙がこぼれた。夫は立ち上がって婦人の横に戻った。そして再び破壊されていく我が家の様子を見続けた。

 瓦解した家の奥には一部黒く変色した白壁が見えた。かつての台所の壁だ。さらに横の方には小さな面積だけ木の板が残った風呂場が見えた。既に更地に近くなっている手前の空間は、玄関と上がりかまちだ。

 作業員が囲いシ-トの一角を開けると、バック音を鳴らせてトラックが入って来た。ショベルカ-が動きを止めて、トラックの進入を待った。運転手はショベルカ-をトラックの後ろに付け、柿の木の横の瓦礫を荷台に乗せ始めた。自分たちの家の一部が、乱暴に杜撰に荷台に積まれていく様子を、老夫婦は手を取り合って見続けた。二人とも涙で顔がくしゃくしゃになっていた。

 遠くの小学校から生徒たちの帰宅を促す音楽が、風に漂って微かに聞こえていた。

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