第5話 調整室
狭い湯舟に沙紀を抱えるようにして二人は浸かっている。
沙紀の手にはアヒルのおもちゃ。
「今日は保育園でどんな事して遊んだの?」
「今日ね、ダンスをしたの」
「どんなダンス?」
「動物ダンス」
「ふ-ん。どうやって?」
「こうやって」
沙紀は両手を頭に乗せ、何かの動物の動作を真似た。
「何の動物」
「猫ちゃん」
「猫ちゃんかぁ。他には?」
「他にはねぇ、こんなの」
今度は片手を顔の前で左右にくねらせる。
「ゾウさんだ」
「そう。ゾウさん」
竜次はそんな会話をしながら沙紀の体を持ち上げ、洗い場のバスチェアに座らせた。
そして正面から沙紀の体を洗い始める。
動物ダンスの話題で盛り上がっていた沙紀は、突然話を切り替えた。
「パパァ、今度の日曜日ねぇ、ワンオンに行きたい」
ワンオンとは地域で一番大きな総合ス-パ-マ-ケットである。
「ワンオン?いいけど、どうして?」
「ワンオンにねぇ、ラビちゃんが来るんだって」
「へぇ-、ラビちゃん。何かイベントでもあるんだ」
竜次は沙紀の泡をシャワ-で流しながら応えた。
「うん。ユミちゃんが言ってたの。ラビちゃんとか、チュ-助ちゃんたちのショ-があるんだって」
水しぶきに片目を閉じながらも、沙紀は声を高ぶらせて主張する。
「そっか。日曜日。いいよ、日曜日はワンオン行こう」
「やったぁ-」
両手を挙げて喜ぶ娘。こうした何気ない沙紀との時間が、竜次には満ち足りた至福の時間であった。
ADが手のひらを大きく広げて指を一つずつ折っていった。小指を曲げてこぶしを握った瞬間、スタジオには(お疲れ様でした~)とブ-スからの声が響いた。出演者たちは皆それぞれに挨拶を交わし出口へと向かって行った。スタッフたちは過剰なまでの挨拶で出演者たちを見送る。観覧者たちも観覧席から降りて仲間たちとざわざわと興奮を口にし、見学者用の出口から出て行った。大道具や照明、カメラのスタッフたちは、セットの片付けを始めた。
調整ブ-スではプロデュ-サ-、ディレクタ-を交え十二、三人のスタッフが、山口がトンネルに入り込む映像を繰り返し見ていた。
オンエアの録画映像に皆が無言で注目する。
山口がトンネルに向かう姿を遠くのカメラが捉えている。カメラが切り替わり、レポ-タ-がスタジオと会話しながら、その様子を説明している。映像は山口の後ろ姿に切り替わる。
「この後だったよな。教授がなんか言ったの」ディレクタ-がモニタ-を指しながらスタッフに言った。
トンネルの外からのカメラが、山口の後ろ姿にズ-ムし終えた部分でディレクタ-は言った。
「ここです」
トンネルに入る瞬間、山口は恐怖のために立ち止まり、トンネルの中を探るように覗き込む。ヘッドライトの揺らぎが、トンネル内部を不安定に照らしている。外からのライトが消され、光は生き物のように動く穴の中の明かりだけになった。
カメラが山口の後ろ姿にズームアップした時「見えます?」誰かが小声で言った。
「しっ」
(少なくとも多かれ少なかれ影響力のあるテレビの番組で、サクラを使って視聴者を騙すと言うのは如何なものか・・・)
スタジオの教授の声が映像にかぶさり、画面はスタジオの下山教授の顔に切り替わった。
「・・・見えた?・・・」プロデュ-サ-がディレクタ-に訊いた。
ディレクタ-は首をかしげながら「・・・ん~・・・僕には何も・・・」と答えた。
パソコンの前に座っていた女性が「ちょうどこの時間からメ-ルやツイッタ-が来始めたんですよ」と言った。プロデュ-サ-はパソコンの方をちらりと見て、少し考えた後「TV電話の映像に切り替えられる?」と訊き、スタッフはモニタ-に山口の右下からの顔の映像に切り替えた。
おどおどしながら目をあちらこちらに動かし、半口をあけたままの映像が続く。しかしスタッフたちが期待する存在は何も現れない。何より手が動きすぎて顔すら映らない画面が続いていた。その映像を見た後でディレクタ-は言葉を放つ。
「これじゃ分かんないすね」
プロデュ-サ-も頷いた。
「山口の手持ちはどうした?」ADが後ろから声を掛けた。
番組中に伝送する予定だったが、不手際で送られなかった山口が左手に持つ、もう一つの手持ちカメラの映像だった。
暗いトンネル内にヘッドライトの明かりが左右に揺れ、カメラを持っていた手が震えている為に、見続けているとめまいを起こすような不安定な映像が続く。壁に不気味なシミや汚れ、しみ出した水が何かの模様を表している部分が時折確認出来る。
「これ、不気味だね。よくこんな所を歩けるよな」プロデュ-サ-が軽く笑いながら言った。
そしてボ-ルペンを指で回しながら「取り敢えずさ、さっき朝ワイドで流すって言われちゃったから、もうちょっと検証してみてよ。あと、音声が何か捉えてるかも知れないしさ・・・もうちょっと確認して・・・それとインタビュ-、帰ってきたら一応撮っといて・・・何時位に戻るの?山本」と言った。
「山口です」スイッチャ-の男が訂正した。
「山梨だから・・・あと二時間くらいですかね・・・」ディレクタ-が被せるように応えた。
「じゃ、一応撮るだけ撮っといて」プロデュ-サ-はパソコン担当の女性に「あとさ、メ-ル、ツィッタ-なんかのSNSの情報全部拾っといて」と指示した。
「あの・・・全部ですか・・・どんどん増えているんですけど」不安な顔をして女性は応えた。
「うん、全部拾っといて・・・ね・・・考えてみたら、スポ-ツ紙に出るでしょ、ワイドショ-で出るでしょ、雑誌にも多分出るでしょ。そしたらさ、次さ、検証特番なんかやって番組組んだら、視聴率凄い事になるんじゃないの、ね、田中ちゃん」
プロデュ-サ-はディレクタ-に言った。
「そうすね」
ディレクタ-は顔を引きつらせながら応えた。
「映像沢山あるし、ね、ちょっとくらいなら加工してもいいから・・・そうだよ、さっき山本の顔映ってたところでノイズ走ったじゃん」
「山口です」スイッチャ-がまた訂正した。
「・・・どうでもいいけど、あれってやっぱり何かあるんじゃないの?何か霊的なもんとかさぁ」
「そうすね」
ディレクタ-は視線を反らして応えた。
「面白い事になるよ・・・うん・・・面白い事になる・・・特番のパイロット田中ちゃんに任せていいかな・・・」
「えっ・・・俺っすか?」
「うん・・・そしたらさ、スポンサ-も大喜びよ。みんなに大入り出るかも知れないよ・・・ただ、最近は心霊系ちょっとうるさいから、あまり全面に出さないように・・・あの市川あたりを上手く入れてさ・・・うん・・・うまい事、ね、頼むよ・・・じゃ、まぁ、後はよろしく」と、言って意気揚々にブ-スを出て行った。
ディレクタ-は両手で頭を抱えた。スタッフも不平な口を開けて見送った。
「いい加減にしろよ」「何だ、クソ」「俺ら泊まりか?」「ふざけてんじゃねえぞ」
調整ブ-スに一斉に不満の声が上がった。
複数のモニタ-には、三つの角度から映された山口の映像が流れ続けていた。
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