第一章

第2話 竜次と沙紀

 出口から押し流されるようにホ-ムに出た竜次は、階段を降りながら腕時計を見た。六時を少し過ぎた時刻だ。チケット売り場の横で営業している立ち食いソバ屋から、カツオ出汁と醤油のいい香りが漂った。改札を出ると今まで一方向に殺到していた老若男女が、封を開け損じたポップコ-ンのように、てんでんばらばらに、それぞれの目的の場所に歩を進めて行った。

 人波を遮って駅から50メ-トル程の場所にある駐輪場まで竜次は走った。カ-ドをかざして暫くすると、十時間半ぶりの自転車が自動出口から姿を現した。チャイルドシ-トが後部に付けられた、くたびれた黒い自転車だ。すぐさま竜次はまたがって人の流れの間をすり抜けながらス-パ-に向かった。高架線路の上に、生まれたばかりの上弦の三日月に飛行機が横切って行くのが見えた。

 雑然と止められた自転車とバイクの隙間に押し込むよう止めて、竜次は鍵も閉めずにス-パ-に入った。野菜や果実コ-ナ-をスル-して、惣菜が並ぶ陳列で端から揚げ物を確認しポテトサラダをかごに入れた。肉や鮮魚の一角は今日のところは用がない。動きの遅い人混みをすり抜け牛乳をかごに入れてから、三本の缶ビ-ルを確保した後、日用品の並ぶ棚からゴミ袋を手にしてレジに並んだ。

 買い物袋をかごに入れて時計を見た。まだ六時半前だ。急いで自転車を保育園に向かって走らせた。


 沙紀は保育士佐々木佳苗の手を引っ張るようにやって来て、玄関先に立っている竜次の腰に満面の笑顔で飛び付いた。

 「ごめんね、遅くなっちゃって」竜次はそう言うと「おかえりなさ~い。早かったね~」と沙紀は明るく応えた。

 佳苗は竜次に沙紀を預けると「今日もいい子だったよね」と沙紀に向かって言葉を掛けた。

 竜次は先生と沙紀の顔を交互に伺って「よしよし」と言った。

 佳苗も竜次の真似をして「よしよし。ね」と言った。

 竜次は佳苗先生に頭を下げ、沙紀の手を取ってドアを開けた。

 沙紀は後ろを振り返り「バイバイ」と見送る先生に手を振った。

 佳苗も二人に手を振ってさようならと応えた。

 自転車のチャイルドシ-トに沙紀を乗せて、見送りに出てくれた佳苗先生にお辞儀をした。何か言葉を掛けたかったが、視線が合った先生の笑顔に言葉が浮かばなかった。

 佳苗は手を振って二人を見送った。

 「早かったね」と沙紀が言った言葉を思い出し、買い物を後回しにすれば良かったと竜次は思った。



 賃貸マンションの四階に竜次と沙紀の家がある。薄い茶色掛かったサイディング壁の七階建てマンションだ。入り口の脇にある二段式の駐輪場に自転車を格納し、二人は横のドアから入ってエレベ-タ-に乗り込んだ。

 竜次が玄関のカギを開け、沙紀が入って壁のスイッチを背伸びして押す。灯りのともった廊下を沙紀は先頭で走っていく。

 「うがい手洗いが先だよ」

 「は-い」明るくなったリビングから沙紀が返事をした。

 自室で手早く着替えを済まし、仏壇を拝んでからリビングへ向かう。テ-ブルに置かれたテレビのスイッチを入れて台所に行き、買ってきた食材をそそくさと冷蔵庫にしまう。いつもの行動パタ-ン。

 ついでに缶ビ-ルを取り出してグラスの中に注ぐ。グラスに入れて飲む方がビ-ルは旨い。それが竜次の考えだ。

 ニュ-ス原稿を読むアナウンサ-の声が、数分前まで暗闇だった空間に響き渡る。

 (・・・白昼の住宅街で、中学校の元校長が殺害され金品を奪われた事件は、未だに有力な情報がないと言う事で、捜査は難航している様子です・・・)

 乾いた喉にビ-ルを流し込む。ホップの苦みが堪らなく旨い。

 沙紀が食卓の椅子に座り、チャンネルを替えた。

 男女の司会者を挟むように数名ずつのパネラ-が囲んだ番組。

 (・・・UFO、そして未確認生物、さらには本物の心霊現象。全て見せます。今夜は生放送で徹底討論。三時間の・・・)

 沙紀はチャンネルを替える。

 -CM-

 またチャンネルを替える。

 -ニュ-ス-

 またチャンネルを替える。

 -CM-

 竜次は買ってきたポテトサラダをパックのまま箸と一緒にテ-ブルに置いた。

 「沙紀ちゃんこれ食べてて、カレ-はすぐ温まるから」

 「うん」

 沙紀はそう言った後、自ら台所に行きウサギのキャラクタ-が描かれたカップに牛乳を用意して戻って来た。


 テレビは超常現象の番組に替わっている。若手芸人が真っ暗なトンネルの中を探検する内容だ。

 怯えている芸人はスマホを右手に持ち、機材の入っているバックを背負い、さらに頭にはヘッドライト、左手には手持ちカメラを持っている。

 (・・・本当に行くんですか?・・・)

 (本当に行くんです。何故なら、このトンネルは幽霊の目撃談が絶えないからです。山口さん、こんな機会を与えてくれた神様と事務所に感謝して下さい)

 スタジオは軽い笑いに包まれるが、モニタ-の中では中継現場の若手芸人、そして芸人にマイクを向けている新人アナウンサ-も表情は強張っている。

 男性司会者が芸人に話しかけた。

 (山口さん、生放送なので、とっとと行ってください)

 (・・・わ、分かました・・・)

 トンネル入り口から10m程手前のカメラは、漆黒のトンネルの中に入って行く芸人の後ろ姿を映している。

 芸人の頭が動くとヘッドライトの明かりが闇の中を移ろう。

 (山口さんの手にしているスマホはTV電話になっていますので、彼の、あっ今顔が映っていますね・・・鉛のような表情です。・・・ふふっ怯えています・・・ふふっ)

 画面右下のワイプ画面に映っている山口の表情が、本気で嫌がっている事を物語っている。


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