メッセージ

幸森丈二

プロローグ

第1話 ハル

 数羽のスズメのさえずりが聞こえた。

 何羽だろう・・・ベランダ?・・・向かいの家の屋根?

 目を瞑って聞いていると、スズメ同士が会話をしている様に思えた。

 仲のいい仲間かな・・・それとも、親子かな・・・甲高い声は子供かな。

 遠くの国道を車が走り去る音が会話を邪魔した。

 お母さんに伝えているのかな?・・・子供に伝えようとしているのかな?

 近くを走るバイクの音がまた邪魔をした。

 お腹がすいたのかな?・・・それともご飯の相談かな?・・・。

 少しすると、一層大きなエンジン音が近付いて来て、さらに邪魔をした。

 乗用車じゃない。トラックだ。

 車が走り抜けて行くと、スズメたちはバタバタバタと羽音を響かせ、飛んで行った。

 静寂の目覚めを荒らした噪音の後は、自分の吐息しか聞こえなくなった。

 意識が移った瞼の外に、明るさを感じた。

 六時くらい?

 (目覚ましはまだ鳴っていない・・・そうか、今日は土曜日だ・・・もうちょっと寝てようかな・・・早いけど朝ご飯の用意しようなかな・・・お化粧してケンちゃん起こしたらどんな顔するかな・・・)

 そんな事を思いながら出窓側に寝返りをうった。

 少しの間自分の呼吸に耳を傾けていると、十分に睡眠が取れている事を感じた。

 自然に目が開いた。

 欠伸をしながら見た光景に、閉じようとした口と思考が止まった。

 出窓の隅に七三分けをしたような白い猫が、チョコンと行儀よく座っていた。

 口を開けたまま瞬きを繰り返した。

 (夢?私、起きている・・・よね)

 猫は無表情にケイコを見ている。

 (・・・ハルに見える・・・ハル・・・)

 混乱したケイコの頭の中で、今目にしている猫が夢ではなく現実にそこに座っている事を何度も確かめた。

 「・・・ハル?・・・。ハルちゃん?・・・」

 そして口から出たハルという名前に、ケイコのぼんやりとしていた頭は冴え渡った。

 ケイコはすかさず体を起こし、隣で寝ているケンスケを後ろに手を回して揺り起こした。

 「ハルッ、ハルちゃん。・・・ねぇ、ケンちゃん起きて、ケンちゃん」

 ケンスケはだるそうに、なにぃ、と声を上げ、片目をうっすらと開けてケイコを見た。

 「ほらっ、そこにハルがいる。ハルが戻って来た」

 ケイコはベッドから抜け出して、出窓に座っているハルを抱きかかえた。

 ハルは素直に抱えられ、ケイコを見てあぁっと小さな声を上げた。

 抱きかかえながらケイコは首元を優しくさすり、頭を自分の胸に埋めて、横たわるケンスケの顔の前でハルを降ろした。

 寝ぼけ眼のケンスケは大きく目を見開いた。そして慌てて掛け布団を剥いで、ハルを抱いた。

 「ハル、ハル」

 ハルを抱いたケンスケの正面から、ケイコは挟むようにしてハルを抱えた。

 暫く二人はハルの名を連呼しながら体を撫で合った。

 「そうだ。お刺身あるよ。ハル、カツオ。カツオ食べよっか」

 「カツオなんか昨日食べちゃったよ」

 「角煮用に取っといてあるの」

 ケイコは急いでキッチンに走り、小皿に盛った切り身のカツオを枕の横まで持って来た。

 刺身の匂いを察したハルは素早くケンスケの胸から離れて、カフカフと細切れのカツオを食べ始めた。

 二人は愛おしくその姿を見続けた。


 強い風にあおられて、時折激しく窓に打ち付ける雨。

 家が小刻みに揺れる瞬間もある。まるで台風の様な荒れた音に、ケイコは微睡の中から不穏な気持ちで意識が覚めた。

 揺れる事のない黄色いカ-テンの向こうに、叩きつける雨と風が闘い合っている感じがした。

 耳から入って来る現実の不安感と、ぼんやりとした懐かしさが頭の中で交差していた。

 目に映っている景色がまだ夢なのか現実なのか分からぬまま、少しの間時を待った。

 次第に現実が戻り始めた。幾度か瞬きをすると、微かに感じていた心地よさは消え去り、現実の朝が映った。

 出窓の方に体を向けた。

 カ-テンの前に鉢植えのパキラがいつものようにそこにあった。

 ケイコは我に返った。

 振り返ってケンスケを見た。

 掛け布団の中には寝入っているケンスケがいる。

 また反転して出窓を見た。

 ハルはいない。

 ケイコは上半身を起こし、寝室の全ての方向、見える範囲の床、ハンガ-スタンドの奥に、ハルの姿を探した。

 (夢?)

 そしてもう一度出窓に目をやり、今さっき見た光景が夢の中の出来事だったと落胆した。

 (夢だった・・・夢だったんだ)

 嘆息をもらして、ケイコはベッドから出た。


 ハムエッグが丁度出来上がる頃、顔を洗ったケンスケがリビングに現れ椅子に座った。

 「おはよう」

 「おはよう」

 テレビのニュ-スを見ながら「今日はずっとこんな天気かな」と冴えない声で呟いた。

 ケイコはテ-ブルにト-ストとハムエッグを用意し、コ-ヒ-サ-バ-を置く。

 ケンスケは二人分のマグカップにコ-ヒ-を注ぎ、いただきますと言ってパンをかじった。

 二人ともテレビを見ながら静かに朝食をいただく、いつもの土曜日の朝。

 天気予報では激しい雨は昼過ぎまでで、夕方から夜にかけては雨も治まるでしょうと告げている。

 ケイコは食事を済ますと、そのままテ-ブルでスマホのメ-ルチェックを始めた。

 ケンスケはテレビのチャンネルを替え、二杯目のコ-ヒ-を注ぐ。

 窓の外は斜めに降る雨が街の音をかき消していた。

 ケンスケはコ-ヒ-をすすりながら言った。

 「そういえば俺、今朝方ハルの夢を見たよ」

 ケイコは手を止め、ケンスケを凝視した。

 「・・・私も・・・」

 「・・・ウソッ・・・」ケンスケは口元に付けていたカップの動きを止めてケイコを凝視した。

 「見たの。出窓にハルが座ってた。お刺身上げたの」

 「え~、俺はハルに鼻咬まれた。ほらっ、朝ご飯チョ-ダイ攻撃」

 「・・・ホント・・・そしたらハル・・・来てたのかなぁ」

 「来てた?」

 「私たちのところに来てたんじゃない」

 「えっ、俺たちのところに?」

 「来てたのよ」

 「・・・来てたって?」

 「私たちのところに、ハルが来たって事」

 「・・・まさかぁ」

 「来てたの!・・・んな訳ないよね」

 ケイコはテ-ブルに目をやり、落ち込んだ様子でそう言った。

 ケンスケはなぐさめるように言った。

 「・・・いや、二人がハルの夢を同時に見たんだから、多分・・・きっと・・・ハルは・・・俺たちの事心配になって、来てくれたんだよ」

 「そうかなぁ・・・そうだったらいいなぁ・・・」

 「そうだよ。きっとそうだよ」

 「そうかなぁ・・・だったら嬉しいなぁ・・・」

 「来てたんだよ・・・俺、そしたら、もっと寝てればよかった」

 ケンスケは笑顔を作って言った。

 ケイコはぼんやりとテ-ブルを見つめながら独り言の様に呟いた。

 「・・・本当に来てたのかなぁ・・・そしたら、もっと寝てればよかった・・・夢の中でもいいから、もっと遊びたかったなぁ・・・」

 ケンスケは意識して声を明るくし、大げさな手振りでケイコに応えた。

 「俺もだよ。・・・俺は鼻咬まれて、やめてくれ-って叫んで、布団かぶって無視しちゃったよ。・・・ご飯なら、かぁちゃんに貰いなって言って・・・無視してそのまま寝ちゃった夢。・・・え~、ご飯あげれば良かった。・・・遊べば良かった」

 ケイコは寝室のある方のドアを見ながら、来てたんだぁ、来てたんだぁと繰り返した。

 ケンスケはケイコの元気を戻した表情を確認しながら、大きく息を吐いて頷いた。

 ケイコはゆっくりと立ち上がり、ラックの上に設置された動物用の仏壇にお線香をあげ、両手を合わせた。

 仏壇上の壁に掛けられたフォトフレ-ムには、五つの表情をした在りし日のハルが並んで収まっている。

 さらに上のデジタルフォトスライドは、不思議そうに首を傾げたカメラ目線のハルに切り替わった。


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