第15話「最後の旅行」



「気が付いたか、おっさん」



 浜之助は夜も更けてきたため、誰もいないシェルターの奥にある一室に滞在することにした。



 その部屋の照明はまだ生きており、簡単な家具やベットが置かれていた。


 そんなベットの上には、浜之助ではなく、先ほど倒れた白髪の老人が横たわっている。


 老人は、浜之助が組み付いた際に血を吐いていたが、今は大丈夫なようだ。



 老人は目を覚まし、上半身だけ起き上がって浜之助に返答した。



「……ここは?」



「さっきの場所からあまり離れていないよ。それにしても、なんで急に襲い掛かってきたんだ?」



「人を、信じない性質でな。シェルターの外で出会った人間のほとんどは帰る場所も食料もなく、凶暴だ。先手を取った方が、話も早いというわけさ」



「そんなものかな。俺はシェルターの外に出てからそんなに経ってないから、分からないな。おっさんは、外を探索して長いのか?」



「長いどころの話じゃない。ここ30年ほど、ずっとシェルターの外で生活している」



「――おいおい、まじかよ」



 浜之助は驚く。


 それもそうだ。


 未来人種たちにとって、シェルターの外は警備ドローンが徘徊していて、危険な場所だ。


 外に出れば、警備ドローンとの戦いは必須であり、心穏やかなはずがない。



「どうやって旅を?」



「警備ドローンのほとんどは、光学的な視覚に頼っていてな。ダンボールなどに姿を隠したり、こういう手もある」



 老人は右腕の端末を弄る。



 よく見れば、老人のマントの下にはエクゾスレイヴのフレームが見えている。


 浜之助の見立てでは、それは平良目重工製第2期多機能型高度作業用エクゾスレイヴ<斑尾>だ。



「こうして、こうして、こうだ」



 老人は軽く何かセッティングすると、ボタンを押す。


 すると、老人の姿が消えたではないか。



「き、消え――。いや、違うか」



 正確に言えば、消えたわけではない。



 老人の姿が、背後の景色と同じ色に同化したのだ。


 目を凝らせば、不自然な凹凸があり、そこに誰かがいるのは分かる。



「照明がなく、遠目に見れば騙せるのだがな。こう近いと流石にばれるな。ハハハッ――ゴホッ」



 老人は姿を現し、高笑いしようとするも、えずいた。


 調子は未だによくないらしい。



「会った時もそうだが、体調はよくないのか?」



「……ああ。このところな。色々な薬を試してみたが、よくならん。おそらく寿命だな」



「医者にも見せていないのに分かるのかよ」



「こう見えても元は軍医でな。それに、自分の身体くらい、自分が一番知っている」



「それでも精密検査は必要だろ。良ければ、俺達のシェルターに案内するよ。ユラも、そう言ってる」



「ユラ?」



「俺のオペレーターだよ。今も会話を聞いている。俺に危害を加えたかったわけじゃないんだろ」



 浜之助は自分の左腕の端末を指し示した。



「感謝する。と言いたいところだが、信用しているなら先に装備を返してもらえるかな。武器がないと安心して眠れなくてな」



「分かったよ。装備はこっちだ」



 浜之助が老人から取り上げていた銃や装備を返す。


 老人は大事そうにそれを受け取ると。自分の傍に置いた。



「そちらの申し出はありがたいが、それは無理だ」



「どうしてだよ?」



 浜之助が身を乗り出して訊き返すと、老人は答えた。



「ワシは今日か、明日に死ぬ。もう手遅れなのだ」



 老人は寂しく、そう告げた。



「今日か明日って、早すぎるだろ」



「人間とはそういうものだ。今のワシはもう、足腰が立たん。移動することはできんだろう。昔は動けなくなっただけで、あっさり死んでいく者を多く見た。ワシは間違いなくそうだ」



「だけどよお……」



 それよりも、と老人は浜之助の言葉を止めた。



「名前がまだだったな。ワシはワッツ・ソルジャーだ」



「あ、ああ。俺は杵塚浜之助だ」



「杵塚、か。やはりお前は未来人種ではなく、過去人種のようだな」



「よく分かったな」



「その身長と、ワーカーやソルジャー、ロイヤルでもないとなったら、過去人種に決まっている」



「ん? 苗字がどうしたんだ?」



「過去人種は苗字、というのか。ワシらにとっては種族階級みたいなものさ。生まれながらに役割があり、生まれながら越えられない壁がある。ワシは昔、それが嫌になった時があったものさ」



 疑問符を浮かべている浜之助を気にせず、ワッツは懐かしむように語りだした。



「ワシがかつて軍医をしていたのは言ったな。ワシのシェルターには冷凍睡眠状態の過去人種たちがおって、彼らが起きないように監視するのがワシの役目だった」



 浜之助はまだ訊きたいことがたくさんあるが、黙ってワッツの話を聞くことにした。



「そんな毎日に、ワシは飽き飽きしていた。もっと新しい空気を、たまげるほどの発見を、欲していたのだ。だから、皆に内緒で過去人種を起こそうと計画してしまったのさ」



 ワッツは目に過去の幻影を見ているかのような、遠い目をしていた。



「だが、その計画はあっさりと看破された」



 ワッツはがっかりしたように、肩を落とした。



「ワシの計画がばれ、タブーとしていた過去人種の解凍に皆激怒し、ワシは追放されることになった。妻子も家族もおらんかったから、誰も悲しまずに済んだのが唯一の慰めだな」



「なんだよ。それ」



 浜之助はワッツの身の上話を聞き、納得がいかなかった。



「ワシはもっと話をするべきだったのさ。過去人種の利益を説明し、少しずつ理解を広め、因習を拭い去るべきだった。だがワシはそれを怠った。それがまずかったのさ」



 浜之助は左腕の端末を見る。


 ワッツの話は、浜之助を起こしたユラにとっても他人ごとではないだろう。



 ただ聞いているはずのユラは何も言わなかった。



「待てよ。だったら、そのシェルターに解凍液はあるのか?」



 浜之助は思い至る。


 もしワッツが過去人種を起こそうとしたなら、そのために解凍液は必須のはずだ。



「もちろんあるさ。けれども、ワシのいたシェルターはここから対岸の場所にある。つまり、崖の先さ。まっすぐ行ったとしても、数週間はかかるだろうな」



「す、数週間か……」



 浜之助は落胆する。


 解凍液の残りはあと3日、まっすぐ取りに行ったところでタイムオーバーだ。


 それでは対岸に着くこともなく、野垂れ死んでしまう。



「俺にはもう解凍液の残りが少ないんだ。おっさん、解凍液がありそうな場所を知らないか?」



「解凍液か……。それなら見当がつく場所がひとつだけあるな」



「――本当か!?」



「ここから壁を左手に1日ほど行けば、中央の自然地帯に渡れるようになる。その境目には大きなカメのような警備ドローンが居てな。その後ろに、何やら巨大なシェルターがあるんだ。あるとすれば、そこだな」



 浜之助はワッツの言葉に狂喜する。


 1日程度で行けるなら、まだ間に合う。


 これはそこに行けという天啓だ。



「もしそこに無いにしても、更に先には上へと昇るスロープがある。浜之助、くれぐれも諦めるな。ワシと違って、お前はまだチャンスがある。台無しにはなっていないのさ」



 ワッツの言葉は重く、ずしりとしていた。


 それには、ワッツの人生の重りがあったのだ。


 軽々しく言えるような言葉ではなかった。



「なあ、おっさん。他にも教えてくれないか。おっさんの旅とか、周辺の情報とか。俺にはそれが必要なんだ」



「いいさ。この老いぼれの最後くらい、話し相手が欲しかったところだったからな」



 それから、2人は狭い部屋の中で語りだした。



 ワッツはこれまでの旅で現れた敵、未知の警備ドローンやヒトガタについて話してくれた。


 訪れたことのないシェルターとその人々、自然地帯の奇妙な植生、警備ドローンとヒトガタの関係、どれも浜之助の知らぬ情報だった。



 あたかもそれは、ゲームのデータアーカイブを開いたような、知識を新しく得るような感覚。


 浜之助はその話に、童話を聞く幼子のごとく、じっくりと耳を傾けていた。



「最近会ったミュータントは、ウサギの頭をした人間のような奴だったな。全速力で逃げたり、逆にこっちに走ってきたり、腰のミノを落としたり。変わった生き物だったな」



「たぶん、ヒトガタの<二足ウサギ>に近い特徴だな。コミカルな見た目で、結構ファンも多かったし、やっぱりいるのか」



「その<フォールンギア>とやらの話も興味深い。だが、ワシがそれについて知る時間はなさそうだ」



 ワッツは残念そうに、ため息をついた。



「本当に時間がないのか? おっさんのためなら、担いででもイデアに連れて行ってやるよ」



「命綱の解凍液の残りが少ないんだろう。時間のロスは避けるべきだ。ワシは、ここに残る。最後くらいゆっくりしたいからな」



 ワッツは浜之助の助けを断ると、静かに横になった。



「もう眠くなった。ワシはもう寝る」



 ワッツがそう言ったので、浜之助は部屋の灯りを消した。



 黒しか映らない暗闇の中で、ワッツは寝言のように呟いた。



「ワシのようになるな。帰るべき場所は、必ず残して置くべきだ。例え、命を懸けてもな」



 浜之助はその忠告を胸に刻み、自分の敷いた寝床で眠るのであった。

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