第22話
その夜。私は獅子角に電話で相談をした。
重要な話については、文字だけのSNSを使用しないのが私達のルールだ。あれは情報量が限られすぎて、お互いの意図や感情が正しく伝わらない。読み手側が勝手な解釈を行ってしまう危険性が高すぎる。
音声による電話はまだマシだ。そして、本当に大事な話は会って行うことにしている。時代遅れと言われるかも知れないが、その労力を怠ったことで失敗したケースを私は山ほど見てきた。
あるいは。そう私は思う。互いの細菌を交換しなければ真の仲間になれないという説は、一笑に付すことの出来ない真実を含んでいるのかも知れない。
「ルカ君の腸内に生じた細菌は主に繊維質を食料にしていると思われる。それらは脳に対して更なる繊維質を摂取するように働きかける。すると腸内は彼等に適した環境に変化していき、問題の細菌は更なる増殖が可能となる。細菌が増えれば、生み出す栄養素の量も増える筈だ。それは本体側にとっても有利な、WinーWinの関係性をを作り出すループとなる」
「それだけを聞くと結構なことに聞こえるが」
「ああ。だがそれは同時に従来の細菌にとっての天変地異に等しい。環境が激変したことにより、腸内の勢力図が文字通り塗り替えられてしまった可能性がある。タンパク質を消化する系統の細菌が激減したことで、嗜好が更に極端な側に移ったのかも知れん」
「おいおい、それじゃまるで人体の中で生じたクーデターじゃないか」
新たな細菌が腸内の実権を握り、それによって全体の方向性が変えられてしまう。その現象を表すのに、それ以上適切な表現が見つからなかった。
「推測ではあるが、まさにそう言った状況に近いだろう」
獅子角はあっさりと私の言葉を肯定した。
「だが、ルカ君の健康という意味では、深刻な状況ではないかも知れん」
冷静な獅子角の口調に私は反発を覚える。
「何故だ。細菌のせいで明らかな影響が出ているんだぞ」
「検査もせずに決めつけするのは危険だが、肉が食えないというだけならば直ちに健康に影響は出ない筈だ。実際、江戸時代の日本人はタンパク質を分解する系統の細菌をあまり保有していなかった。肉や脂は気持ちの悪い食材で、口にすると体調を崩す人も珍しくなかったという。その意味では、今のルカ君も異常な状態とは言えん」
「それはそうかも知れないが、本人としてはショックだろう」
異常という概念の中には、『これまでの自分と違う』『身近な人々と違う』という意味も含まれるのだ。急激な変化は人を不安に陥れる。そう思った私に対し、獅子角がまさにその点を指摘した。
「むしろ問題なのは変化のスピードだ。こちらは明らかに異常と言える」
その口調が更に私の不安を掻き立てた。
「どういうことだ?」
「以前言った通り、腸内フローラは頑健だ。そう簡単に従来の常在菌が居住環境を追われるものではない。なのに、ルカ君の状況はあまりにも急速に変化している」
嫌な空気が流れた。
「これもまた推測だが、誕生した細菌は強烈な繁殖力を持ち、人の腸内を劇的に変化させることが出来るのかも知れん」
私は天を仰ぐ。いや、実際に見えるのは借家の天井でしか無いが。
「参った。下手をすれば、一種の伝染病になりかねない」
肉を喰えないという症状だけならば、確かに病気とまでは言えない。だとしても、感染させられたくはないという人の方が多いだろう。
「これまで俺達に感染の兆候は無い。だとすれば空気感染のリスクはそう高く無いと予想される。だが、接触感染の可能性は十分にあり得る。注意しろ」
なんてことだ。
私達はとりあえずの対応策を検討した。しかし、結局のところ細菌の正体が分からない以上、出来ることは限られる。
古海君と狩尾君に連絡をしてみたが返信は無い。もう寝てしまっているのかも知れない。ともあれ、獅子角も明日の朝にこちらに来ることになった。
今の時点では、次の日を待つしかなかった。
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