第12話
「今回は適当に見繕った菌を培養しただけだ。どちらかと言えば健康効果の測定ではなく、二十四時間風呂に入れてそのまま培養が出来るかのテストになる」
四人が乗った軽自動車の動きは重かった。試作品とやらを入れたクーラーボックスまで積んでいるので尚更だ。
大学から車で五分少々の距離。私が車を止めたのは、山奥に向かう道の途中にぽつんと建てられた一軒家だった。
四人で玄関へと向かう。
「古い家だが、傷んではいないな」
田舎らしい、かなり広い家だ。母屋と離れ。そして農機具用の倉庫。裏手には荒れかけた畑が見える。
「数ヶ月前に持ち主が亡くなったそうだ」
それを聞いて古海君が怯えた様子を見せる。
「えど先生、それって怪談話みたいなやつですか?」
どうやらその手の話は苦手らしい。
「いや、亡くなったのは病院だよ」
実のところ『病院で亡くなった人は自宅に幽霊となって出てこない』という法則が存在するのかは不明である。少なくとも私は知らないのだが、一応古海君は納得してくれたようだった。
私は物件の状況を説明する。
一人暮らしの老人が病死。縁者も居なかったらしい。
「ここは借地で、住人が死んだら家は取り壊す取り決めになっていたらしい。そこを頼み込んで半年ほど使わせて貰うことにしたんだ」
「成程。だから妙に安いのか」
「あれでも付近の相場よりずっと上だ。喜んで応じてくれたよ。それにどうせ取り壊す予定だから、好き勝手に内部を改造しても問題がない。理想的だろう?」
獅子角が満足げに頷いた。
「うむ。完璧だ」
私達は浴槽に向かった。特注の二十四時間風呂は既にセットしてある。
浴槽に湯を張ってから、機械のスイッチを入れた。ポンプが動き出し、湯の循環を開始する。
「温度は四十度設定でいいか?」
「一般的だな。それで構わん」
「培養した細菌ってのはこれか」
私は車から運んできたクーラーボックスを開けた。
「それにしても、重すぎるな」
中には一リットルのペットボトルがずらりと並んでいる。女性では簡単に持ち上がらないだろう。
「これでは気軽に扱えんな。最終的には乾燥させて持ち運びを便利にしたいところだが」
「ああ、将来の課題にしてくれ」
お湯が溜まったところで、指定されたペットボトルの中身をどぼどぼと風呂桶に注ぎ入れる。
「古海君は?」
「部屋でお着替え中ですー もうちょっとで来るとおもいます~」
そんな会話をしていると、風呂場のドアが開けられた。
少し恥ずかしそうな表情を浮かべながら、バスタオルを羽織った古海君が入ってくる。さして広い風呂場ではないため、全員が並ぶのは難しい。獅子角が脱衣所側に下がった。
古海君は私の前で立ち止まり、バスタオルを広げた。
可愛く見せるための飾りが幾つか付いてはいるが、何と言うか色々な意味で大人しめのワンピース風水着姿が披露される。
古海君がわざとらしく胸の前で腕を組む。
「えど先生、じろじろ見ないでください」
誰がだ。むっとした腹いせに「ささやかだね」とでも言ってやろうかと思ったが、シャレ抜きに刺されそうなので止めておく。
クリップボードを抱えた狩尾君が背筋を伸ばした。
「瑠佳ちゃん、からだに傷はないですね~?」
「え?」
話を理解できない様子の古海君に、獅子角が解説する。
「体表に傷があるとそこから菌が入る可能性がある。切り傷、擦り傷があるならあらかじめ申告をして欲しい」
私がそれに補足を加えた。
「安全確認が必要だから、入浴前に注意事項を読み上げてチェックする。狩尾君が担当するから、不明な点があったらきちんと確認するようにして欲しい」
危険を確実に回避するために、私が提案したやり方だった。
「わかりました。結構、面倒なんですね」
古海君の言葉に獅子角が難しい顔をする。
「確かに、商品化に当たってはそういった点も配慮が必要だな。擦り傷一つで入れないというのでは売り物にならん」
しかしその点は難しいだろうな、と私は思う。
現代社会において医療効果のある薬品を個人が開発し、商品化するのは不可能に近い。効果と安全性の証明、各種の法律への対応。それらが要求する膨大な作業量が決定的なハードルとして立ち塞がるのだ。その意味でこの研究とやらが実を結ぶ可能性は低いと私は思っているのだが、その点については何も指摘しない。
獅子角は最初からそんなことは承知の上でその山に登ろうとしているからだ。
山の高さを恐れていないのか、高さを分かっていないのか。どちらに該当するかは微妙なところであるが。
私はあらためて古海君へ注意をする。
「なんだかんだで細菌を扱う実験だ。安全確認は毎回必ず行う。ちょっと煩わしいだろうけど、そこは了承して欲しい」
「はい」
狩尾君が順番にリストを読み上げた。実験の後で体調が悪い場合の連絡手順についてもきちんと伝えておく。
「よし、始めてくれ」
獅子角が促す。数秒の間、古海君は風呂桶の前で躊躇った。
「どうかした?」
「えっと」
声を掛けた私に、ばつの悪い笑顔を向ける。
「やっぱり女性の菌で良かったです。男の人のものだったら、入れなかったかも」
やれやれと私は苦笑する。現実は往々にしてそんなものである。いざ自分の身体に触れるとなれば、理屈よりも感覚が勝る。
古海君がゆっくりと湯の中に身体を沈めた。凝視する訳にもいかず、私はあらぬ方向に視線を向けながら聞いてみる。
「感想はどうかな?」
「えっと、普通のお湯ですね」
古海君は少し考えてから、こう付け加えた。
「あ、でも。張ったばっかりのお風呂ってなんか刺激が強いことがありますけど、これは大丈夫ですね。まろやかな感じ」
うむうむと再び獅子角が頷く。
「不純物の少ないお湯は体表にある脂や細菌を洗い流し過ぎるため、身体に対する負担が強くなる。確かにそれは効果の一つと言える。重要な点だ」
私もそういう話は聞いたことがある。一番風呂は湯が硬い、というやつだ。
「もうちょっと濃度を上げてみよう。江戸里、二番を追加してくれ」
獅子角はクーラーボックスを指し示した。ペットボトルには、それぞれナンバーの振られたシールが貼られている。私は二番を手に取り、湯船に近付いた。
微かに上気したような古海君の顔が視界の端に入る。
私はペットボトルの蓋をあけると、横を向いたままの格好で中身を注ぎ込んだ。
ゼミの女子学生が水着で入っている湯船に。
これはちょっとマズいのではないか。なんだか分からんが、とてもいかがわしいことをしているような気がする。
「江戸里、少し攪拌してくれ」
おいおい、女の子の入っている湯船に手を突っ込める訳がないだろう。
丸っきり平静なまま、実験の態度を貫ける獅子角がある意味羨ましい。
「古海君。すまないが、自分でやってもらえないだろうか」
「は、はい」
少し待ってから、獅子角が訊ねた。
「どうだろうか」
「そんなに違いは感じません」
「この程度の濃度では駄目か。江戸里、では五番を頼む」
まだやるのか。いや、実験なのだからそりゃあ色々試すだろうけれど。
「次は細菌の濃度では無く、湯の感触を変化させる」
「どんな風にだ?」
「そうだな。保湿成分を加えるため、少々ぬめりを感じるはずだ」
ぬめり? 私の脳内で警告ランプが鳴り響く。
「五、六、七と順に入れて、使用感を聞きたい」
単なる実験だ。理屈で考えろ。問題は何もない。
脳内の現状肯定派が発するそんな主張に対し、脳内良識派が反論を募っていく。
いやよく考えろ。常識的にマズい。理屈で正しいかどうかでは無い。他人から見て誤解を受けないかどうかだ。まさかお前、この状況を楽しんでいるんじゃあるまいな?
そんなことはない。多分。
私はペットボトルを手に取り、これは実験なんだと自分を無理矢理に説得する。
せめてそれっぽい態度ぐらいは貫こうと努力して、真面目な顔で古海君に語りかけた。
「気分が悪くなったりしたら、直ぐ言うように」
「あ、はい」
とろとろと粘度の高い液体が風呂桶に吸い込まれていく。
古海君がそれを軽くかき混ぜた。
「どうだ?」
「ちょっと感じる程度で、あまり気にはなりません」
「よし、六番だ」
次の液体は更に内容が濃いように感じられた。再び古海君が感想を述べる。
「ヌルっとして、いかにも何か入っている感じです。普通の入浴剤より粘度がありますね。ちょっとスープみたいな雰囲気で、知らずにいきなり入ったら抵抗感があるかも」
獅子角は容赦なく次の宣告をした。
「では七番を追加だ」
「いや待て、獅子角」
私は耐えきれずに声を上げた。
「古海君、少しのぼせかけていないか? 顔が赤いぞ」
私が差し出した助け船に、彼女は素直に乗った。
「は、はい。そうですね。ちょっと入りすぎかも」
私は獅子角に視線を向ける。
「四十度では長時間入るのには向かない。設定はもう少し下げた方がいいな」
苦し紛れに言っただけだが、獅子角は大いに納得した。
「確かにその通りだ。水分補給もしなくてはいかん」
ほっとして私は言った。
「今日はここまでにしよう。古海君、上がりたまえ」
私は湯船から上がった彼女にバスタオルを手渡した。
「シャワーを浴びてくれ。手順通りきちんと洗い流すように。私たちは部屋に行くから」
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