第11話

 次々にゼミ生達が退出していく。

 そんな中、古海君は露骨にもたもたと荷物をバッグに詰めていた。なんだかこのまま部屋に残りそうな雰囲気である。やはり体調でも変なのかな。そう思ったところで、廊下から妙なざわめきが聞こえてきた。

 何事かと思ってゼミ室のドアを開ける。壁にもたれた獅子角が右手を挙げた。

「やあ、江戸里」

「おいおい、なんでこんなところに」

「事務局でスケジュールを確認したら、ここだと言われた。講義中に邪魔をするのも悪いと思ったのでな、待っていたところだ」

 獅子角としては最大限気を遣っているつもりなのだろうが、それならむしろ学生達の前で待ち伏せする行為を控えて欲しい。


「追加の依頼を頼みたい」

 獅子角は簡潔に言った。身に纏う独特の雰囲気と合わさって、どうにもアンダーグラウンドな響きが醸し出されている。

 なるほどと私は納得した。

 こういったことの積み重ねで妙な噂が立ってしまうのか。

 どう見ても一般人には見えない人物が訊ねて来て、大学講師に謎の依頼をしているようにしか見えない。これでは怪しまれても仕方の無いところだ。更に困ったことに、事実としてその通りなので弁解のしようがない。


 獅子角が狩尾君に手を挙げた。

「やあ、カリオ君か。ルカ君も一緒だろうか」

「瑠佳ちゃんなら、部屋の中にいますよ~」

 二人のやりとりにゼミ生の視線が集まる。

 私はあえて周囲に聞こえるように言った。

「実験の件だな。分かった」

 この大学もご多分に漏れず、理化学系には変わった人物が多い。そっち方面の人間であると理解して貰えれば、少しは噂の抑制に役立つだろう。そんな淡い期待を抱いて、私はゼミ室に残る古海君に声を掛けた。

「古海君、実験の手伝いについての話だそうだ」

「あ、はい」

 荷物をまとめた古海君がこちらに駆け寄ってくる。

 目線だけで、私では無く獅子角の後ろについて行くように示唆した。

 私ではなく、あくまでも獅子角が主体。言外でそう主張しつつ私達は四人で連れ立って歩き始めた。背後から投げかけられる視線と、ひそひそ話。


 階段を二つほど降りたところで私は背後を振り返った。もう大丈夫だろうと判断し、声を潜めて獅子角に訊ねる。

「おい、何があったんだよ」

「そろそろサンプルが完成するのでな。次に使用感のテストをしたい」

 急ぐ話でもないだろうにと思ったが、獅子角はそういった意味での堪え性は無い。自分がやりたいと思ったら即行動が信条だ。

「分かった、とりあえず話を聞こう」


―――――


 私達は以前と同じ学食の隅の席についた。

 獅子角はまず、古海君と狩尾君に話を向ける。

「丁度だから二人に聞いておきたい。肌の健康においては、どんな要素が重要になると思うだろうか。出来れば女性が望むものを中心で」

 古海君が健康的にぱくぱくとランチを口に運びながら考える。今日のメニューはポークピカタ。一方の狩尾君はうどんの小盛にヨーグルト。食券は私が奢ったが、これでは約束を果たしたことにならないだろう。多分。

「やっぱりお肌スベスベですかね」

「香りもほしいです~」

「うむ。基本だな」

「ダイエット効果なんかも嬉しいかも知れません」

「それはなかなか難しそうだが、考慮してみよう」

 私は思わず話に突っ込みを入れる。

「おいおい、体表についた菌でどうやってダイエット効果を出すんだ?」

「理論的に出来ないことも無い。例えば体熱を利用して積極的に分裂する菌が存在する可能性がある。菌の数が多ければ身体からカロリーを奪うことが出来るかもしれんぞ」

 例によって理屈としてはあり得るが、そんな細菌が存在するのだろうか。

「大量に熱を奪うことは難しいだろうが、例えば一日二十キロカロリーだとしても一年で七千キロカロリー以上。三日程絶食したのと同じ効果が得られる。これならば、一キロや二キロの体重は減ると考えていい。長期的なダイエット効果を謳っても十分に許容される水準だ」

「ちょっと待てよ、皮膚に取り付いた細菌が熱エネルギーを貪り喰うのは怖くないか? 抵抗力の小さい子どもや病人が感染したら悲惨な事態を招きかねないぞ」

「重要な意見だ。だが最初から否定する必要はあるまい。病原菌扱いされず、なおかつダイエット効果のある細菌。うむ。調査対象としてみよう」

 やれやれ。健康効果のある菌とは、同時に身体に何らかの影響を及ぼせる菌であるという意味でもある。

 エイリアンじみた細菌でも見つけ出さなければ良いのだが。


「現時点でそこまで特殊な細菌は見つかっていないが、まずは培養器のテストをしてみたい。ついては被験者が必要だ」

 つまり、細菌風呂に入るモルモットということだ。私は一番重要な点を確認しておく。

「まず聞いてきたい。安全なんだろうな」

「元は誰かの皮膚にあった菌だ。理屈からすれば、本来の所有者と裸で抱き合った程度の影響しかない。細菌はミックスされているから、正確には何十人かの相手と次々抱き合うようなものだな。世の中には実際にそういう経験をした人物も多数存在するが、それが直ちに健康への悪影響を及ぼしたという知見は見当たらん」

 生々しい表現に古海君の箸が止まる。妙なイメージを再現されても困るので、私は本来の話題に戻すことにした。

「風呂に入ってくれる人の募集、か。言葉だけなら簡単だが」

「残った湯は再分析にかけるので、実験を行う場所は大学の周辺であることが望ましい。被験者はやはり女性にしたいところだ。使用後の感想も重要なのでな」


 うーむ。私は心の中で唸り、まずは一つ目の問題を解決しようとする。

「分析にかけるにしても、風呂の湯を全て使うわけじゃないだろう。廃液は専門の処理をしなくてもいいか?」

「現時点では多人数が入ったプールの残り水ようなものだ。細菌は色々と入っているが、廃棄するときに特別の処理は不要だと考えている」

 単純に風呂場があれば良いだけか。だとしたら。

「大学より少し先に行くと、あちこちに使用されていない住宅がある。それをレンタル、あるいは購入してしまうというのはどうだろう」

 全国的な例に漏れず、この付近も過疎化が進んでそこかしこに売り家がある。住人全員が亡くなった家や、バブル期に大量に建てられ今では廃屋と化している別荘など。大学から数キロ圏内でも、幾つか物件があったはずだ。

「雨漏りが無く、電気、水道、ガスが使えれば十分だろう。事務局に地元の人間がいるはずだ。父親が町会長だったから、顔は広い」


 地方の住宅物件などというものは、ネットにすら載らずにひっそりと行われているのがほとんどである。売買には個人的な繋がりや信頼関係といった要素がいまでも重要な世界となっている。

「当たってくれ。後は被験者だな」

 そう言って獅子角は古海君に視線を向けた。

「ルカ君は学内に知り合いが多いそうだが、そういった試験に向いた人材について心当たりはないだろうか」


「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 私は問題点について考察する。

「実験の趣旨を説明する必要がある。あと、安全性の担保をどうするか」

「大きな危険は無いと判断しているが」

「一般的に危険は無いだろうが、絶対とは言えないだろう。そもそも体表についている日和見菌だってしばしば病気の原因になるはずだ」

 そう考えて、私は獅子角のアイディアが持つ問題点に気づいた。ごく普通の常在菌だとしても、それを身体に塗りつけた結果として体調不良が生じたら賠償責任が生じるのではないだろうか。大手が手を出さないのはそれが理由なのかも。

「そういった試験を学生にやらせるとなるとハードルが高い。むしろ金を払ってどこかから呼び寄せた方が楽じゃないのか」

「ふむ」

「報酬を払えば、水着になって風呂に入るのを厭わない女性ぐらい幾らでも」


「えど先生」

 冷たい声が私を呼んだ。

「お金を払って山奥の家に女性を呼んで、しかも水着を着せてお風呂に入れようというんですね」

 その表現は止めてくれ。そしてなぜ私が主体になっているのか。

「他の人に知られたらどう思われるでしょう? 絶対問題になりますよ」

 問題になると思うのならば、学食で大声を出さないで欲しいのだが。やむなく私は次の案を出してみた。

「いっそのこと私が被験者になろうか。性別は希望と異なるが」

「それも駄目です」

 古海君が断言する。

 なぜなのか。そう視線で問うと、彼女は箸を握って力説した。

「女子学生の身体から採った細菌を培養して身体に塗りたくるとか、変じゃないですか。採取された女の子達に知られたらやっぱり大ごとです」

 またしてもそういう言い方を。しかし、含まれた真実にも目を向けざるを得ない。確かにそういう捉え方をされてしまう危険もあり得る。率直に言って、他人から好意的に理解して貰えない類いの実験なのだ。配慮という要素も必要だろう。


「じゃあ、わたしがやりましょうか~」

 穏やかな声が広がり、三人の視線が集まる。

「ちょっと、悠里」

「安全なんですよねー?」

 狩尾君が獅子角を見上げた。

「最大限の配慮をする」

「あるばいと代、でますよねー」

「当然だ。金額も増やそう」

「でしたら~」

 古海君が慌てて話に割り込む。

「駄目よ、悠里。そんなことして何かあったら」

「ルカ君、済まんが」

 獅子角の声は穏やかだが、明白な意志をその中に含んでいた。

「こちらがどんな実験をするのかについて君の意見を聞く気はない。それに、悠里君の決断について君が関与するのは筋違いではないのか」

 きっぱりとした意志を表示され、古海君は沈黙する。

 気まずい空気の中で十秒以上の時間が経過した後、彼女はまるで救いを求めるように私を見上げた。

「えど先生」

 私と彼女の視線が重なる。

「わたし、邪魔でしょうか?」


 あー。すまないが、率直に言えばその通り。

 それが私の意識が導き出した結論だった。

 そもそも、獅子角の企画に一般人が参加するのは勧められた行為ではないのだ。獅子角は悪人では無いが、世間の常識とは無縁の場所に居る人間であり、言ってしまえばその分タチが悪い。

 獅子角は最大限の配慮をすると言った。しかし配慮したとしてもリスクは生じるのだ。そのリスクに対して適切な対価を見定め、自分自身を売ることのできる人間をプロと呼ぶ。古海君達は、その意味で完璧など素人なのだ。二人をこれ以上巻き込むのは良くない。

 下手にそれを言えば傷つけてしまうかも知れないが、ここできっぱり断っておいた方がお互いのためだろう。私はそう考えた。


 考えたはずだった。しかし。


 私がその考えを告げようと顔を上げたとき。自分を見詰める二組の瞳に気づいた。

 古海君。そして狩尾君。一瞬の間に順々に交差する視線。

 そしてなぜか、私の意識を無視したかのように口が動く。

「いや、そんなことはない。できればこのまま助けて欲しい」


 え?

 私は驚きで固まってしまう。

 今、何が起きたのだ??

 直前までの思考と全く異なる発言に、自分自身が驚愕する。

 言い間違いだとかそういったレベルでは無い。考えていた内容と真逆のことを口走ってしまったのだ。

 しかも、表情も声も『私の本心です』といわんばかりの態度で。


 なんとか発言を訂正する方法がないか。

 私が必死に考えている間に、古海君がふうと息を吐く。

「わかりました。でしたら、わたしがやります。悠里に危険なことはさせられませんから」

「あー、瑠佳ちゃんずるーい」

 どこか嬉しそうな声で狩尾君が言う。

「アルバイト代は、悠里と一緒にしてください」

「そうか。ならばカリオ君には記録係を頼みたい。良いだろうか」

 え? 一体、何故だ。どうして。

 愚図愚図と悩む私を無視し、速やかに話が進められていった。


「では、場所が確保でき次第、直ぐにでも実験を始めたい。江戸里、頼むぞ」

「あ、ああ」

 呆然としたままで、私はそう答えた。

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