第10話

 翌週。ゼミ室の中では活発に意見が交わされていた。

「民主主義政治は社会の構成員に広く参加を認めるのが原則です」

「いや、日本の政治は日本人が決定すべきだ」

 お題は外国人の政治参加。より具体的で自分達の問題として実感しやすいためか、前回の授業よりも遙かに意見が割れた。


「その考え方は偏狭だと思うよ。排除の論理で考えるべきじゃない」

「むしろそちらの考えは幼稚だ。外国人に政治方針を決定されるようになってしまったら、取り返しがつかない」

 言葉の使い方がヒートアップし始める。少々まずいな、と思った。この議題はどうしても感情的な反応を呼び覚ましやすい。下手をすれば学生同士の個人的な関係に傷をつけてしまう。

 本気で自分の意見をぶつけ合うことは大事だが、より重要なのはむしろ意見のぶつけ合いを健全なものとして認識し、個人攻撃に繋げない節度を持つ事なのだ。その点について、正直なところ彼等はまだまだ未熟なのである。


「では、いったんここで議論を打ち切ろう」

 そう言って私は講義モードに入った。

「最初に言っておきたい。この議題に正解は無いんだ。それぞれの意見にそれぞれの正しさがある。まずは、自分とは異なる意見にも正しい部分があると認める必要がある」

 そう言って私は部屋の面々を見渡した。

「今、この部屋での意見は賛成六、反対四、保留が三というところかな。まずは全員立ってくれ」

 がたがたと椅子の動く音が響いた。

「賛成はこちら。反対はこっち側に集まるように。保留の人はそこだ」

 何が起こるのか。どこか期待を抱きながら学生達は部屋の中を動く。

「では、もう一度多数決を取りたい。ところで、その前に」

 私はゼミ室のドアを開けた。五人の学生がぞろぞろと部屋に入ってくる。

「彼等は臨時のゼミ生だ」

「えど先生、また変なことを」

 古海君があげた抗議の声に、私は涼しい顔で答えた。

「ゼミ生が誰であるかを決定する権限は私にあるから、彼等は正当な参加者として投票権がある。あ、君たちはそっち側に立ってくれないか」

 私は五人の学生を反対意見側に立たせた。

「では、多数決を取ろう。どうかな? 素直に同意できるだろうか」


 男子学生の一人が笑う。

「えど先生、今度はそう来ますか」

「何か問題があるかな?」

 すかさず古海君が怒ったような口調で言う。

「おかしいですよ。突然反対意見の人を増やしてから多数決を採るなんて」

 計算通りの態度だった。私は落ち着いた態度のままに応じる。

「古海君。彼等が反対意見を述べると、なぜ分かるのかな?」


 彼女は意表を突かれたようだった。

「え? ですけど」

「彼等には反対意見側のテーブルに立ってもらった。しかし、彼等がどちらに投票するかについて、君は何らかの確証を持っているのだろうか」

 ちゃんと冗談に聞こえるよう、茶化した口調をつくる。

「君は偏見と先入観で彼等の投票行動を予測した、ということになる」

 一拍おいてから、私はくすりと笑った。

「納得できないかな?」

「だって、そんなところに立ったらそう投票すると思うのが当たり前です」

 嫌味に聞こえないよう、声のトーンに注意する。

「彼等の立ち位置スタンスを見れば明らか、という意見だね。だけどそういった思い込みを、偏見と呼ぶんだよ」

 教室の中で笑いが起きた。古海君が私を睨む。

「いや、ごめん。そういう反応を狙っていたのは確かだ。期待通りで助かったよ」

 再び起きる笑い。古海君はそっぽを向いたが、本気で怒ってはいないようだった。こういう点は本当に有り難い。

「皆、席に戻ってくれ」


 全員が再び着席するのを確認し、私は話を再開する。

「さて今更説明するまでもないが、今回のテーマは集団の意志決定プロセスに外部からの新規参入者を加える、例えば外国人有権者を増やした場合に何が起こるかという問題だ」

 私は合図をして、アシスタントしてくれた学生達を退出させる。直前に行った講義で、学食の食券を代償に協力を依頼していた面々だ。

 こんな小さなことでも手持ちの資金がなければ気軽には出来ない。懐が暖かいというのは様々な点で便利なものである。

 私は賛成派の男子学生に聞いた。

「率直に聞きたい。見知らぬ集団が突然に自分達の投票に参加することは、気分の良いことだっただろうか」

 男子学生は数秒間考え込んだ後、素直に自分の意見を語ってくれた。

「そうですね。どうしても抵抗感があります。すんなり認めたくはないという気持ちになりました」

 私は深く頷く。

「それが正常なんだ。人間は社会的動物であって、集団の中における自分の発言権が低下することを本能的に恐れる。意志決定プロセスに新規の参加を許すのは、常にリスクを伴う行為だ。特に自分と異なる意見の所有者が増えていく状況は、直接的な脅威と認識される」

 人は、自分が持つ物を他人に分け与えることが本当に下手だ。「あなたの取り分を他の人に与えることを了承して欲しい」。いつだってそれは、最も難しい交渉の一つだった。

「こういった性向は排他主義として取り扱われることが多いが、ある意味では当然のこととして許容しなければならない」


 学生から質問の手が挙がった。

「しかし、排除の論理は民主主義にとって危険ではないんですか?」

「もちろんそうだ。しかし逆の視点で見てみよう。他人に対し、あなたの社会的価値が低下するのを黙って受け入れろと主張することは、民主主義のルールに反した行いだと言えないだろうか」

 私は真剣な瞳でゼミ室の面々を見た。

「もし権力者がそれを語れば、恐るべき不当な行為とされるだろう。だとすれば発言の主が権力者ではないから、あるいはポリティカルコレクトに沿っているから許されるという理屈は成り立たない。誰もが自由に自分の不満を口に出来る。それが民主主義の本質であるはずだ」


 私はもう一度教室全体を見回した。

 なんとなく違和感を感じて、ふと古海君と視線が合った。

 彼女は少し視線を逸らす。

 ああ、そうか。

 今のやり取りは、普段だったら彼女と行っていたような気がする。

 なんとなく途中で引かれてしまった印象だ。もうちょっとムキになって反論してくると思っていたが、今日は体調でも悪いのだろうか。


「一方、外部からの新たな参加者を全て拒絶することは非現実的だ。そもそも国家、あるいは社会というものは不定型かつ曖昧なもので、その中身は常に流動している」

 講義を続けながら私はふと前回の約束を思い出す。

 例の調査から二週間。

 立場上、気軽にゼミの女の子を食事に誘うわけにもいかずに約束をほったらかしにしている状況だが、それもそれで良くないかも知れない。なんとか穏便に、適切な感じで対応しなくては。


「さて、我々は現行の制度に沿った新たな参加者。例えば成人に達した日本人に投票権を与えることについてはさしたる抵抗感を持たない。しかし考えてみれば不思議な話だ。投票行動は世代間の差が大きい。君たちにはまだ実感が湧かないかも知れないが、外国人に投票権を持たせることと、自分達よりずっと下の世代にそれを持たせることのリスクはさして違わないはずだ」

 ゼミが終わったら、古海君に声をかけてみるか。いやいや。

「だとすれば、そこにはどんな違いがあるのか。どのような条件であれば、人は自分達の社会に新たな参加者を受け入れるのか。それについて考えてみてほしい」

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