第7話

 事務課長との折衝を追えた後、私はすぐに助教とのアポを取った。

 忙しい身の上とのことで最初は渋っていたが、渡米に関してのお話と告げた途端に態度が変わった。実にあっさりと、その日の夕方には会うことが決まった。 


「先生の研究はカスタム医療に関するものだとか」

「正確に言えば、僕の専門はバクテリオシンの生成だよ。それを利用したカスタム医療は、もう一段階上のレベルになる」

 科学の研究者らしい細やかな訂正が入る。

「僕はその協力者の一員、と言うべきだろうね」

 私は聞きかじりの知識を使って話を続けた。

「バクテリオシンは、細菌を殺す成分のことだと聞きましたが」

「単純に言えばそうだね」

「抗生物質とはどう違うのでしょうか?」

「全く違うよ。素人に分かりやすく言えば、抗生物質は付近の細菌を皆殺しにする。バクテリオシンは狭い範囲の菌にしか効果が無い」

 助教は本題に入らぬ私に多少の苛立ちを感じているようだった。しかしまだまだ。もう少し焦らしておこう。


「バクテリオシンは細菌同士が戦うための武器なんだ。彼等が自らの生息環境を巡って争うための。だから特性が異なる相手を殺す機能は無い」

「要するに縄張り争いのための武器、ということですか」

「そんなところだね。人間が最も必要とするのは、他の人間を殺す武器だろう? 利害というものは主に自分と似た相手との間に生じる。細菌も同じなんだよ」

 なるほど。それは理解しやすい。

「よく使われる例えとしては、抗生物質は核爆弾のようなものなんだ。有益だろうが無益だろうが、どんな菌も皆殺しにしてしまう。その結果、共生菌が死滅して消化機能障害などが発生する例は多い。腸内の細菌が減った結果、通常ならばそこで繁殖できないような厄介な菌が棲み着いてしまうことだってある。時としてその影響は致命的だ」

 語っているうちに内心の情熱が呼び覚まされたのか。口調が徐々に強くなる。

「対象の病因を特定し、それだけに効果を絞った、他に影響を与えないカスタム治療こそがこれからの主流であるべきなんだ。だけどそれを認めない老害も多くてね。困ったものだ」


 つまりは、それが彼と教授が不仲である原因なのである。

 現代における治療法の評価というものは、原則として多数の被験者に対して同じように効果が認められ、同時に副作用が少ないということが基準になっている。

 その考え方自体におかしなところはない。

 千人に一人しか効かない薬、一万人に一人しか病気が治らない治療法などというものを病院が採用しないのはある意味当然だ。

 しかしカスタム医療は病原菌や患者個人のDNAなどを分析し、特定の症状に対し専門の治療を行うのが特徴だ。個々の状況に最適化しているがゆえに、ある人には効くが別の人には効かないという現象が生じる。要するに、従来型の制度では正しく評価されない手法なのである。


 念のために言っておくと、反対派の意見にも理由はある。個々の患者ごとにカスタマイズするその手法は、予想外の副作用を引き起こすリスクが避けられない。だから教授側が一方的に間違っているとも言い切れないのだが、まあ、ここでは余分な話だ。


 私は助教の側に寄り添った態度を見せた。

「お察しします」

 そう言いながら、私は自前の資料を差し出す。

「ついては先ほどお話ししたとおり、そちらの協力と引き換えに海外派遣について利便を図りたいという申し出がありまして」

 資料を見た助教は不思議そうな顔をした。

「細菌の培養と分析? この会社なら、そんなものは自前でできるんじゃないの」


 そりゃあそうだ。本当にこの企業が関与しているのなら、三日で必要な設備と人材を集めてくるだろう。私は自分には詳細が分かりませんが、という態度を貫いて見せる。

「そこは私にはなんとも。ただ、事情があって社内のラインは使用できないそうです。そこで半年ほどご協力をお願いしたいと」

 助教は不審そうな目で私を見る。

「危ない話じゃないんだろうね」

「詳細はそこにある通りです。体表に付着した細菌の培養と分析。法に触れるような内容ではありません」

 助教は資料をテーブルに戻して椅子に座った。背後の方向、教授の研究室に向けて指を立ててみせる。

「そうすれば、アレを説得してくれると?」

「最善を尽くすとのことです」

 その点に関しては信頼して欲しい。

 こちらとしては、できる手を全て打つつもりだ。


 私の自信が伝わったのだろう。助教の眼の奥に期待の色が芽生えた。それを隠すように、彼はもう一度机の上の資料に視線を走らせる。

「別に作業としては難しくは無いが、量が多いね。こちらの研究に支障が出るようでは困るんだけど」

 まったく、と私は思った。やる気も無いのに下手な駆け引きの振りなどしないで欲しい。時間の無駄というものだ。


「もしご不満ということでしたら、お断りの連絡を入れておきますが」

 あからさまなブラフだったが、それでも助教は慌てた。

「待て、待ってくれ。やらないと言っていないよ」

 私は落ち着いた態度で次の言葉を待つ。

 これは最初から失敗する余地の無い交渉だった。こちらは相手が絶対に欲しているものを握っている。その上で、相手が許容できる範囲の損失を強いているだけなのだ。これで承諾を貰えないようなら、私はとんでもない無能である。

「確実なんだろうね。アレは偏屈だよ」

「お互いの上下関係ばかりに拘る小心者ですよ。実は、考えがあります」

 私は助教に身体を寄せ、計画を耳打ちした。

 彼の顔に驚きが広がる。

「いや……確かにそれは。だけど、彼等に迷惑をかけるわけには」

 私はにこやかに微笑んだ。

「既にそちらの調整は済ませています。快く承諾してくれたとのことですよ」

 助教が息を呑んで沈黙する。私はじっと彼の顔を見た。

「後々のことも考えて、教授をおだて上げる形になると思います。その点はご容赦を願いたいかと」

 メフィストフェレスの表情で彼は答えた。

「ああ、構わない。渡米させてくれるというなら、あの老いぼれの尻を舐めるぐらいのことはなんでもないさ」

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