第6話
会議の後、私は廊下で事務課長を待った。
部屋を出た課長にごく自然な風で並ぶ。
「どうも」
「ああ、さっきはありがとう。助かりましたよ」
にこやかな応対。私は更にもう一つ、課長の手間を取り除いてみせる。
「もしご希望があれば、ゼミ生を通して先ほどの件を学生会に連絡しておきますが」
「そうですか。でしたら、申し訳ないですがその点も頼めるでしょうか」
ますます機嫌が良くなった課長に対し、私は声を潜めて告げた。
「実はもう一つご相談したいことがありまして。少々お時間を頂けませんでしょうか?」
―――――
「随分凄いところからじゃないですか」
私が告げた会社名に事務課長は驚きを見せる。
「ええ。私の友人がその社の関係者でして」
獅子角は件の会社の資金運用をしたことがある。よって、関係者という表現は不正確であるにしても完全な嘘とは言えない。
「どうやら先方はうちの大学の研究に興味を持っているらしく、繋がりを持つという意味で援助を申し出たいと」
この場合、先方という言葉が指すのは獅子角個人である。
よってこれも嘘では無い。
まあ、このレベルの話であれば後日に会社側に書類を用意させ、後から辻褄を合わせてしまえば何の問題も無い。師子角クラスの強力な後ろ盾があると、交渉は本当に楽である。
「うちに興味というと、どんな」
「バイオ系の研究で有名な方がいましたよね」
私は目星をつけていた助教の名を出した。
「彼の研究の援助をしたいとのことです」
課長は合点がいった様子でぽんぽんと膝を叩く。
「ああ、なるほど。最近注目されているらしいですね」
そして私はそっと、交渉の中心部を切り出した。
「なんでもあの方はアメリカの会合にも招待されているとか。その渡航費用も援助したいということなのですが」
私の言葉に事務課長は渋い顔をした。
「先生、それは色々難しいところがあるって、ご存じじゃないですか」
課長の反応には理由がある。
問題の助教は新進気鋭と言って良い存在で、いずれこの分野で大きな仕事をする人物だと目されている。しかしながら、学内での序列は学部の教授の下。そしてこの二人の折り合いが悪いのである。
簡単に顛末を言えばこうだ。
これまで論文や研究成果のやりとりをしてきた海外の研究者を通して、助教にアメリカで開催される会合への招待が来た。なかなかにレベルの高い、参加すれば格の上がるような集まりであり、彼としては是非にも参加したい。
ところが、教授がこれに待ったをかけたのである。本来の規則によれば研究出張は無条件に認められるはずなのだが、それはあくまでも建前に過ぎない。学内の用事であるとか、大学の講義や試験の受け持ちについてなど、持ち出せば実質的に海外出張を不可能にさせる方法など幾らでもある。
助教としては退職をしてでも、という思いもあるようだが、ここまで引き立ててくれた人々への恩やら義理やらもあり、身動きが取れないのが実情らしい。
大学としても判断の難しいところである。助教を送り出した方が大学の名は上がる。しかし、教授の意向を無視するわけにも行かない。中々に厄介な状況。
そして事務局はセンセイ方の縄張りには手を出さないのが不文律だ。
学内において、事務方と教授達の権限は明確に区別されている。下手に口を出して、助教の側に一方的に肩入れしたなどと思われたら今後に支障が出る。そのため、事務課長としてはこの話に深入りしたくないのである。
しかし事務課長が及び腰なのは想定内だ。
その先をどうするのかが、私の手腕ということになる。
「ええ、そこで提案があったのですが」
具体的に誰からの提案かと言えば、私からの提案である。
「大学への寄付は助教個人に対してではなく、学部に対して行う形にしたいと」
学部への寄付ということは、学部のトップ、すなわち教授への寄付と見做される。これならば教授の面子も立つでしょう、口には出さぬままそう告げる。
事務課長が考え込んだ。この狭い世界で課長まで昇進した人間だ。学内での勢力争いに関する計算には抜かりが無く、だからこそ思考は予測しやすいとも言える。事務課長は定年までまだ間がある。一方、問題の教授は高齢だ。数年後を考えれば助教の側に恩を売るのも悪くない、そう算盤を弾くだろう。あとはもう一押し。
「海外でも注目されている程の人物です。後々大きな功績を残す可能性は高いでしょうし」
私は課長の深層心理に埋まっている考えをそっと掘り起こした。
「彼のような人材を残すのは大学にとって大きな財産になるでしょう。どちら側からも異論が出ない形が望ましいのではないでしょうか」
私はそっとペーパーを差し出した。季節外れのサンタクロースのごときプレゼントの目録。獅子角が購入した装置の数々。寄付金。そして渡航費用。まともに金額換算すれば数千万円の内容だ。課長が目を丸くする。
「これは単なる資料ですので」
私は事務課長が最も欲していたであろう条件を追加する。
「正式に話が決定すれば、先方が事務課長のところに挨拶に伺うとのことです」
なぜそんなことが問題になるのかと言えば、それはつまりこの寄付がどのルートからもたらされたのか、という点が重要になるのである。
具体的に言えば、私なのか、教授なのか、そして事務課長なのか。
正式の受付を行った人物に対し、この寄付を呼び込んだ功績が与えられる。
私は課長に対し、「あなたの得点になりますよ」と囁いたのだ。
「い、いや。しかしこれは先生が……」
そう言いつつ事務課長の瞳が期待に輝いている。有名企業からの大口寄付。それを取りまとめたとなれば、課長の評価は大いに上がる。
「私は個人的にお話を伝えるよう頼まれただけですので」
自分の評価に直結するとなれば、やる気が違うだろう。頑張ってくれよと私は心の中で呟いた。私が直接に教授の相手をするわけにはいかない。ここはなんとか事務課長に踏ん張ってもらう必要があるのだ。
「できましたら、そういった方向で課長のご尽力を頂けると有り難いのですが」
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