第4話
誤解を解くまでには十数分を要した。獅子角は本来こういった時間の浪費を嫌うタチなのだが、私の立場を配慮してくれたのか、黙ったままやりとりに口を差し挟むことはなかった。
我々はあくまでも科学的な研究をしていること。女性蔑視や性的搾取の意図などは無く、細菌の収集手順を検討しているだけであることを古海君は一応了解してくれた。了解はしてくれたのだが。
「でも、えど先生が実行するのは犯罪同然です」
最後までその主張が取り下げられることはなかった。
「終わったか? 出来れば話を戻したい。」
マイペースを崩さないままに獅子角はそう言った。一方の私は精神的にかなり消耗していた。一度切れた集中を取り戻すのは容易ではない。
「女性を集めて体表の細菌を採取する方法か。えーと」
思考のまとまらない私に、横から声がかけられた。
「えーと。サウナスーツをテストしている研究室がありましたよ~」
三人の視線が狩尾君に向けられる。
「新素材の服をテストするとかでー 十五分ぐらい走ったり体操して、体重とか汗の量とかしらべていました~」
なぜそんなことを知っているのか。
そんな視線を向けた私に、にこにことしながら狩尾君は話を続けた。
「瑠佳ちゃんが参加していました~ ダイエット効果があるって・・・・・・あ、瑠佳ちゃん痛ぁーい」
古海君が狩尾君の頬を軽くつねった。微笑ましい光景であると同時に、ハラスメントとは互いの関係性次第だという見事な見本でもある。
獅子角はふむふむと頷く。
「それは貴重な情報だ。なにか手立てはないか?」
「共同研究という名目でその研究室に持ちかけよう。古海君、その時は参加謝礼があっただろうか?」
一瞬だけ答えづらそうな表情を見せてから、古海君は私の問いかけに応じる。
「特にはありませんでした」
日本の大学には金が無い。在学生に実験参加を求める際、無償になってしまうのは良くある話だ。おそらくダイエット効果を謳うだけで人を集めたのだろう。
「参加の謝礼に千円程度の金券を用意して、その費用をこちら持ちにするのはどうだろうか。被験者を大幅に増やせれば、相手にとってもメリットがある」
来たとしても参加者は百人単位だろう。数十万円程度、獅子角にとっては端金だ。
「うむ、有望そうだ。ではどうやってサンプルを回収する」
「向こうの研究室は運動をさせた後に検査をするんだろう? だとすれば、検査前のタイミングで被験者にタオルを差しだせばいいんじゃないのか」
獅子角が目を輝かせた。
「成程。そうすれば被験者は自分で身体を拭く。後はそのタオルを回収するだけか。極めて自然な流れで、余計な手間も無い。流石だな、江戸里」
獅子角の賞賛とは裏腹に、なぜか私を見る古海君の眼が冷たい。
「えど先生、ひとつお伺いしますが」
視線に相応しい、冷ややかな声が私に向けられた。
「ええと、何かな?」
普段のゼミで、もう少し優しく接するべきであったかと反省をする。もちろん、後の祭りだ。
「まさか女性の汗が染みついたタオルをご自分で回収するつもりでしょうか?」
「いや、それは」
特にそんな事までは考えていなかった。この場で思いついたアイディアを言っただけなのだ。なのに怒りを含んだ視線が私を射る。
「ほとんど変態です」
あまりと言えばあまりの言われようである。
私の心に与えられた衝撃をどう表現すれば良いのだろうか。
そもそも私は望んでこんな企みを始めた訳では無い。友人に頼まれたため、そして生活のために、仕方なく手を貸しているだけなのだ。しかし古海君は、容赦なく私に追い打ちをかけてきた。
「社会通念とか、デリカシーといったものをもっと重視してください。いざという時、そういった配慮の有無が社会的な生死を分けるんですよ」
私は神を信じない。あんなものは自己正当化の言い訳を聞かせるための架空の聞き手に過ぎないと思っている。しかし思わず私は、自分の無実を天に向かって訴えたくなってしまった。
ショックで半ば口が利けなくなっている私。
それを後目に、にこやかな笑顔で狩尾君が会話を引き継いだ。
「じゃあ瑠佳ちゃん、わたしたちがお手伝いしようか~」
再び三人の視線が狩尾君に集められる。
「成程。確かに助手は必要だ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「瑠佳ちゃんはあちこちのサークルに友達が居るから、いっぱい人を集められますよ-」
「それは好都合だ。アルバイト代は弾もう」
「わーい」
「ただし、実験の内容は秘密厳守で願いたい」
「わかりました~」
私と古海君の意見が無視されたままに話が進められていく。見かけとは裏腹にてきぱきと、狩尾君は仕事の条件をまとめていった。
区切りがついたところで、獅子角は実に満足そうな笑顔を私に向ける。
「よし。これで大体の方針は決まったな。後はよろしく頼む」
要は済んだとばかりに席を立ち、獅子角は軽く手を挙げて去って行った。
おいおい、この後どうすればいいんだよ。
古海君と狩尾君が食事を再開する。横目で見るとちらりと視線が合った。彼女はまだ私に何か言い足りなさそうだった。
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