第2話

 十三人が座るゼミ室。

 各自が自分の意見を述べた上で、模擬投票が行われた。私は結果を読み上げる。

「賛成四、反対五。そして棄権が四」

 学生の表情は様々だった。不思議そうな顔、面白がっている顔、不満そうな顔。

「これにより我々のゼミの総意が示されたわけだが、この結果について意見のある人はいるかな?」

 すかさず一人の学生が手を挙げた。

 今時珍しいぐらいの黒いセミロングが揺れる。

「どうぞ、古海君」

「えど先生、こんなのおかしいです。とても正当な結果とは言えません」

 彼女は自分に配られたカードを広げて見せた。それには、『投票においては棄権すること』と書かれている。

「おもしろーい。わたしはこんなのだよ〜」

 古海君の隣に座る小柄な女の子がカードをめくった。『左隣の人の意見に反対して投票すること』の文字が見える。


 古海君が私を睨んだ。

「こんなカードを配られたら、投票結果なんて意味を持たないと思います」

「しかし、これが現実というものだよ」

「現実の選挙はカードゲームじゃありません!」

 室内に笑い声が上がる。生真面目そうに反論する学生、古海 瑠佳君は非常にからかいやすいタイプだった。いや失礼。ハラスメント的な意図は無い。熱意を持ってゼミの話し合いに活気を加えてくれる存在、と言うべきだろうか。


 私は室内の学生達を見渡した。

「じゃあ他の人もカードを開けてくれ。互いに見えるように」

 各自が投票前に配られたカードを開けた。十三枚中、自由投票は七枚だけだ。棄権の指示が四つ。残る二枚の内、一枚は右隣の人の意見を支持しての投票、もう一枚は左隣の主張に反対して投票の投票を指示していた。

「さて、これは現代の投票活動を模したものだ。投票率は国政選挙であっても六割程度。社会における三割以上は、そもそも自分の意見を投票に反映させていない。そして、議題と直接関係ない理由で投票先を決定をする人も多い。君たちにも覚えがあるだろう?」


 学生達がざわつく。それが収まるのを待って、私は話を続けた。

「君たちが結果について感じた違和感は、自分の予測と大きく異なる投票結果を見たときに感じるそれと本質的に同じものだ。社会の表層で語られている内容、あるいは自分の周囲で語られているそれと、実際の選挙で示される結論が食い違うことは決して珍しくない」

 むしろ、昨今では極めて頻繁に起こる現象だ。

「試しに、全員自由意見で再投票をしてみようか。挙手をしてくれ」

 賛成は七。反対は六だった。

「見事に逆転したね。ただこの結果も信頼できるかは疑問だ。君たちの中に、隣に座る好きな人の意見に賛同した者がいないとは限らない」

 学生の間に笑い声が広がった。若干、私の予測と違う類いの笑い声だったが、その点を気にしても仕方ない。


「現実の世界における投票はこんな風に歪んで矛盾したものだ。だとすれば選挙の結果とは何を意味しているのだろう。例えばこの結果を『市民の意見』などと表現して良いものなのか。社会に対して何が問われ、何の結論を出したのだろうか」

 古海君の隣に座る小柄な女の子。狩尾 悠里君が手を挙げた。

「どうぞ」

「でも、えどせんせー。世の中にいろんなカードが配られたら、お互いがうちけしあって全体としてはやっぱりふつーの多数決と同じになりませんかー?」

 舌足らずな言葉遣いと子供っぽい見た目。しかし実のところ、狩尾君は中々に聡いタイプだ。試験の結果も良い。


「そうだね。結果としてはそうなるかも知れない」

 私はそう前置きしてから、話を続けた。

「しかし、そうならない場合もある。例えば独裁体制での選挙は、投票禁止や特定候補者への投票強制といったカードが山ほど入ったゲームとみなすことができる。そんな状態が、健全な民主主義と言えないのは明らかだろう」

 ゼミ室の中で、何人かの学生が同意を示す。

「その一方、全ての外部要素を排除することは不可能でもある。それでも選挙は行われ、それによって社会は進んでいく。私達は立ち止まっていつまでも考え込むことはできない。生きるとは決定し続けることだからだ」

 現実世界では、理想などという永遠に訪れないものを待つことはできない。何もかもが不足し、不純なままで、それでも前に進まざるを得ないのだ。

「だとしたらどうすれば、あるいはどのような条件であれば『自分達が決めた』と自信を持って言うことが可能になるだろうか。今回のテーマは、現代社会におけるインフルエンサーなどの存在意義とその影響を含めて……」


―――――


 授業が終わった。

 やや変則的な、ゲーム形式なども活用した政治学に関するゼミは概ね好評だ。

 しかし私自身の本音としては、この程度の内容ならば高校生ぐらいが対象でも十分であるような気がする。また、昨今はやたらと学生に気を遣わねばならず、深く踏み込んで議論するよりも、傷つけないための配慮が先に立ってしまうことも多い。

 私が学生だった頃はまだ、「君の発言は余りに具体性に欠け、何も言っていないに等しい」「君の論文は革命家のアジテーションとしては及第点だが、ただそれだけだ」などという寸評を平気で行う教授が居たものだ。

 当時はまるっきりの罵詈雑言としか思えず、私はいたく傷ついた。

 しかし今になってみれば、学生を子ども扱いせずに真剣な議論の相手として尊重していたのだと分かる。


 しかしまあ。

 そんなことを考えていても仕方ない。正しいやり方というものは時代によって変わる。今の大学でそんなことをしたらたちまち首になってしまうだろう。学生には分かりやすく親切に、だ。

 しかしその結果、私はどうしても学生を子供扱いする癖が抜けなくなってしまった。年齢で見れば一回り少々の違いでしか無いのだが。


 私は意識を引き戻す。久しぶりに獅子角に会ったせいか、妙に昔のことを思い出してしまったようだ。部屋を出る学生達に明るく挨拶する。

「お疲れ様」

「失礼します」

「では~」

 ゼミ生が次々と部屋を出て行く。私は前を通る古海君に声を掛けた。

「ああ、すまない。古海君」

 彼女は少し表情を硬くして応じる。

「何でしょうか」

「この間の話だが、学生会はどんな感じだったかな」

「ええと、特に問題はなさそうでしたけど」

 その答えに私は安堵した。私は軽く頭を下げて、感謝の念を示した。

「そうか、ありがとう」

「いいえ。えっと、でも」

 古海君は不思議そうな顔をする。

「えど先生がなんでそんなことを気にするんですか?」

「いや、ちょっと事務局との話し合いがあってね」

 そんな曖昧な答えで私は濁す。

 立ち去る古海君に、狩尾君が駆け寄った。

「ねえねえ、瑠佳ちゃん。なんのお話してたの~?」

「何でもない。サークル棟の話」

 賑やかな話し声が遠ざかっていった。

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