第5話「異能と異獣」

「……はっ!」

 俺は勢いよく目を覚ました。

 そのはずみで上半身が起き上がりそうになるが、何かに押さえつけられているかのように体が持ち上がらない。

 ふと首を下へ向けると……。

 エナがベッドの左側のイスに座りながら、俺のお腹の上に突っ伏して寝ていた。

 右手で髪を掻き分け頬をつつくと、ゆっくりとまぶたが開き、吸いこまれそうな美しさの碧眼があらわになる。

「……? ……おにい……ちゃ…………お兄ちゃんっ!?」

 長年寝たきりの病人が意識を取り戻した時みたいなリアクションを見せるエナは、その場に立ち上がった。

 ……ふいに、怪物との戦闘が思いだされる。

「俺……生きてるんだよな?」

 半身を起こし、独り言のようにそう呟いた俺に向け、

「うん! エナとみんなを助けてくれてありがとねっ!」

 エナは屈託のない笑みを向けてきた。

 ……守れた、この笑顔。

 最初はなんで妹がいるんだろうってあれこれ理由を探してたけど、エナのおかげでこの世界のことを早く知れたし、一人じゃないから寂しくなかった。

 今はもう本当の妹のように愛しい。

 本当に……よかった。

「どうしたの? お兄ちゃん」

「ああいや……なんでもない。それより、ここはどこなんだ?」

 辺りを見れば、今俺が寝ているベッドとエナが座っていたイス、朝日の差しこむ窓、そしていくつかの家具くらいしか視覚的情報が得られない簡素な部屋の中だった。

「ここは町長さんの家だよっ! なんかお兄ちゃんに話があるっぽくて運ばれてきたの」

 エナの言葉を聞いて、俺は大きく頷く。

「……なるほど。そうだよな、あんなバケモノを倒したんだ。これはあれだな、『あなたこそ神に選ばれし勇者様です!』って感じで崇められるやつだな」

「違うと思う」

「えっ?」

 ――俺が何か聞き返そうとしたと同時に、部屋の入口のドアが開かれる。

「やあハルト君。元気かい?」

 そういいながら入ってきたのは、自警団の団長だった。

「まあ一応元気ですかね。まだ少し痛みはありますけど。……それより、その人は誰ですか?」

 そう言いながら、俺はおっさんの後ろに見えた老人を指さす。

 おっさんは顔をしかめると。

「何を言っている、寝ぼけているのか? というか指をさすんじゃない。失礼だぞ」

「よいよい、それだけ疲れているのじゃろう」

 老人は前に出ると、微笑みながらおっさんを制した。

 その耳はエナと同じく尖っており、俺やおっさんとは違いエルフであることが見て取れる。

 ……なんだこの偉そうなじいさんは。

『お兄ちゃん、あの人が町長だよ』

 エナはイスに座り直すと、俺の耳にそう囁いた。

「この人が? ……確かに言われてみればそれっぽい見た目だな」

 白髪にあごひげ、やたらと高そうなローブを身にまとったその姿からは威厳が感じられなくもない。

「あ、どうも。初めまして」

 俺はベッドの上から礼儀正しそうにお辞儀をする――が。

「ふぉっふぉっふぉ。やはり寝ぼけているようじゃのう。まだ休んでいてもよいぞ?」

 町長は穏やかな表情でそんなことを……。

「……エナ、このじいさんなに言ってんの? 挨拶しただけなのになんで『疲れてる?』なんて心配されなきゃいけないんだよ。ぼけてんのあっちじゃね」

 俺は思わずエナにそう零す。

『ねえ失礼だよ! 聞こえちゃうって!』

 耳打ちされながら町長に視線を戻すと、聞こえていたのか、その顔は少しだけ引きつっていた。

「いや失礼なのあっちだろ。いくら町のトップとはいえ初対面の挨拶も返してこないなんてさ」

「……初対面? お兄ちゃん何回か会ったことあるよ?」

 エナは俺の耳元から離れると、不思議そうに首をかしげる。

「え? そんなはずねーよ。だって俺こっちに来てからまだ一週間も経ってないんだよ? こんなじいさん一回でも見てたら覚えて……」

「あ、そっか! そうだったね。ん~、ややこしいなぁ」

 俺が最後まで言うより先に、エナが何かを理解したような様子を見せる。

「ややこしい? どゆこと?」

「えーっと、なんて言えばいいんだろう……? だからー、そのー。会ったことはあるんだけど、お兄ちゃんにはその記憶がないって感じ……? 伝わるかな?」

 ――数秒間の沈黙の後。

「あー! そういうことね」

 俺は理解が追いつき、状況を把握した。 

 ……そういえばそうだったわ。

 こっちは誰も知らないけど、この町の人たちの記憶には俺がいるのか。

 じゃあ転生してきたあの時みたいに町長にも説明すれば……。

 いや違う! それは散々試してエナ以外には受け入れてもらえなかったじゃんか! もうテキトーに話合わせとけばいいんだよ俺のバカ!

「……一体あの二人はなんの話をしているのじゃ?」

「さあ……。私にも分かりかねます」

 町長とおっさんは、案の定俺たちの言動についてこれていなかった。

 ――と。

「あのー。実は、お兄ちゃん数日前に記憶喪失になっちゃったんです」

 何を思ったのか、町長たちの方を向いたエナが突然そんなことを言いだす。

「いや……さすがにそんな突拍子もないこと信じてもらえるわけな」

「なんと!? そうじゃったか……」

「それは……。大変だったな、ハルト君。どうりで最近様子がおかしかったわけだ」

 ……あれー。

 どうやらこの町の人たちは物分かりのよさが異常らしい。

  

 ――俺は記憶喪失という体で、自分とエナのことしか覚えていないんだと町長たちに説明した。

「うむ……。では、どこから話せばよいのじゃろうか……」

 町長は、困ったような顔で考えこむ。

「話? そういえばそのために俺はここに運ばれたんでしたね」

「そうなんじゃが……」

「……町長。記憶喪失ということは、もしかすると『異能』についても覚えていないのでは?」

 横からおっさんが話に入ってくる。

「お主はハルトくんが『異能』を使っていたと言っていたではないか」

「そうですが……。ハルト君、本当に自分とエナちゃん以外のことは何も覚えていないんだな?」

 確認するように、おっさんは俺にそう尋ねる。

「はい、間違いありません。……それよりなんですか『いのう』って。気になるから教えてくださいよ」

「ああ。昨日使っていたあの力のことだよ」

「昨日……?」

 俺は思わず首をかしげる。

 ……あー、あの怪物と戦ってた時のことか。

 でも『使っていた』ってなんだ? チート能力のことを言ってんのか?

 いやそんなはずはない、あれは神様が俺に授けてくれた特別な力だ、他の人が知るわけがない。

「……どうやら覚えていないようじゃな。ではわしが教えよう」

 町長は一つ咳払いをすると。

「話によれば、お主は素手で怪物を倒したのじゃろう?」

「そうですけど、それが何かおかしいんですか?」

 字面だけ見るとかなり変なことをさも当然かのように答える俺に、町長はさらに質問を投げかける。

「戦っている間、体に何か異変は起こらなかったか?」

「異変? んー……まあ体の奥から力が湧き出してくるような感覚はありましたけど」

 その返答に納得したように首を縦に振ると、町長は続ける。

「……うむ。それが『異能』じゃ。この世に生まれてきた者は、みなある時になんらかの特殊能力を得る。……といっても個人差はあるがのう。生まれつきの素質に応じてその強さや種類、使えるようになる年齢が変わるのじゃ。そしてその時が来ると『ある言葉』が強烈に脳裏に浮かび上がり、それを口にすることで初めて発現するのじゃ。ちなみにわしの異能は『予知』。その名の通りこれから起きることを事前に知ることができる。……といってもせいぜい数時間後が限界じゃがのう。お主は、なぜタイミングよく自分が意識を取り戻した時にわしらがやってきたか、疑問に思わなかったか? 思ったじゃろう? ふぉっふぉっふぉ。それはわしの力によるものじゃ。……といっても」

「――なっげえよ!」

 オタクも顔負けのマシンガントークを繰り広げる町長に、俺はついツッコミを入れてしまう。

「ちょっとなに言ってるか分かりませんけど、これはチート能力っていう俺にしか使えないすげー力なんですよ(語彙力)」

「そっちこそなに言ってるか分からないんじゃが、もう一度言う。それは『異能』じゃ」

「いのうって、もしかして異能バトルマンガとかの異能ですか?」

「異能ばとるまんが? よく分からんが、たぶんそうじゃ」

「たぶんじゃダメなんです!」

 俺はベッドから降りて、勢いよく立ち上がる。

「どうしたのじゃ、説明が足りなかったのか?」

「……町長。聞き間違いじゃなかったら、あなたは『みな特殊能力を得る』とおっしゃいましたよね? ……つまり、誰でも俺のような力を持っているってことですか?」

「そうじゃが」

 町長の返答に、俺は床に膝を落とす。

 いやそんなはずは……! でも『ある言葉』をトリガーに発現するって、まさに昨日の俺じゃないか……! そ、そんな……それじゃあ……。

「――チート能力じゃねえのかよおおお!」

 俺は両手で頭を抱え、魂の叫びを上げる。

 そんな俺に向け、

「すまぬ、言い方が悪かったようじゃの。なにもお主の『身体強化』のような異能を誰もが使えるわけではない。それならば、昨日の一件で人々が混乱することはなかったじゃろうからのう」

 町長が、別に求めてもないお詫びと訂正をしてくる。

 ……そんな、じゃあこれから始まるであろうチーレム無双異世界生活はどうなるんだ? 俺の主人公街道がああああああああ!

 ――と、

「そうじゃ! 話が逸れて忘れてしまうところじゃった」

 何かを思い出したように、町長はぽんと手を打つ。

「わしが話したかったこと、それはお主が昨日倒した怪物についてじゃ」

「へー」

 チート能力ではないと知り打ちひしがれていた俺は、ベッドに横たわりながら空返事を返す。

 だが、町長の真剣な眼差しを見てただごとではないと察し、俺はもう一度半身を起こして話を聞く体勢に入った。

「……お主が倒したのは、オーガじゃ」

 身構えていたが、意外にも町長の口から出てきたのは聞き慣れた言葉だった。

「オーガ? なんだただの魔物じゃないですか」

「いや、あれは魔物ではない」

 昨日おっさんが言っていたのと全く同じことを口にする町長。

 横にいるおっさんに視線を移すと、俺を見ながら静かに頷いた。

「じゃ、じゃあ……なんなんですか?」

「あれは……『異獣』じゃ」

「いじゅう……?」

 俺は小首を傾げる。

「先程伝えた通り、この世に生まれ落ちた者はみな、神から異能を授けられる。そして異能の種類によっては、その力の代償として多くの体力や魔力を消費し、身体に大きな負荷がかかるものもあるのじゃ」

 俺は相槌を打ち、町長に続きを促す。

「通常、お主のようにゆっくりと時間をかけて休めば、心身共になんら影響はない。じゃが、十分に回復しきっていないまま、言わば限界を超えてもなお異能を発動し続けると、肉体が耐えきれなくなり、あのような姿へと変化してしまうのじゃ」

 深刻そうにそう告げられるが、初めて聞く情報の数々に、俺の頭は話のペースについてこれていなかった。

 俯きながら、途切れ途切れに町長が言ったことを思い起こし、

「異能を持つ者が……あのような姿に……? 人が……バケモノに……。…………えっ!?」

 その重大さに気づいた俺は、バッと町長のほうへ顔を向ける。

「そう、オーガは人間が『異獣化』したものじゃ。あの男は」

「ま、待ってください! じゃあ俺は……! 俺は、人を殺したんですか!?」

 思わず立ち上がると、まだ何か喋ろうとしていた町長に慌てて確認を入れる。

「……そういうことに、なるかもしれんのう」

「そんな……!」

 信じ難い事実に、俺は腰を落としてうなだれる。

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

「なにもお主が謝ることではない。あまり気に病まないことじゃ」

「でも……救えたかもしれないのに!」

「救えた、じゃと?」

 俺の言葉に、町長は不思議そうにそう返す。

「だって、異能があれば治せたんじゃないんですか?」

「そういうことじゃったか。……残念じゃが、異獣化自体が稀であり情報が少ない上に、あの姿になった者が元に戻った事例は今まで一度も確認されていないのじゃ。第一、異能はそこまで万能ではないのじゃよ」

 そう説明されても、心の中には言い表しようのないわだかまりが残る。

 ――と、俺はあることに気づいた。

「町長、さっきあなたの異能は『予知』って言いましたよね? それならあのバケモノ――異獣が現れるのも分かったんじゃないんですか?」

 そんな問いに、町長は小さくため息をつく。

「……言ったはずじゃ、異能は万能ではないと。わしの能力は、あくまで『知りたい』と願った出来事を予め知ることができるというものじゃ。だから、常に未来からあらゆる情報が流れてくるわけではないのじゃわい」

「で、でも! あんなのたかが一体だったじゃないですか。なんですぐに対処しなかったんですか?」

 そうだ、俺の力がチート能力ではなかったということは、あの異獣も極端に強すぎたわけではないはず。

「――それについては私から話させてもらおう」

 突然、今まで黙って話を聞いていたおっさんが口を開いた。

「まず私の異能について話しておく。私の能力は『計測』。その名の通り、対象としたもののあらゆる情報を測定し、可視化することができる」

「戦う仕事には似合わないな」

 俺はつい本音が漏れる。

「それは今まで散々言われてきたよ。確かに君のように攻撃面で秀でた能力ではない。だが敵と対峙するにあたって、その脅威度や弱点を知れるのは大きい。無駄な死者が出るのを防げるし、自警団の団員一人ひとりが持つ得意なことを活かした有利な戦い方ができるからね。だから私は司令塔である団長という座に就けた。……おっと、話がそれてしまったな」

 おっさんは小さく咳払いをし、説明を続ける。

「昨日オーガの強さを数値化したところ、あの場にいた自警団は、私を含めた五人全員をもってしても到底奴に敵いそうもなかった。だが、幸いなことに民衆を襲いだすような素振りが見えなかったため、私は本部や巡回中の団員に応援を頼もうとしたんだ」

「そこに運悪くエナが現れて、俺は飛びだしちゃったってことか」

「そういうことだ。でも、まさかハルトくんがいつの間にかあんな力を持っていたとは驚いたよ。記憶喪失になっても体は異能を覚えていたようだね」

「あ……いえ、実は昨日の戦いの最中に初めて異能が使えるようになったんですよ」

「本当か!? よくそれで戦いに行こうと思ったな……」

「それは……何も言い返せませんけど、倒せたんだし良しってことで」

「そういうものなのか? まあ、何はともあれ無事でよかったよ。それと、自警団を代表してお礼を言わせてもらう。ありがとうハルトくん! 君のおかげで町の平和は保たれた!」

「おお、忘れておった。わしもついでに……ありがとうなのじゃよ、ハルトくん」

 いやついでじゃねえわ、街のトップのあんたが第一に感謝すべきだろ、なんてツッコミを入れたくなったが、俺は二人の好意を素直に受け取っておくことにした。


     ■■■


 ――外はすっかり暗くなっていた。

 町長の家で目覚めるまでに異能による治癒を施してもらっていたらしく、俺はもう動けるくらいには回復していた。

 そして、今はエナと共に自宅への帰路についている。

「ほんとに大丈夫なの? もう少し休んでればよかったのに」

「平気だって。そんなことより早く帰りたいんだ」

「え、なになに? 一日空けただけでそんなに家が恋しくなっちゃったの?」

「まあそれもあるかもね」

 町長たちの話を聞き終わってから、俺はある決意で心が満たされていた。

 それは――

「エナ……俺、旅に出るわ」

「そっか。……。……えっ!? な、なに? どうしたのいきなり」

 かねてから、俺には『異世界で冒険をしたい』という強い願望があった。

 そして念願叶ってこの世界に転生することができた。

 ……ここまではよかったのだ。

 しかし、昨日まで俺の前には大きな壁が立ち塞がっていた。

 無論、それは『何の力も持っていなかった』ということ。

 スライムの時は運がよかったが、魔物のすべてがあんなにチョロいわけがない。

 それこそオーガのような敵が現れたら、無力な俺は間違いなく無惨に散るだけだ。

 そんな現実を叩きつけられ、一生この町に引きこもっていなければならないのかと覚悟を決めかけていた。

 ……だが、昨日の戦いで異能を手に入れたことにより、場は整った。

 あれだけ執着していたが、もうこの際チート能力か否かなんてどうでもいい。

 そもそも主人公無双系アニメに嫌気がさしていたクセに、自分のこととなると途端に手のひらを返すなんて、虫がよすぎたんだ。

 やっと……やっと俺の異世界生活が始まるんだ!

 そんな喜びと好奇心の混ざった感情を胸に、家の扉を力強く開いた――

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