第4話「深紅の怪物」

「「な、なんだ!?」」

 俺とおっさんの声が被る。

「……ば、爆発か?」

 そう言うとおっさんは慌てて町の中へ駆け込む。

 ――広場に入ると、多くの人々の悲鳴が俺の耳に入りこんできた。

 ……一体なにが起きたんだ?

 先程の轟音の正体を探るため、俺は辺りを見回す。

 が、人が多くてなかなか広場全体を見ることができない。

「あ、あの! この騒ぎはなんなんですか?」

 近くにいた女性にそう問いかける。

「あ、あれが……」

 その人は恐怖に怯えているような様子だった。

 指さされたほうを向くが、やはり逃げ惑う人々で視界が封じられる。

 事件でもあったのか? こんなにみんなが混乱しているなんて……まさか殺人でも……!?

 いや、じゃあさっきの異常な音のデカさはなんだ?

「ハルトくん! これは一体……!?」

 門周辺にいた数人の自警団員を連れてきたおっさんも、俺と同じ疑問を抱いていた。

「それが、人が多すぎて分かんないんです! でも事件か何かだと……」

「……そうか。とりあえずここは私たちに任せておきなさい。こういう時のための自警団だからな」

 そんな頼もしいセリフとともに、おっさんは人混みをかき分けていく。

 野次馬気質の俺は、すかさずその後を追いかける。

 ――途中、数回に及んで先ほどのような轟音が耳に入ってきた。

「……っ!?」

 俺は、一足先に人混みを抜けたらしい自警団の一人に顔からぶつかった。

「いてて……。どうしたんですか?」

 鼻をさすりながら、先頭にいたおっさん、もとい団長に声をかける。

「あ、あれは……まさか…………!」

 迫真の表情を見せるおっさんを見て何やらやばそうな雰囲気を察した俺は、自然と同じ方向に視線を移す。

 ――目に飛び込んできたのは、熊ですら全く相手にならなそうな程に巨体な怪物だった。

 肌は血塗られたように赤く、頭部には二本の大きな角がそびえ立っている。

 そんなバケモノが二、三十メートルほど先で、半円形の広場の外縁に並んでいる露店を荒らし回っている光景がそこにはあった。

 ……これが音の正体なのか……?

 気づかないうちに、俺の足は恐怖にすくんでいた。

 同時に、森でのスライムとの戦闘を思い出して少し安堵する。

 あんなのと出くわしていたら、きっと俺は今ごろあの世にいただろう。

 どうやらさっきは運がよかっただけのようだ。

「みんな、他の奴らも呼んでくるんだ! できるだけ人数を集めろ!」

「「「「了解!」」」」

 ――突然横にいたおっさんが声を張り上げると、自警団のメンバーは広場のあちこちへと散らばっていった。

 なんで戦わないんだ? あの怪物相手に人数が足りない……?

 自警団の人数は、今いたメンバーとおっさんを足して五人もいた。

 なのに戦わないなんて……そんなに強敵なのか……?

「おっさん! あの魔物はなんなんだよ! なんで倒さないんだよ!」

 何が起こっているのか理解できない俺は、状況確認のためにおっさんを問い詰める。

「いや……あれは魔物なんかじゃない」

「どういうことだよ! このままじゃ危険じゃねえか! 町の人を守るのが自警団じゃないの? なんか知ってるならちゃんと説明してく……」

 そこまで言った俺は、視線を怪物の方向へ戻すと声を失った。

「……ッ!!」

 深紅の怪物が今いる場所の少し横に、俺が朝通ってきた、広場へとまっすぐに伸びる大通りがある。

 その通りを、エナがこちらに向かって歩いてきていた。

 なんで……! もしかして、俺が長いこと帰ってこないから心配して見にきたのか? よりによってこのタイミングで……!

 エナから怪物のいる位置は建物のせいで死角になっており、このままだと鉢合わせになってしまう。

 こんな騒ぎなんだ、異変に気づいてくれ……!

 ――しかし俺の思いは届かず、エナはすたすたと歩みを進める。

「クソッ……!  エナ! 来るな!!」

 俺は最大限の声で叫ぶが、距離の遠さと人々の悲鳴によってかき消される。

 だが声は聞こえずとも視界には入ったのか、エナは俺に気づくと笑顔で手を振りながら走ってきてしまった。

 まずい……!

 そう思った時にはもう遅かった。

 ――広場へと入ってきたエナは、ほんの数メートル先にいた怪物に気づいて立ち止まり、その顔は恐怖に歪んだ。

 しかし幸いにも怪物は背を向けており、まだエナを視界に捉えてはいないようだった。

 今ならまだ間に合う、逃げろ……!

 俺は全力で念じる。

 すぐさま状況を把握したらしいエナは、今来た道を引き返すために動きだそうとする――が。

 ぺたんとその場に座りこんでしまった。

 おそらく、俺と同じく足がすくんでしまったのだろう。

 あんなバケモノを至近距離で見て恐れない奴なんているわけがない。

 ――と、悠長にそんなことを考えている間に怪物がエナに気づいてしまい、汚らわしい笑みを浮かべながらにじり寄っていた。

「エナっ!」

 瞬間、俺の体は考えるまでもなく勝手に走りだす。

「ハルトくん、危険だ!」

 おっさんが後ろから止めようとするが、俺はエナを助けることしか頭になかった。

 ――その頭の中が再び恐怖に埋め尽くされたのは、怪物の目と鼻の先に立ち塞がったわずか数秒後のことだった。

 三メートルは優に超えていそうな、見上げるほど巨大な体躯。

 その威圧感に、俺は何も考えられなくなる。

「……お、お兄ちゃん!」

 エナが泣きそうな顔で俺にしがみついてきた。

 そうだ、反射的に体が動いちゃったけど、今はエナを助けるんだ……!

「だ、大丈夫だったか!? 待ってろ、俺がすぐに……」

「――グオオオオッ!」

 耳をつんざくような勢いで、怪物が咆哮を上げる。

「こ、こんなのどうしろってんだよ……」

 俺の膝は再び震え始め、立っているだけでも精一杯だ。

 考えなしに助けに来てしまったが、俺はチート能力による超人的なパワーも持っていなければ、魔法の一つも使えやしない。

 ――圧倒的に不利なこの状況だが、飛び出してきたからにはやることは一つしかない。

「う、うおおおおおおお!」

 恐怖に駆られた体を奮い立たせ、俺は無我夢中で怪物に殴りかかった。

 ――突然、体が宙に浮いたかと思うと、視界にものすごい速さで景色が流れていく。

「がっ……!?」

 全身に凄まじい衝撃が走る。

「あ……? い、いてえ…………!?」

 どうやら露店の一つに衝突したらしい。

 攻撃を食らわせたつもりが、逆に殴り飛ばされていたのだ。

 それに気づくのに頭が追いついたと同時、背中から胸にかけて刺すような痛みが流れる。

「ぐあああああああ! い、息が……でき……な…………ッッ!?」

 時間が経つにつれて、ズキズキと痛みは増していく。

 あまりのダメージに、俺はその場に倒れながらもがき苦しんだ。

 ……お、俺は死ぬのか…………? ……まだ転生したばかりなのに……それに……エナも助けられないで……。

 こんな終わり方なんて、ひでえよ神様……。

 ……いるんだろ? どこかで見てるんだろ? 頼むから見捨てないでくれよ…………。

 なんで俺にはチート能力くれねえんだ…………じゃあなんで転生なんかさせた! ……俺はただ、アニメの主人公みたいになりたかっただけなのに…………。

 お願いだ……俺を……主人公にしてくれ…………!

 薄れゆく意識の中で一途にそう願うが、耐えかねる痛みに死を受け入れるしかないと思った。

 ――その時。

「……なん……だ……これ……?」

 突然、頭の中に『ある言葉』が浮かび上がってきた。

 それは、俺の意思で出てきたわけではない。

 言い表すなら、誰かから直接頭の中に送りこまれているような、不思議な感覚。

 加えて、どういうわけかその言葉を言わなければいけないという衝動に駆られる。

 誰かに『この言葉を口にすればすべて解決する』と言われているような気がして。

 なぜかなんて、今の俺にはそんなことを考える余裕はなかった。

 とにかく何でも、藁でもいいからすがりたい気持ちしかなくて。

 だから『その言葉』を口に出すまで、そう時間はかからなかった。


「――《ブースト・パワー》ッッッ!!」


 持てる力を振り絞りその言葉を口にすると、突然体が熱くなり始める。

 まるで内側から何かが溢れ出してきているかのように。

 ……そして、俺はこの一瞬ともいえる流れから全てを理解した。

 そう、これは――

「チート能力……!」

 この、体の中から力が湧きだす感覚……昔見たアニメで主人公が言ってたことと同じだ!

 ……神様、遅すぎるよ。

 でもこの展開で能力発現とか、分かってんじゃん。

「やっぱ俺は……主人公になれる!」

 アドレナリンが出ているのかこの力のおかげか、俺は立ち上がれるくらいには回復していた。

 ――それは、能力の効果も例外ではない。

「ブーストは――強化する。パワーは――力。ってことは……」

 近くにある、先程まで露店の一部だった木の板を持ち上げると、

「えいっ」

 軽く殴っただけで真っ二つに割れてしまった。

「やっぱり『筋力強化』ってとこか。安直なネーミングで助かった」

 そんな悠長なことを言っていると、

「きゃあっ!」

 誰かの叫び声が耳に入る。

 見やると、すくむ足でやっとのことで逃げているエナに、深紅の怪物がすぐそこまで迫っていた。

 何をやってるんだ俺は! そうだ、早く助けないと……!

 拳を握りしめ、エナのもとへと走りだそうとする。

 しかし相当な距離を飛ばされていたらしく、目標まで数十メートルはあった。

 この距離……間に合わない……!

 そう思った俺は手頃なサイズの瓦礫を拾い、すかさず標的に向けて全力投球する。

「俺の妹に……触るんじゃねえええええええ!」

 ――正確に投げ出された石は、見事に奴の左目に命中した。

 が、あくまでもこれは注意を俺に引きつけるため。

 俺のナイスコントロールによって、体だけでなく目まで赤くなってしまったであろう哀れな怪物は、痛む場所を両手で押さえながら、

「グオオオオオオオン!」

「あっはっは! 痛いんでちゅかあー?」

 怒り狂った様子で、煽る俺めがけて歩いてきた。

 ……突進が来るかと思ったが、どうやら走れないらしい。

 パワーはありそうだが動きは鈍いのか……でも今の俺なら力でも勝っているはず。

 きっと倒せる……!

 恐怖なんて感情はとっくに消え去っていた俺は、相手の動きをじっくり観察する。

 ――残り約十メートル。

 問題なし、まっすぐこっちへ向かってくる。

 ――残り約五メートル。

 問題なし、目が痛そうだ。

 ――残り約三メートル。

 動いた! 腕を持ち上げて……分かった!

「おっと! ……あっぶねー」

 振りかざされた巨大な拳を、俺は反復横跳びの要領でひらりとかわす。

 当たると思ったのか、怪物はバランスを失って両膝をついた。

 ……チャンスだ!

 そう思った俺は頭に狙いを定めると、拳に力を込めて大きく振りかぶった。

「さっきのお返しだああああッ!!」

 怪物の左頬に怒りの鉄槌がクリーンヒットする。

「グオッ!?」

 そのはずみで、怪物は地面を三回ほど転がった。

 数秒後、かなり痛そうにしながらも起き上がった……のだが。

「あれっ? もうちょっと飛ぶと思っ……いや、むしろワンパンだと思ってたのに……」

 パンチの溜めが弱かったのか、それとも怪物がとんでもなくタフなのかは分からないが、俺はどうやら誤算をしていたらしい。

 え? 思ってたんと違う。

 こういう展開は普通一発で倒してその後に『君、今の力は……?』的なことを周りで見てた人に言われて、なんかちょっと英雄気取りになれるっていう……。

 違うの!?

「グルルルルルルル……」

 深紅の怪物は、静かに俺のことを睨んでいた。

 それは、獲物を狙う蛇さながら。

「な、なんだよその目は。来てみろよウスノロ!」

 だが怪物は挑発には乗らず、冷酷な眼差しを変えない。

「そうかそうか、じゃあこっちから行ってやるよ!」

 俺は片膝をついていた怪物に走り寄り、再び拳を食らわせた。

 ――しかし。

「なっ……!?」

 怪物は当たる直前に顔の前に両手を重ね、クッションにしてパンチの威力を弱めた。

 今度は少しノックバックしただけで、さほどダメージが入っていないようだ。

 こ、こいつ……! 学習したのか……!?

 そんなことを考えていたのも束の間、怪物は俺の右手をつかんできた。

「は、離せっ!」

 とっさに左手でそれを引きはがす。

 やっぱり、力は俺のほうが優勢のはずなのに、なんなんだこの打たれ強さは……!

 俺は殴りかかるように見せかけてフェイントを入れると、また顔を覆いだした怪物の脇腹を右足で蹴り飛ばした。

「グゴッ!?」

 パンチの時とは違い、怪物は十メートルほど飛ばされ、その勢いで近くの露店は木っ端微塵になった。

 ……お店の持ち主さんごめんなさい!

 それにしても、足の力は腕の力の数倍って聞いたことがあるけど、ここまで違うのか。

「すごい……! これぞ異世界! これぞチート能力! これぞ主人公!」

 ずっと憧れていたアニメのような展開に気持ちが昂る。

「でも言うほどチートって感じでもないよなあ……俺がイメージしてたのはもうちょっとこう、圧倒的な感じの……」

 ――と、

「ッ!?」

 右頬に何かがかすり、とっさに触れた指には鮮血が付いた。

 どうやら、怪物が瓦礫を投げつけてきたらしい。

「嘘だろ……!? 絶対倒したと思ったのに!」

 正直まだ体力があるのは驚いたが、見るからにフラフラな様子の怪物。

 だからもし次に決定打を入れることができたら、それで終わるだろう。

「待ってろ、今楽にしてやるよ!」

 俺は不屈の精神で起き上がってきた怪物に向かって走りだす。

 すると、奴は俺を両手で抱えこもうとする素振りを見せた。

「お前なんかに……ハグされてたまるかああああああああ!」

 今まで以上にトロい動きの怪物の懐に潜りこむと、触れられる前にアッパーをかます。

「ガウッ!?」

 続けて足を払う。

 体がのけぞり、後はもう背中から倒れるだけになった怪物の胸部めがけ、俺はトドメを刺そうと飛び上がった。

「うおりゃあああああああ!!」

「――ガアアアアアアアアアアアッ!!」

 宙を二回転した俺の強烈なかかと落としが胸に突き刺さり、怪物は激しく地面に叩きつけられる。

 ――体の動きに頭が追いつかず、着地した俺はバランスを崩してその場に倒れた。

 視線を戻すと、動かなくなった怪物は見る間に白い霧のようなものになって、やがてその場から完全に消えてしまった。

「た、倒したんだよな……俺が……」

 自身の体が起こした行動に全く実感が湧かず、ふと観衆の方を見やる。

 すると――

「「「「「……オオオオオー!!」」」」」

 突然、広場が歓声に包まれた。

「お兄ちゃーん!」

 遠くで戦いを見守っていたエナがこちらに走り寄ってくる。

「無事でよかった……!」

 俺はエナを抱きしめながら安堵の息をつき、広場を見渡す。

 ……いつぶりだろう、こんな歓声。

 球技大会で逆転スリーポイントを決めた時でもこんなに湧かなかったのに。

「ハルトくーん!」

 おっさんも俺のもとへとやってきた。

「す、すごいな……あれを倒してしまうなんて。今の力は……?」

 その唖然とした表情を見て、俺は心の中でガッツポーズをとる。

 キター! これだよ、これを待ってたんだよ俺は! やっと主人公っぽく……。

 ――バタンッ。

 唐突に、何かが背中に当たる。

 ……なんだ?

 違う……俺が、地面に倒れこんでいたのだ。

 あれ? 体が……動かない……?

 戦闘中とは真逆に、体が内側から冷え始めているのを感じる。

「……! …………!」

 エナが俺を揺さぶりながら何か言っているようだが、僅かにしか声が聞こえない。

 先程までの観衆の声も、段々と遠くなっていく。

 そして何かを考える間も与えられず、俺の視界は暗転していった――

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