第3話「初めての魔物」
転生してはや数日。
この世界について何も知らなかった俺は、エナにその都度分からないことを教えてもらい、根本的な部分は把握した。
まず俺が転生してきた場所であるここは『リモの町』で、この前聞いた通り人間とエルフがともに暮らしているそうだ。
自然豊かな森の中に位置する辺境の町で、周りを石造りの壁で囲まれている。
やはりこの異世界にも魔物が存在するらしく、まだ壁がなかった時代はそれはもう大変だったと伝わっているそうだ。
それと、アニメでは当たり前すぎて気づきもしていなかったが、よく考えてみると言語が理解でき、俺が話すことも通じている。
そこら中に書かれている文字までもが、目には落書きのようにしか映っていないのに読めてしまい、エナに聞いてみても意味は合っている。
数日経ってもまだ不思議な感覚だが、同じようなことをアニメで見たし、どの作品もあまり説明せずに誤魔化していたのであまり深くは考えなかった。
ま、これも神様がなんやかんやしたんでしょ。
……そして、今は何をしているのかというと――
「ママただいまー!」
「あらおかえり。ハルトもおかえりなさい」
母親に頼まれたおつかいを済ませ、ちょうど帰宅したところだ。
この世界の実家は道具屋を営んでいるらしく、道具屋には欠かせない薬草を取りに、エナと一緒に町の外の森まで採取に行っていた。
俺は袋の中に入っている、自分の手で取ってきた薬草を見て。
ほんとに薬草ってあるんだ……! これを使えば傷が治るのかな……! この手で取ってきたなんて、なんか感動する……!
「……あ、ハルト悪いんだけどもう一回行ってきてくれない? なんだか今日はやたらと薬草が売れるのよね」
――と、異世界感に浸っている俺に向け、母親がそう頼んでくる。
数日間過ごすうちに、どうやら両親や町の人たちの記憶にも俺は存在しているらしいことが分かったが、こちらとしては当然誰も知らない。
エナの時と同じように説明をしてみても、みんな子供の冗談としてしか捉えてくれなかった。
いまだにエナがなぜすんなりと受け入れてくれたのかは疑問だが、俺は説得を諦めて自然体でいることにした。
……みんなの記憶の中でどんな性格や言葉遣いをしていようが知ったことか。
文句はこんな設定にした神様に言ってくれ。
「あーうん。分かった」
「エナも行こっか?」
心配そうな顔をするエナだが、俺は一人で大丈夫だと告げる。
町の外は魔物が出るらしいのでそれを憂いているのだろうが、先程はそんな気配は全くなかった。
何より、俺が見てきたアニメから考察すると、転生した最初の町周辺でいきなり強い魔物が出てくるはずがない。
「そっか。気をつけてね!」
エナの言葉を背に、俺は町に出入りするための門がある広場へと、家の前の通りを歩いていく。
――楓、元気にしてるかなぁ。
ふと、そんなことが頭に浮かぶ。
――葵も、俺のこと心配してくれてたりして。
異世界に来た喜びで浮かれてたけど、あいつらがいないと結構寂しいもんなんだな……失った時に初めて大切さに気づくってやつか。
会いたいけど、あんな退屈な世界に戻りたくないしなぁ。
「……いっそあいつらも転生してきてくれねえかなー。……あ、それ死んでって言ってるようなもんか」
――と、
「ハルトくんじゃないか。また薬草かい?」
「あ、はい。おかわり取りに行きます」
いろいろ考えているうちに町の玄関に到着した俺は、自警団のおっさんに門を開けてもらう。
この町は、外出する時や帰ってくる時に必ず門でチェックを受けるらしい。
冒険者が外からやってくる場合も同じだそうだ。
……周囲を見渡す限り森しかない、しかも辺境らしいこんな場所にわざわざ訪ねてくる人がいるかは怪しいとこだが。
「じゃあ、くれぐれも気をつけて行ってくるように」
■■■
町から延びるあぜ道を歩いてほんの数分の場所に位置する薬草の群生地で、俺は十分ほど採取をした。
「んじゃ、そろそろ帰るか」
薬草でいっぱいになった袋を担ぎ、町への帰路につこうとしたその時。
――ガサガサッ。
近くの茂みから、何かが動いたような物音が聞こえてきた。
「おわっ! び、びびったあー」
驚きのあまり寿命が五秒ほど縮んだ俺は、音がしたほうへ顔を向ける。
……な、なんだ?
しばらく茂みを観察してみるが、何も起こらない。
「き、気のせいか……よかったぁ……」
俺は今丸腰のため、もし魔物でも出てこようものなら死を覚悟せざるを得ない状況だ。
せっかく異世界に来たんだから、アニメで見てきたような魔物の一つでも見てみたい、と初日までは思っていた。
だが現実的に考えると、戦い方も魔物の強さも分からない俺に倒せるはずがないと思い至った。
やはり二次元と三次元、理想と現実は違うのだ。
……いや、俺に魔物を倒せるだけの力があるのなら話は別だった。
実は、俺は転生してから数日間かけて、悲しい事実に気づかされたのだ。
それは――アニメの主人公のような能力が使えないということ。
主人公たちのような圧倒的な力、いや、そんなものより魔法に憧れていた俺は、転生したんだから自分にも同じような力を使えるだろうと思っていた。
しかし毎日毎日、何度も何度もアニメで出てきた魔法の呪文を唱えてみたが、魔法陣は出てこなかった。
いつか使えるようになるかもしれないと希望は捨てずに、ならばと思い全力で体に力を込めてみたが、超パワーが湧き出してくることはなかった。
……だけど俺はまだ諦めてはいない、まだ使えないだけだと。
神様が忘れちゃっているだけだと。
だから、その時が来るまで気長に待つことにした。
「……いや、でもやっぱおかしいよな? だいたい転生する時って神様が出てきて『お願いしますハルト様、どうか魔王を倒してください!』的な感じでチート能力とともに異世界に飛ばされるはずだろ」
でも何これ、なんも使えないんですけど。
このままだとその辺の一般人なんですけど。
……神様、そろそろ力をくれてもいいと思うんです、早くくださいお願いします。
…………神様、俺まだ転生理由も聞かされてません、一体俺はなんのためにこの世界に来たのですか? 魔王ですか? 魔王を倒せばいいんですよね。
それならそうと早く言ってください、お願いします。
………………神様、何も説明されていないのにどうやって行動しろというのでしょうか。
あ、自分で考えろと。
転生させてやったんだから後は自分でやれと、そうおっしゃるのですね。
でも残念ながら俺そんなに頭回りません、これから何をすればいいのか教えてください、お願いします。
――俺は心の中で神頼みしまくるが、もちろん何かが起こるわけもなく虚しい気分になるだけだった。
「……ほんっと顔も見せないわ力もくれないわ、この世界の神様どうなってんだよ。仕事しろや」
そんな愚痴をこぼしていると、
――ガサガサガサッ。
「ひょわっ!?」
さっきの茂みから再び聞こえてきた音に、俺は情けない声を上げる。
「な、なんだよ! 誰かいんのか? さっきから人のこと驚かしやがって、出てこいよ! ……あ、あれか? もしかして猫か? そうか猫だったのかそうなのかそうだよなそうであってくれ!」
全力で魔物ではないことを願いながら、逃げるか否か迷う俺。
危険だということは理解しているが、まだ魔物を見てみたいという好奇心は捨てきれていなかった。
どうせ出てきても弱い魔物だろうと踏んではいるが、よく考えてみたら、この世界に来た日から今この時までいろいろと思い通りにいっていないので、いきなり強い魔物が出てくる可能性もあり得る。
――ガサッ、ガサガサガサッ。
少しづつ、音の主が近づいてくるのを感じる。
どうする? 逃げるか鈴木晴斗。
……いや、つい夏休み前までは入部してたけど、幽霊部員すぎていつの間にか退部させられてた陸上部で培った足が、俺にはある。
これなら魔物が出てきても逃げられるはず……!
そんな何の力にもなりそうにないことを頼りにしていると、音はもう数メートル先まで迫っていた。
や、やっぱやばいって! もう無理だ、逃げないと……!
そして、俺が動きだすよりも早く、何かが目の前に飛び出してきた――!
「うわあああああ!! ……っと?」
豪快に叫んだ俺の前に現れたのは、サッカーボールほどの大きさをした、透明でプルプルと小刻みに動く生物だった。
そう、あれ。
「……お、おおおお! スライムだ!」
たぶんスライムだろうその生き物に気分が高揚する。
「は、初めて見た! すげえ、これがあのスライムか! 動いてるすげえ! すげえしか出てこねえ!」
さっきまでの不安と恐怖は消え、思った通りの魔物に少しホッとする。
異世界に来て初めて、というか生まれて初めて目にした魔物に興奮が止まらないが、どうにか心を落ち着かせ、注意深く観察してみる。
――ゼリーみたいに透明な体の中心には、球体の黒い物体があった。
おそらくコアで、壊せば死ぬとかそんなとこだろう。
ちなみに、某ゲームのように目や口がついているわけではなく、あんなに可愛らしくない。
……た、倒したほうがいいのか…………?
俺は少しの間その場に佇む。
――プルッ。
――プルプルッ。
そんな音が聞こえてきそうな動きをするスライムだが、俺に襲いかかってきそうな様子は微塵も感じられなかった。
というか、よく見てみると食事をしていた。
――自分の体の下にある薬草を体内へ取りこみ、溶かし、消化した。
アニメでは描かれることはない、スライムの貴重な食事シーン。
……こうやって見ると、
その姿に、俺はなぜか少し心を動かされる。
そして、不覚にも小動物を愛でる時のような気持ちが芽生えてしまっていた。
「ど、どうしよう、倒せねえ……!」
魔物に情が移ってしまうほどの自分の甘さに俺は頭を抱える。
……こんなんじゃ先が思いやられるぞ、こんな魔物も倒せなくてどうする!
そう自分に言い聞かせ、ようやくスライムを倒そうと決意する――が、丸腰なのをすっかり忘れていた。
前にアニメでスライムを素手で倒そうとした主人公を見たことがあるが、案の定全然効いていなかった。
確か、魔法でやっつけるか、あの中心にあるコアを剣か何かで刺し壊して倒していた。
……しかし、今俺は魔法も使えなければ剣も持っていない。
「ど、どうしよう、倒せねえ……!」
今度は違う理由で行き詰まる。
「もおおおお! なんでスライムなんかに苦戦してんだよおおお!」
苦戦する以前に戦いすら始まっていないが、本当にこのままだとお先真っ暗だ。
「……神様、お願いです! 転生させてくれたのはありがたいのですが、早く力をください! スライムも倒せないなんて異世界生活始まりもしません! ……早く! 早くして! 普通はここで都合よく力を発揮するとこだろ! ふざけんなよおおおお! 仕事しろやああああああああ!」
俺は全力で神様にお願い、もとい要求をするが、もちろん返答などあるはずもない。
……なんだ、もしかして俺は主人公じゃないのか? 主人公じゃないから力が使えないのか?
いや、今まであんな退屈な世界で、主人公だと思うことでつまらなさをしのいできた俺の努力をなしにされてたまるか!
仕方ない、もうここは素手でいくしか……!
――カランッ。
ようやくスライムを倒す決意をして踏み出した俺の一歩に、何かが当たったような音がした。
足元に視線を移すと、都合よく、そこそこの長さと鋭さを兼ね備えた木の枝が落ちていた。
「なんで俺こういうところは運いいんだろう……」
ため息をつきながら、すかさずそれを拾う。
そしてスライムへと視線を戻すが……まだのうのうと薬草を食べていた。
「こ、これを倒すのか……」
――スライム一匹にいちいち優柔不断になる俺。
ゲームでは魔物なんて片っ端から討伐しまくってたけど、これは現実なんだ。
今のところ愛くるしい姿しか見せてないし、攻撃の意思もまるで感じられないこれを倒すということは、そこら辺の猫や犬を殺すのと同じ。
そ、そんなことをしろと……?
クソッ、なんでアニメの主人公どもはあんな気軽に斬り伏せられるんだ……こいつらだって頑張って生きてるのに!
――出てきた時にさっさと倒せばよかったものを、無害な動物と変わりないスライムの姿を見てしまった俺は、しばらく葛藤を続けた。
『こんな雑魚も倒せないでどうする? 主人公になりたいんなら、魔物への同情なんて捨てろ! そんなのただの綺麗事だ』――心の中の自分がそう語りかけてくる気がする。
「き、綺麗事なんかじゃない! 俺はただ、ただ……」
――と、食事を終えたのか、スライムはこちらにのそりのそりと近づいてきた。
攻撃されるのかと思い、俺はとっさに木の枝を構える。
……何を迷ってたんだ! そうだ、こいつは魔物で人間にとっての脅威、猫や犬とは違う。
今は何もしていなくても、ここで見逃したら別のどこかで悪さをするかもしれない。
――だから、倒すべき敵だ!
たかがスライム相手に長すぎる葛藤を終えた俺は、再び意を決し、ゆっくりと歩み寄る。
襲ってくると思ったが、スライムは俺の数センチ手前の足元で止まり、小刻みに震えだした。
表情こそ分からないが、その動きからは楽しそうな様子が感じられる。
まるで、無邪気にじゃれてくる子犬のようだ。
「……ッ!」
お前はまたそうやって俺をヘタレにさせるのか、そんなことされたら殺せないじゃんか。
……だけど、いつまでも立ち止まってはいられない――!
「ご、ごめんっ……!」
俺は木の枝を静かに、正確にスライムのコアに突き刺した。
――瞬間、スライムは数秒間もがくような素振りを見せ、紫色の霧となってその場から消えた。
「こ、殺した……のか? 俺は、一つの命を……」
自分の瞳が微かに潤んでいるのを感じる。
……許してくれ、これは俺にとっての登竜門。
罪なきスライムよ、どうか安らかに眠ってほしい……お前の死は絶対に忘れない、俺の糧となって生き続けてくれ……!
俺は、少し前までスライムがいた場所に手を合わせた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――町への帰り道。
薬草を取って帰るだけだったはずが、三十分くらいかかってしまった。
「スライムを倒しただけなのに、なんだろうこの気持ち」
俺はまだ、完全には罪悪感が消えていなかった。
いつまでも引きずるのはよくないかもしれないが、無抵抗な者を殺すのを快く思うほど、俺はサイコパスではない。
――俺は何度も何度も心の中で謝って、どうにかいつもの自分に戻った。
薬草を取っていた場所から町まではそう遠くない。
だから、もう既に俺の目には門が映っている。
……エナ、遅いって心配してないかな? 数日間一緒にいるけどあれは相当なお兄ちゃんっ子だ、帰ったらとりあえず謝ろう。
思いながら、俺は門を開けてもらうために自警団の一人に声をかけた。
「ただいまです」
「ああ、おかえり。少々長いように感じたが、そんなに取っていたのか?」
「ま、まあ……そうですね。あはは……」
スライム相手に数十分、なんて言えるわけがない。
「そうか、ハルトくんは働き者だな! はっはっは!」
門の向こう側にいた自警団のおっさんが、豪快に笑いながら扉を開けてくれた、その時だった。
町の中から、爆音が轟いてきたのは――。
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