第1話「見知らぬ部屋」

『ジリリリリリリリ…………!』

 いつもなら、そんな音が聞こえてくる時間。

「――う、うーん」

 鬱陶しい目覚まし時計の音が、今日は聞こえてこない。

 かといって、大して清々しくもなく俺は目を覚ました。

「ふあ~」

 大きくあくびをして、重い足取りで窓へ向かう。

 ……今日もまた、いつも通りの一日が始まるのか。

 朝日を浴びた俺はベッドに戻り、鳴らなかった目覚まし時計の確認をしようと――して。

「……あれ?」

 いつもの場所にそれがないことに気がつく。

 変だな、ちゃんとここに置いたはずなんだけど……。

 ――その瞬間、何か違和感のようなものが俺を包み、無意識に部屋を見回す。

「……ん?」

 寝ぼけているのか、目にはよく分からないものが映っている。

 まぶたをこすり、再び部屋を見てみると、

「…………んん?」

 やはり、よく分からないものが映っている。

 ……今日は一段と寝ぼけてるな。

 まだ寝ている脳を起こすため、俺は体を思いっきり伸ばす。

 そして、ようやく起動した頭で改めて部屋を眺めてみると――

「………………んんん?」

 いまだに、よく分からないものが映っていた。 

 違和感とかそういう次元ではないあまりの異様さに、俺はただその場に立ち尽くす。

 ――家具のデザインがいつもと違い、壁や床は木が剥き出しで、まるでログハウスのような状態になっている。

 そんな光景が、さっきから俺の目の前に広がっているのだ。

「え、あ……ど、どういうことだ?」

 さっきまで違和感だったものが、疑問と動揺へと変化する。

 どうなってんだ、俺の頭おかしくなっちゃったのか? それともあれか、旅行先で起きた時一瞬困惑するあの現象か? いやでもこんなに長引くもんなの……? 

 ――と、俺はあることに気がついた。

 見た目は全くの別物だが、よく見ると部屋の大きさや家具の配置、ドアや窓の場所がほとんど変わっていない。

 ……なるほど、だからさっき異変に気づかずカーテンを開けに行けたのか。

「――いや、冷静になってる場合じゃない! なんだよこれ!? 幻覚でも見てるのか? でも幻覚ってこんなにくっきりしてるもんなの? それか俺の部屋ってもともとこんな感じだったのか……? そ、そんなはずは……!?」

 さらに動揺してきた俺は、頭が爆発する前に一旦落ち着いて情報を整理してみることにした。

 ――とりあえず昨日のことを最初から思い出してみよう。

「朝起きて、楓と一緒に学校に行って、家に帰ってアニメ見て、それから……」

 少しずつ記憶を辿るが、自分の部屋に行ってから後のことが思い出せない。

 ということは――

「……なんだ夢か」

 俺はそう言ってベッドに横になろうとして、


『――お兄ちゃーん!!』

「おわっ!?」


 跳ね起きた。

「……な、なんだなんだ?」

 突然聞こえてきたその声に驚き周りをキョロキョロするが、誰もいない。

 ――しばらく部屋を見回していると、今寝ているベッドの前方にある半開きのドアが目に入った。

 おそらく、今の声はそちらから聞こえてきたのだろう。

 それにしても今のって……。

『お兄ちゃんまだ寝てるの? ご飯できてるよ!』

 再び同じ声がしてくる。

 ……やっぱり、声色からして女の子だ。

 てかお兄ちゃんってなんだよ、俺一人っ子だわ。

 変な夢だなあ。

『ねえ、ほんとは起きてるんでしょ? ……もうっ! しょうがないなあー』

 何か返すべきかと悩んでいると、そんな声とともに妹(仮)が階段を上ってくるような音が聞こえてきた。

「やばいこっち来るじゃん! 誰だよ! ……え待って待って待って」

 やがてドアが開かれ、夢特有の急展開についていけずオロオロしていた俺の前に現れたのは――

「……なーんだ、やっぱり起きてるんじゃん」

 エメラルドのような色合いのロングヘアと、サファイアのように澄んだ瞳を持つ少女だった。

 ――俺はその少女を見つめ、先程まで動揺していたことが嘘みたいなくらい冷静に。

「か、かわいい……!」

「え、あ、ありがとう……? じゃなくって! 起きてるなら返事くらいしてよねっ」

 な、なんだこのいきなりの超絶美少女は……!

 二次元から飛び出してきたのかってくらいの美しさなんですけど。

 年は少し下くらいに見える少女に見とれつつ、ふと視線を耳に移すと、それは長く尖っていた。

 まるで、異世界の代名詞とも言えるあの種族のように。

「すげえ! 初めて見た!」

「なに変なこと言ってるの? 寝ぼけてないで、早く下りてきてよね」

 ――そう、エルフだ。

 俺は今までアニメやゲームで何百回もそれを見てきた。

 しかし、肉眼で見たことなどもちろんない。

 ……いや、まあこれ夢なんだけどね。

 だが、画面越しではなくこんなに間近で見れるんだから、嬉しいことに変わりはない。

 しかも妹とかいう神設定。

 ああ神様、いい夢を見させてくれてありがとうございます……!

 生エルフに感激していると、少女はこっちに歩いてきて、ベッドに腰かけていた俺の顔を覗きこんできた。

「……ねえ、聞いてるの?」

 ――その瞬間、少女の腰まで届く長髪から発せられた甘い匂いが、俺の鼻腔をくすぐる。

「うわっ!」

 同時に、恋愛経験が皆無な俺は、女子と至近距離で見つめ合ったことにより反射的に体が飛びのいた。

「……?」

 キョトンとする少女。

「…………あれ?」

 ふと、俺の頭に一つの疑問がよぎる。

 ……夢の中ってここまで繊細に五感働くっけ?

 どう考えても夢としか言いようのない状況だが、あまりに現実じみた嗅覚の鋭敏さに、そう思わずにはいられなかった。

 俺は何か確かめる方法はないか模索しようとしたところ、すぐにあることをひらめいた。

 そう、夢かどうか判断する方法はあれだと相場が決まっている。

 ――俺は右手を握りしめ、自分の頬を全力で殴った。

「いってええええええええ!!」

「なにしてるの!?」

 殴った場所に鋭い痛みが走る。

 よく見かけるシーンを再現してみ……いや違うわ。

 あれほっぺを殴るじゃなくてつねるか。

 まあどうせ痛かったんだしどっちでもいいや。

 「……そうじゃん! 痛いじゃん!! え、痛いってことは、つまり……?」

 ………………。

 俺の思考は数秒間停止し。

「――夢じゃ、ない……?」

「やっと気づいたの? なんか今日のお兄ちゃん変だよ?」

「ほ、本物なのか!? やばいすげえまじか!」

 俺は語彙力がなくなるほどにテンションがぶち上がった。

 つ、ついにこの目で本物のエルフを見られる日が来るなんて……神様さんきゅー!

 つい数秒前までは夢だ夢だと疑っていたくせに、我ながら清々しいまでの手のひら返しだ。

 現実的に考えておかしな話だが、興奮しきっている俺の頭には微塵も疑いの念などなかった。

 ……おもむろに、少女の頭をなでてみた。

「な、なに?」

 おお……! エルフ触っちゃったよすげえ、髪サラサラじゃんマジ神!

「あははっ! くすぐったいよお兄ちゃん!」

 俺は無意識の内に少女の耳を触っていた。

 へえー、エルフの耳ってこんな感じなのか! 別に硬かったりはしないんだな。

「……や、やめてよぉー」

「あっ……ご、ごめんっ!」

 少女の嫌がる素振りで俺は正気に戻る。

 ……つい気になってやっちゃったけど、いきなり女の子の体触るとかどんな変態だよ俺。

 ――頭が冷えてきたところで、俺は大事なことを思い出した。

 テンションが上がりすぎてて気にしてなかったけど、そういえばなんで現実にエルフがいるんだ?

 まあそれは嬉しいからいいか。

 ……そんなことよりこの部屋だよ。

 夢じゃないとすると、これはどう説明をつければいいんだ? なんで俺の部屋にこんな異変が起こっているんだ?

  俺はまた動揺し始めようとする。

 だがアニメの主人公なら、こういう時こそ冷静でいるものだろう。

 だから俺もできる限り落ち着いて考えてみることにした。

「ねえほんとに。早く下りてきてくれないとお母さんに怒られるんだけど!」

 …………。

 少女の声も気にせずしばらく思考を巡らせていると、俺の頭に二つの考えが浮かんだ。

 ――まず一つ目は、ドッキリ。

 ドアや窓の場所、そして部屋の広さという基本的な構造が俺の部屋と完璧に一致していることから、家具や壁紙を変えての盛大なドッキリなのではないか。

 とは思ってみたものの、寝てる間にそれが行われたのなら俺は百パーセント起きて気づくし、何より誰得だよって話だ。

 ――そして二つ目は、どこか見知らぬ場所に運びこまれたということ。

 誰かが俺を寝てる間に別の場所に移動させたのではないか。

 だが、それも結論は一つ目と同じだ。

「……ああクソッ、分っかんねえ! やっぱりこれは夢なのか? でもさっきの痛みは確かだったしなあ……」

 俺は、とりあえず現在地だけでも確認しようと窓に向かい、外を見る。

 そして、やっと分かった。

 

 ――答えが『三つ目』だということに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る