★第六章★ 真実(3)
見上げると、優しい顔が目に映った。
藤色の長い髪に、刺繍のついた宇宙色の装束、白金色に輝く法器。
傍らにはお供の黒い猫。名前は確か――アビス。
――お母さん。
しゃがみ込んでわたしの肩を優しく抱いた。
いつもと同じように、心が落ち着くいい匂いがした。いつまでも包まれていたい。
抱きついて顔を埋めていると――やがて少し顔を離すようにして、わたしに語りかける。
――いい、良く聞いてね、シホ。
――これからあなたには、つらい事や苦しい事、迷う事があるかもしれない。
――お母さんが……シホに迷惑を掛けることになるかもしれない。
――だけどどうか、決して自分を捨てるような事はしないで。
――自分自身と、シホを想ってくれる人を信じて、希望を持って生きていくのよ。
――そして、これだけは忘れないで。
――…………。
――…………。
――…………。
「ステラ、そろそろ時間よ。行きましょう――」
アビスが静かにそう言い、お母さんが後に続く。
お母さんが、消えていく――
…………
そこで……目が覚めた。
朦朧とした意識の中、目に映ったのは――目の前に鎮座する、猫。
全身の毛並みは艶やかで、漆黒。頭部には長い金色の毛が生えていて、柔らかな前髪みたいに見える。なかなかフェミニンだ。
その猫がじっ、紅い瞳でこちらを覗き込んでいる。
しばし、目が合った。
「もしかして……アビス……?」
シホは虚ろな表情のまま呟く。
「……四日ってところか。お前にしちゃ……早起きだったな」
良く知る声が聞こえた。
身体を起こすようにそちらを見上げると、むき出しの岩壁にもたれかかったミーティアの姿が目に入った。
ここは――どこかの洞窟の中のようだった。
――とは言ってもシホの下にはベッドが置かれており、直接地面に寝かされていたというわけではない。ごつごつとした天井には照明と気温や湿度などの環境調整を兼ねた魔法陣がいくつか浮遊している。屋外とは思えないほど十分に快適な空間だった。
「一時はどうなることかと思ったけど、気が付いて良かったわ」
黒猫――アビスが落ち着いた口調で言った。
その周りには使用済みの治癒魔法――数えるのもうんざりするほどの記録水晶が乱雑に散らばっていた。
「――ミーティア……」
シホがミーティアの顔を見つめるが――ミーティアは黙って視線を逸らした。
「感謝しときなさい。あと少し遅かったら、あなたは今頃存在してないわ」
そんな態度のミーティアを一瞥し、アビスが言う。
その言葉にようやくシホは気を失う前の――身の毛もよだつ光景を思い出した。
今更ながらぞくりと背筋が凍る。
「そっか……あの後にミーティアが……。ありがとう……。――それと、ごめん……」
そう言ってシホは視線を落とす。
「……礼はいい。殴られた分の謝罪だけ貰っとくぜ。こんな事になった原因は、あたしがしくじったのもあるしな――」
ミーティアが自嘲気味に口を開く。
「ねえ……ミーティア。一体……どういう事なの?」
きっと……こうしてもっと早く聞いておくべきだったのだ。後悔の念を抱きながらシホは訊ねた。
「ああ……。もう洗いざらい話さないといけないな……いや、最初からこうするべきだったのかもな……」
ミーティアは少し顔を伏せ、独り言のように呟いた。
「……そうね。それならワタシから話すわ」
そう言うとアビスの姿が歪み――見る間に黒き獣人の姿に変化した。
「!? えっ……アビス……」
「‘今’はメテオラが正しい名ヨ。ま……姿を変化させることのないあなたたち惑星サーキュバの人間にはわからない感覚かもしれないけれド」
驚きを隠すことのないシホの顔を見ながらメテオラが言った。
「惑星キャトラの民はその姿で名前が違うノ。今はメテオラ、ええト――不本意な言い方だけど、あなたたちが猫と錯覚してる姿のときはアビス。どちらもワタシの名前ヨ。ま……この際、呼びやすい方で呼んでくれても構わないワ」
「ちゃんと呼ぶよ。アビ……ううん、メテオラ。メテオラはあの日、お母さんと一緒に出かけたよね? じゃあ……その後の事を知ってるんだよね……?」
シホの質問にメテオラは静かに頷く。
「ええ、あの後ワタシとステラは星の魔女の至宝……奇跡の魔術書を――惑星サーキュバから盗み出したワ。今になって思えばそれが全ての始まりだったのかもしれなイ――」
えっ――!? 今、なんて……あまりの内容にシホの頭は混乱した。
「ちょっ、ちょっと待って! お母さんとあなたが!? なんで……なんでそんな事を!?」
「落ち着いテ。ちゃんと説明するワ。――当時、星女王と星雲長からなる議会にある議題が挙がったノ」
「議題は、後の『失われし魔術書』――永きにわたって封印されていた奇跡の魔術書、その解放についてだ」
メテオラの言葉を捕捉するようにミーティアが付け加える。
「どうしてそう言う話が出てきたのかは、はっきりしていないワ。ただ、未知の魔術が及ぼす影響への懸念と、明確な目的は提示されないままだった事もあって、議論は揉めに揉めたみたイ」
メテオラは腕を組みながら続け――
「おかげで議会も、効果のほどを確認する為にも、とにかく奇跡の魔術を起動すべきとする強硬派と、まずは研究調査を優先し、魔術が封印された現状を維持すべきとする穏健派に割れタ」
そして、やれやれといった感じで頭を振り、腕を開く。
「そんな折――穏健派の筆頭だったステラに、ある部下から進言があったノ。星女王が良からぬ企みを持ち、奇跡の魔法を使おうとしている、とネ――」
メテオラは少し神妙な顔つきになり、シホを見つめた。
「星女王の権限で議論がうやむやのまま決議されることを危惧したステラは、ワタシと相談の上で奇跡の魔術書を一時的に隠し、万一の事態に備える事にしタ。そう――進言の通りニ」
そこまで言うと、メテオラはシホに近づき、ベッドの片隅に座る。
「魔術書のダミーも用意しておいたから、すぐに発覚することはないハズだっタ。でもここで想定外のことが起こったワ」
シホに背を向けたままメテオラは言った。金色の髪が揺れた気がした。
「何故か――ステラとワタシが魔術書をすり替えたことがすぐに明るみとなったノ。可能性は一つしかなかっタ。計画を知っていたもう一人――そう、すり替えの発案者による……密告」
「――まさか、その発案者って……」
シホの頭に一人の人物の顔が浮かび上がり、血の気が引いていく。
「ええ。ステラ星雲所属の星団長――プラーネ」
少しだけ振り返り、メテオラが横目でシホを見ながらその名を口にする。
「結果、ワタシとステラは星の魔女から追われる身となっタ。どうにか包囲網を突破し、流れ着いたのがこの惑星――蒼星。もう二人とも限界だったワ……そして――」
メテオラの言葉が途切れる。
「そして――そしてどうなったの!? お母さんは? 教えて……!! メテオラ!」
シホが身を乗り出して、問いただす。
メテオラは目を閉じ、息を呑んでから――
「そしてステラはワタシを治療した後、少しでもこの先のヘクセリウムの確保を妨害しようと、残る魔力を使い蒼星と同化し――意志持たぬ獣。クーヴァとなっタ……」
そう言って顔を伏せた。
「――!」
頭を殴られたようだった。そして――遅れて身体が震えだし、ぐらぐらと目の前の世界が歪んでいく。
……じゃあ、じゃあ今までわたしがこの手で幾度となく
苦しい。止まりそうになる息をシホはどうにか絞り――
「どうして……どうして教えてくれなかったの……」
涙と共に吐き出した。
「そんなこと――言えるわけ――ないだろ……!!」
ミーティアは顔を背けたまま、肩を震わせていた。
それからは――薄暗い洞窟に、慟哭が木霊するのみだった。
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