★第五章★ 願いの先は(3)

 あれから何日が経ったのだろう。記憶が曖昧でよくわからない。

 森の中で座り込み、ヴィエラは一人夜空を仰いでいた。

 冷静な行動では無かったとは思う。けれどあれ以上、シホを見ていられなかった。

 いや――それ以上に最後まできちんとシホに向き合えなかった自分の不甲斐なさに耐えられなかったのかもしれない。

「ははっ……。教育係……失格だな……」

 膝を抱え、ヴィエラは自嘲する。

 うずくまるように顔を伏せ、目を閉じた。

 …………

 やがて――木々の葉を掠らせる音が、静寂を破る。

「こんなところに居たのね。……随分探したわよ。ヴィエラ」 

「プラーネ……星団長……」

 ヴィエラが顔を上げると、上空には横座りで法器に乗るプラーネの姿があった。

 プラーネはゆっくりと地上に降りると、法器を左手に持つ。

 滑らかな曲線を描く法器のボディが、月明かりを受けて深緑色の光を照り返していた。

「大体の事はベネットからの報告で聞いたわ。シホと揉めているみたいね」

「ああ。星団長には……心配かけてばっかりだな」

 そういってヴィエラは再び顔を伏せた。

「どうするつもりなの? これから」

 ヴィエラの隣に来ると、プラーネも腰を降ろす。

「どうしたもんかな……正直、自分でもわからないんだ」

「やっぱり、シホとは別のチームでやっていくのがいいんじゃないかしら?」

 プラーネは下を向いたままのヴィエラを見る。

「……自信がないんだ。もしかしたらアタシこそ勝手な理想ばっかり語って、周りに迷惑かけているんじゃないかってな……魔女失格なのは自分の方なのかもってさ……」

「それは……もう星の魔女を辞めたいってこと?」

「ああ。もしかしたら……潮時なのかもな。でも、このまま辞めて逃げ出すだけじゃ……きっと、一生納得できない。シホも……アタシも……」

「そう……。なら……あなたはどうしたいの? あなたは何を願い、望むの」

 プラーネが覗き込むように顔を下げた。深碧の瞳にヴィエラの顔が映りこむ。

「アタシの――願い――」

 自分の望む事、理想――

 この数日間、何度も悩み、迷い、行動することができなかった。でも……わかっているはずだ。

 何も無かったことにして、やり直したい――違う。やり直すチャンスが欲しい。

 シホに会ってちゃんともう一度話し合いたい。

 それがどんな結果になるとしても――きちんと、シホに、自分に向き合いたい。

「……!」

 ヴィエラの胸元に大きな光が宿った。

「ふふ……。――仕方ないわね。あなたのその願い、叶えてあげる。……こういうのは、特別よ」

 薄く唇を曲げて微笑むと、プラーネは顔を寄せる。柔らかな吐息が、ヴィエラの鼻をくすぐった。

 …………

 光を追い、ヴィエラは進む。月明かりを頼りに、一歩一歩踏みしめ、暗い森の中を歩く。

 どれくらい歩いたのだろうか――ついに、森が開ける。

 一面を緑に覆われた、森の中に広がる丘。

 ヴィエラが丘の先へと視線を巡らせると――

 丘の上で宇宙色のマントを風になびかせながら、空にかかる紅い月を見上げる魔女の背中。

 振り返るとプラーネが穏やかな微笑みを向け、軽く頷くのが見えた。

 ゆっくりと――。ゆっくりと丘を上る。

 間もなく、ヴィエラは背を向けたままのシホの前に立つ。

 「シ――……」

 ヴィエラは声をかけようとするが……思うように声が出せない。

 くっ――自身を鼓舞するかのように、ヴィエラは拳を強く握りなおす。

 数歩歩き――

「シホ……。すまなかった。アタシは冷静じゃなかった」

 そう言って頭を下げる。

「勝手な理想を語っていたのは、シホたちだけじゃない。アタシも同じだった」

 思い返せば、多くの願いを叶える、そんな理想を先に語ったのは自分のほうだった。

「それに気づくこともできないまま――アタシはちゃんと向き合わなかった。シホにも、そしてミーティアにも」

 無意識のうちに自分の理想に他人を付き合わせ、他人の考えを理解しようとしなかった。

「もう――星の魔女はもう辞めようと思う。けれど……」

 そんな自分の身勝手で、これ以上他人の人生を狂わせるわけにはいかない。

「けれど、許してはもらえないかもしれないが……最後に、もう一度しっかりと話をしておきたい、アタシの気持ちを伝えておきたいと思った。だから……こうして会いに来た」

 だが、その責任を放って置いたままにして消えるなどあってはならない。もしそうしたら自分は一生、後悔する。もう二度と前を向いて生きていけなくなる。

 ヴィエラは顔を上げ、真直ぐとシホの背を見つめる。

 優しげな風に草木が揺れた。

「いいの――」

 囁くような小さな声、しかしその言葉ははっきりとヴィエラの耳に届いた。

「いいんだよ……ヴィエラ。わたしの方こそ、どうかしてたと思う。――ごめん、ごめんね」

 シホが振り返って――頬に手を当てる。

「ヴィエラに叩かれて――痛かった。なんでこんなに痛いんだろうって、不思議なくらい。魔法に撃たれた傷だってこんなに痛くなかったよ」

 そう言ってシホがくしゃりと笑う。少し涙が滲んでいるようだった。

「ヴィエラの想いが……伝わってきたからだね。それで目が覚めたの。わたしはミーティアの言葉に囚われて、いつの間にか本当に大事なことを忘れていた」

 シホはそう言いながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。

「ヴィエラがそれに気づかせてくれたの。本当に、感謝してる。だから……わたしはまたヴィエラと一緒にやっていきたい。星の魔女を辞めるなんて、言わないで」

 シホがヴィエラの手を取った。暖かい――シホの温もりが両手に伝わってくる。

「シホ……シホ、ありがとう……ありがとうな……」

 気づけばシホを抱きしめていた。涙が、涙が止まらなかった。

 ヴィエラの願いの光が粒子となり――消えていく。

 そして――

「がっ――!? ……!?」

 胸が――熱い。そして……焼けるような痛みが広がってくる。

 鋭利な魔力が胸を貫いている事に気づいたのは――少し後だった。

 口中に、酸味を帯びた鉄臭い液体が込み上げ、広がっていく。

 身体を貫いていた熱線が抜けていき――脚の力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 生臭い反吐が目の前を黒く黒く染めていく。

「な……なん……で? いった……い、ど……」

 それ以上言葉は出なかった。がぼがぼと口からとめどなく血が溢れ、音を紡ぐことができない。

 力を振り絞り、上を向くと――歓喜に歪んだ唇が目に入った。


 緑の丘が広がっている。

 赤黒い池の真ん中には、青髪の魔女が変わり果てた姿で溺れていた。

 その亡骸を無言で見つめているのは――道化師と、黒き獣人。

 やがて――道化師は夜空を見上げる。

 そこに月は、もう見えない。

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