★第二章★ 願いと使命(5)
山が間近に迫り、森林公園の上を通りかかる。
眼下に広がる公園の敷地を注意深く眺めていたシホがあっ、と小さく声をあげた。
「行って来いよ。シホ。今日はもう上がりでいいぞ。ここで解散にしよう」
シホの様子に気づいたヴィエラが言う。
「うん。ありがとう、ヴィエラ」
そう言うとシホは一人高度を下げ、人気のない木陰に降りたつと公園へと足を向ける。
一〇〇メートルほど歩き――
「おばあちゃん、それにレイナちゃん、こんにちは」
「あっ、シホお姉ちゃん! お仕事はもう終わり?」
「おや、シホちゃん。こんにちは」
レイナとカナエが笑顔でシホを迎えた。
こうして時々、レイナとカナエとで三人、公園で過ごすのが最近のシホの楽しみである。
…………
カナエと並んでベンチに座り、シホは一息つく。
鼻をくすぐるココアの甘い香りと、両手から伝わる缶の暖かさに癒される。
少し離れたところでは、夕焼けをバックに遊具で遊ぶレイナの姿が見えた。
「もうお仕事には慣れたのかい?」
カナエがのんびりとした口調で聞いてきた。
「うん。同僚の二人はちょっと個性的だけど、すごくいい人で。わたしはまだまだなんだけど、おかげでどうにか」
本当はかなり個性的なのだが、いい人なのは間違いない。ヴィエラとベネットのチームに配属されて良かったとシホは思う。
「それにしても、おばあちゃんはわたしの事知っても驚かないから。逆にわたしが驚いちゃった」
「この歳になるとね、そうそう驚くこともなくなるものだよ。今までいろいろ、あったからねえ」
カナエはシホが異星から来た存在――星の魔女であるという事を知ってもさして驚かなかった。レイナの時もそうだったが、ふって湧いた第五種接近遭遇なのに、とシホは驚愕した。蒼星の人って物怖じしないのかな……?
でもだからこそ、こうして井戸端会議が楽しめるわけで。
「あはは。地球に来て最初に知り合えたのがレイナちゃんとおばあちゃんで良かった。失敗も多いけどお仕事も楽しいし、満足してるんだ。でも――こんな調子でお母さんみたいになれるのかなあって、時々自分で心配になっちゃう」
シホは大きく伸びをしながら、照れくさそうに笑った。
「シホちゃんのお母さんも魔女なのかい?」
「うん。星雲長っていってね、みんなからも慕われる凄い魔女だったの」
シホの言い方が引っかかったのだろう。カナエが少し不安げな眼差しでシホを見る。
「……? ああ、わたしが小っちゃい頃に居なくなっちゃったんだ。出かけて行ったきり」
「まあ、そうだったのかい――すまないね。つらいことを聞いてしまって」
「ううん、いいの。それにね、わたしは信じてるんだ。お母さんはきっといつか帰ってくるって。だからその時に娘として恥ずかしくない魔女になっておこうって、そう決めたの」
「そうかい……うん、シホちゃんならきっと大丈夫。立派な魔女になれるわよ」
「えへへ……そう言ってもらえるとなんか安心。ありがとう。おばあちゃん」
何の保証もないはずなのに、シホは心の奥底にある不安が和らぐのを感じる。言葉とは不思議なものだ。
「あの子も――シホちゃんみたいに強く真直ぐな子に育ってくれるといいんだけどねえ」
呟くようにカナエが言った。
「レイナちゃんの事?」
「ええ。あの子の母親は仕事が忙しいと言ってね、レイナのことはあたしに任せっきり。せいぜい年に一度か二度帰ってくればいい方さ。レイナはあたしが居るから、寂しくないと言うんだけどね」
初めてレイナと出会った日、山道でのレイナの言葉がシホの頭をよぎる。
――おかあさんはいないけど、おばあちゃんがいるから平気だよ。
「でもね、よその子がお母さんと居るのを時々寂しそうに見ているんだよ。それがいたたまれなくてね――。だから流れ星にお願いしてごらん、きっと流れ星がお願いを叶えてくれる、ってそう教えたのさ」
そうか……だから流れ星を――わたしを見つけて家を飛び出してきたんだ、シホはレイナのあんな行動の理由が納得できた気がした。
そしてあの言葉は――少しでも自分の心に潜む不安を薄め、かき消す為のものだったのではなかろうか。
「あの子がよく夜空を眺めているのは、きっとそのせいなんじゃないかねえ」
そう言うカナエの視線の先には、バネ仕掛けの遊具の上で、まるで、天を仰ぐように前後に揺れているレイナの姿が見えた。
「あの時はほんとにごめんなさい。わたしのせいで」
自然とシホの視線が下がる。両手に伝わる熱がだんだんと弱まっているのを感じた。
「いいんだよ。シホちゃんはレイナをちゃんと無事に連れてきてくれたんだし。それにね――」
そう言ってカナエはちょっと恥ずかしそうに微笑む。
「あれは、あたしの責任。あたしもレイナと同じくらいの年の頃にね、追いかけたことがあるんだよ。流れ星。きっとそんな話をしたからさ」
「わあ。おばあちゃんもそんな事あったんだ」
穏やかなカナエからは想像もつかない意外なエピソードにシホは顔をあげる。
二人は顔を見合わせ、そして笑いあった。
…………
日は遠のき、空が紫に染まり始めている。
先ほどまで浴びていた西日の暖かさは消え失せ、冷え冷えとした空気が身に沁みる。
とうに熱を失ったスチール缶を置くと、シホは口元を両手で覆い、はーっと息を吐いた。
暖かな呼気が冷えた指先に絡まる。
「大丈夫かい?」
「ううん、大丈夫。指先が冷えただけ。ちょっとだけ冷え性なんだ」
シホは自身の残念なステータスを告白して苦笑する。
「カナエおばあちゃーん、あたしおなかすいたよー」
遠くからレイナが駆け寄ってくるのが見えた。
「それじゃ、わたしもそろそろ行くね。またね、おばあちゃん」
シホは立ち上がるとスカートを軽く叩き、空き缶を手に取る。
かららん、と側らのごみ箱が軽やかに鳴いた。
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