★第二章★ 願いと使命(4)

 こうしている間にも危機は迫っている。

 シホたち――‘星の魔女’の故郷の星がある‘オールトの雲’とは蒼星から約一万au~一〇万auの距離に広がる天体群だ。

 ‘astronomical unit’――略して‘au’とは天文学における距離の単位で、一auは約一五〇〇億キロメートルに相当する。

 これを気の遠くなるような距離と感じるかどうかは、その惑星の住人の感覚、文明レベル次第だろう。少なくとも共通の認識としておいても間違いがないのは、広大な宇宙全体から見ればさほどの距離ではないという事か。

 そのオールトの雲へと向かって徐々に接近する暗黒。それは突如として現れた。

 この脅威に立ち向かうべく、星女王、そして星雲長からなる議会は緊急対策会議を開き、一つの結論に至る。

 永きにわたり固く封印されてきた魔女の至宝。あらゆる奇跡を起こし、現実のものにすると伝えられた古の魔法術式の行使による事態の収拾、解決である。しかし、その魔法術式を記載した魔術書は何者かによって持ち出され――そして失われていた。

 失われし魔術書――即ち、ロスト・グリム。

 この『失われし魔術書ロスト・グリム』を見つけだし、更にそれを起動させるに足るヘクセリウムを集める――これが星の魔女に課せられた使命である。

 全てを飲み込み消し去る脅威が到達する、その前に。


 シホが蒼星に配属されてから一ヶ月ほどが経過した。

 とある日の夕暮れ時。西日を浴びつつ拠点の山頂の方角へと飛ぶのはヴィエラ星群の面々。

「……ったくあのスケベヤロー、人の胸いきなり揉みやがって……」

 ヴィエラがぶつぶつと不満を口にする。

 本日最後に願いを叶えた学生の事を思い出しているのだろう。彼の願いは‘女性の神秘を解き明かし、オトナの階段上りたい!’というある意味健全で、探究心に富んだものだった。

「くふふ! その無駄な肉塊が役に立ってよかったのです!」

 恐らく事あるごとに巨乳への憎悪が育まれているのであろう。ベネットは上機嫌だ。

「でも、法器で殴っちゃったのはちょっと……良かったのかな……?」

「いーんだよ、願いが叶ったんだから。その代償だ。安いもんだろ」

 シホの質問にヴィエラが星の魔女としては理不尽な答えを返す。

 シホは苦笑いし、今日の成果を確認する。小石ほどのサイズの宝石が両手で数えられるくらい。

「でも三人で一日頑張ってもこれだけかあ。はあ……あと一体どれくらい集めればいいんだろ?」

 手にしたヘクセリウムを見て素直な感想をこぼした。

 ヘクセリウムの大きさは願いの質に比例する。つまりより強く、大きな願いであればあるほど、それが叶った時に得られるヘクセリウムの量は多くなるということだ。

 星の魔女はその眼で、ぼんやりとではあるが、人が抱いている願いを光球として‘視る’ことができる。光は願いの質に応じて大きく、強く輝く為、それが叶った際に発生するヘクセリウムの量もおおよそ予想できる。

 だから効率を重視するなら、光を見たうえで願いを叶える手助けをするか判断すればいい。しかしヴィエラの方針は、願いの光を見つけたら順次手当たり次第、だった。

「ねえヴィエラ。前から思ってたんだけど、どうして大きな願いを優先して叶えないの?」

 シホはこの一ヶ月で不思議に思っていたことを聞く。

「んー? 確かにアタシら星の魔女にはオールトの雲を救うって大義がある。その為にヘクセリウムを集めてるわけだし。それにはシホの言う通り、効率は大事だ。けどさ」

「……けど?」

「せっかくこんな仕事してるんだ。アタシは少しでも多くの人の願いが叶うんなら、それでいいかなって。実はそう思ってるんだ」

 そう言ったヴィエラの顔は、晴れ晴れとしていて――そして誇らしげだった。少なくともシホの目にはそう映った。

 実にヴィエラらしい、気持ちの良い考え方だ、とシホは思う。どうしても使命感や、立場にとらわれがちな性格の自分には、内心でそう思っていても、それを貫くことがなかなか出来ない。それゆえに、ヴィエラの生き様は素敵で、眩しいもののように感じられた。

「こーんな上司で幻滅したかー?」

「ううん。全然。実はわたしもそんな感じで……願いが叶った人の嬉しそうな笑顔っていいなって思ってたから」

 冗談めかして言うヴィエラにシホは微笑んだ。

「ま。やることはやるけどな。……宇宙を救うとか大層なことはエラい人に任せるとするさ。そもそもアタシの性じゃないし」

「ふふーん。それはいい心がけですわ。すぐにでも出世して、わたくしがオールトの雲を救って見せますから二人とも安心なさい。史上最年少で五等星級になった天才少女たるこのわたくしが居る限り宇宙は安泰ですの」

 ベネットがこれまた誇らしげな顔で言った。

 星の魔女はその魔力の強さ、実績等で六等星級から一等星級までの六段階に階級分けされている。これは帽子に付けた星型をした階級章の色で判別でき、下から順に白、黄、銅、銀、金、白金となる。

 役職と階級は別物であるが、おおよそ比例しているのが実情だ。

 新人のシホはもちろん六等星級。星群長であるヴィエラは四等星級で、星団長のプラーネは二等星級。一等星級は星女王、そして星雲長を務める者の一部のみである。

 ベネット嬢は御年一一五歳。ベテランと言えるヴィエラが一九八歳。ようやく魔女デビューしたシホが一六八歳。

 これらから判断して、確かにベネットの才能が突出しているのは事実だ。心身共に突出していない部分が多大にあるのも事実だが。

「それじゃ安心かな。ひとまず宇宙の平和はベネットに任せて、わたしはいろんな人の願いを叶えるよ」

 シホがのんびりと言うと、拍子抜けしたのか、やや呆れ顔になってベネットが言った。

「そんな低い志で……それでもシホはあのステラ星雲長のご息女ですの?」

「おいベネット、その話は……」

 ヴィエラが慌てるが、シホは落ち着いた様子で言った。

「ううん、大丈夫。もう大分昔の事だから。気を使われすぎるとかえって困っちゃう」

 星の魔女になってから、シホに気をつかってほとんど誰も口にしなかった母――ステラ――の話題。

「星雲長にまでなった人の娘がこんなだもんね。みんなの期待と違って、わたしはお母さんみたいにいろんな魔法も使えないし……せいぜい受け継いだのは操縦の腕くらい。お母さんみたいな魔女になろうと思って志した道なのに。わたしが宇宙を救うなんてそれこそ奇跡みたいな話だよ」

 遠くを見つめたままシホは言った。

 優しくて偉大な母に憧れてた。でもそれだけじゃない。本当は――そうなれば願いが叶う気がしてたから。また会えると信じてるから。

 静寂に包まれ、冬空の風が一層冷たく感じられた。

「……でも、ようやく星の魔女になれて、ほんの少しだけみんなの役にたてるようになった。だから……今はそれで満足。こうしてヴィエラやベネットと働けて嬉しいんだ」

 そう言ってシホは二人に振り返って笑ってみせた。

「……ああ。今はシホの出来る事をやっていけば、それでいいさ。誰だって一人でなんでも出来るわけじゃないんだ」

「その通りですわ。その為にわたくしたちがいるんですもの」

 そうだ。例え母のような偉大な魔女になれなくても、自分の出来る範囲で人の役に立てるのなら、それでいい。

 彼方に見えた夕日が、ちょっと眩しかった。

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