★第二章★ 願いと使命(6)
黒き獣――クーヴァが蒼星で初めて確認されたのはおよそ八十年前の事だと言われている。
突如として現れたそれは星の魔女の使命を阻み、妨害する謎の存在。
唯一わかっていることはクーヴァの狙いは人の願いであり――その光を喰らうということだ。
クーヴァに取り込まれた光は消え、その闇に包まれて無へと帰る。
直接的に魔女が犠牲になったという報告はないが、願いの光を喰われ、使命を阻まれた事は数知れず。
結果として、ヘクセリウムの確保は大幅に遅れることとなり、今日に至るまで魔女たちの頭を悩ませ続けている。
「六十二……六十三……六十四! 通算九百六十四体達成ですの! あと……三十六体っ!」
狙撃に特化した長身の法器を構え、シホの遥か後方からベネットが次々とクーヴァを撃ち抜く。
「ずっと数えてるけどベネット、あと三十六体のクーヴァを倒したらなんかあるのーっ?」
ちっちゃな口のすぐ横に展開した通信魔法陣に向かって、シホが風音に負けないよう声を張って話しかける。
「千体撃破の暁には、わたくしの輝かしい功績をまとめて記録映画として公開予定ですの。ご期待くださいまし」
「へっ、へえーっ……」
正直そんな映画つくったところで誰が観るんだろう……いや、それとも強制的に観せられるんだろうか。他人のホームビデオほど退屈なものは無いけど、きっとそんな感じなんだろうな、とシホは思った。
「……つまらなそうだと思いましたわね? でもご安心を。サービスカットもバッチリございますの」
「ど……どんな?」
「もちろんシホのあのシーンですわ! 様々な角度から細部まで堪能できるよう、たっぷりと盛り込む予定ですの!」
「か……勝手にキャスティングしないでぇっ!」
などと他愛ない会話を交わしつつ、シホは群がるクーヴァの間を疾走しながら、これを撃ち抜く。
何が何でも今日はベネットの記録達成を阻み、監督に制作方針の変更を進言せねば。
シホがクーヴァの群れをあらかた撃破し、ヴィエラと合流する。ヴィエラの隣には今回の
彼は銀行に向かう途中で人に道を聞かれ、懇切丁寧に教えている間に、道に置きっぱなしだった今月の売上金の入ったカバンを野良犬に咥えて持ち去られたという哀れな中小企業の経営者である。
しかし経営者の器か。多数のクーヴァが湧き上がるこの状況下でも落ち着いている。……いや、放心状態で意識がほとんどないのかも。売上金を無くしたことの方で。
そんなおっちゃんの前に強く輝く光を求め、新たなクーヴァが周囲に誕生する。
「くそっ、さすがに数が多いな。ベネットは続けてアタシの援護頼む。ここで一気に叩くぞ。シホは依頼人の警護。おっちゃん連れて少し離れろ」
ヴィエラの指示にシホが頷き、ベネットが応答する。
各自作戦通りに行動開始。
シホはほとんど荷物状態のおっちゃんを法器の先端にひっかけると上昇。
辺りを見渡した後、住宅街の区画を三つほど斜めに縦断して飛行すると、そこに広がる廃工場の敷地内へと降り立った。
…………
この場所が使われなくなり、大分経っていることは周囲の状況から明白だった。
トタンで造られた工場の窓ガラスはひび割れていたり、あるいは全く無くなってしまっているものもある。壁にはスプレーで書かれた文字らしきものや、何かの記号、イラストといった落書きの跡。ところどころ割れた敷地のコンクリートの隙間からは雑草が生えており、片隅には風化した色彩の重機が放置されていた。
周囲を一通り見回し、シホは錆びたドラム缶が乱雑に積まれた一画を見つけると、その奥に依頼人を座らせた。
おや、とシホは思う。どうやらさっきの空中散歩でおっちゃんは完全に気を失ってしまっているようだった。ちょっと申し訳ない気もしたが、これも仕事だ。仕方がない。気を取り直して辺りを警戒する。
――静かだ。クーヴァが現れる兆しもない。
それに、もしクーヴァが出現しても、周囲をドラム缶で遮断したここならば囲まれる危険も少ない。ここでヴィエラ達が来るのを待とう――シホが思った時、自分へと向けられる視線を感じた。
――!?
視線は――足元。いつの間にか現れていた小さな黒い塊。そこから向けられるものだった。
漆黒の中に黄色く輝く、鋭角に吊り上った大きな眼。紅い瞳から発せられる眼差しは強く、明確な意志が感じられた。クーヴァの持つ空虚なそれとは明らかに異なるものだ。
鋭い視線に恐怖を感じ、すかさず法器を構え魔法を放つも――光の矢は地面を抉り、標的を捉えることなく消失する。
――避けられた!?
俊敏に動く黒い影を目で追うと、それは既にシホの背後に回り込んでいた。
依頼人の目の前で動きを止めると、塊から紅赤の鋭い爪の生えた腕が延び――宙に漂う光を掴み、握りつぶす。
白い光が世界を照らし――光球が消滅した。
「なっ――」
シホが驚愕している間にも、黒い塊は見る見る形を変えていく。
そして――真直ぐにそろえられた長い金色の髪をなびかせ、‘それ’はしなやかに身体を反らせながら姿を露わにする。
女性のようなボディラインを描き、随所に紅のラインが走る黒い肌。小さな顔に対し、不釣り合いに大きく尖った耳。手足には鋭い爪が生えており、そして臀部からは細長い尻尾が伸びる。
まるで人と獣を足したような――そう、まさに獣人と呼ぶに相応しい容姿の女だった。
クーヴァじゃ、ない――
「なっ……何なの! あなた!」
言葉が通じるのかは不明だが――法器を構えたまま、シホはそう叫んでいた。
その声に反応したのか。獣人はゆっくりと首から上だけを向け、しばしシホの顔を見ていたが――
「……ほウ――。やはりそうカ――ステラの娘子……カ――」
「!? どうして……お母さんの名を――」
獣人の口から出た言葉にシホが目を見開く。
「――どこだ、シホっ! 何があった!?」
ちょうどその時、遠くの空からヴィエラの叫ぶ声が響いた。
獣人は空を見上げると――
「――ふン……邪魔が入っタ。……また会おウ」
そう言い残しながら、獣人は足元に湧き上だした黒い泉へと溶けるように沈み、消えていった。
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