★第一章★ 星の魔女(7)
ぼんやりと輝く光に導かれ、シホとレイナは再び登山道を進んでいく。
夜の静寂に、踏みしめた砂利が一定のリズムで音を刻み続けている。
しばし山道を下り、いよいよ登山道も終わろうかという頃、光球が強く輝く。そして呼応したようにその速度を上げ、先へ先へと飛んでいく。
あっ……。山道に不規則な音を残しながら、二人もその後を追う。
ほどなく空が大きく開け、夜空に浮かぶ月がその顔を覗かせる。
登山道が終わったのだ。
そこは一面に芝生の植えられた敷地が広がる、美しい公園。
広場の三分の二ほどは主にスポーツを楽しめるような平地になっており、残りのエリアには、ジャングルジムに螺旋を描く滑り台、加えて梯子や階段、通路が複雑に入り組み合った一軒家ほどの規模を持つ大型複合遊具や、シート型のアーチブランコ、ウサギやキリンといった動物を模した前後左右に揺れるスプリング遊具、様々な高さの鉄棒、屋根付きの囲いのある砂場、水遊びが楽しめる噴水広場などが完備されている。
そしてそれらの外周を囲む遊歩道には、一定間隔に木製のベンチと、水飲み場が設けられていた。
この街に暮らす人々にとって、まさに理想的な憩いの場と言える空間である。
そんな公園へと続く登山道の出口から一〇メートルほど先、芝生の上に光球が宙に浮き停滞している。その傍らに落ちているのは片割れの手袋。
「あっ! あたしのてぶくろ!」
シホの手を離して駆け寄るレイナ。
「……待って! レイナちゃん」
何かに気づいたシホがレイナを呼び止めながら、急いで後を追い、レイナの手首を掴む。
同時、芝生の上の手袋がぐにゃりと歪み、動いた。
まるで地面から手が生えてきたかのように指の部分がもたれ上がり、何かを求めるように蠢く。桜色の毛糸で編まれたはずのそれは徐々に黒ずみ、液体のように地面を侵食しながら――次第に大きさを変化させていく。
その光景にレイナが硬直する。シホの顔に緊張が走った。
やがて地面から湧き出すように現れたのは――漆黒に濡れた、獣。
体毛などはなく、コールタールのように黒光りする皮膚。鼻先は尖り先細っており、頭に向かうにつれ滑らかな曲線を描き、徐々に太さを増していく。やがて白く虚ろに光る正円の眼を宿す顔が現れ、鋭く尖った耳が続く。幹のような身体からは、ずるずると
地に沸いた黒い泉から、電波塔のようにそびえ立つと、月明かりを浴び、一声。
むぉぉぉぉん――、と吼えた。
そして、夜空へともたげていた首が曲がり――白い眼がレイナを、視る。
感情を一切感じさせない空虚な眼差しに、本能的にレイナは恐怖を覚えた。
「レイナちゃん。下がって」
シホがレイナを庇うように前に立ち、魔女の法器を長銃のように構える。
鈍い起動音と同時に法器の先端、その虚空に薄紫の光で魔法陣が浮かび上がる。
シホの持つ法器にインストールされた攻撃型の魔法術式。法器の魔力射出口前に魔法陣を展開。魔法陣は放出した魔力を吸収、圧縮。光の矢として撃ち放つ。
前足で地を踏みしめ、半身を地面にうずめたままシホへと――いや、狙いはシホの背後のレイナか――にじり寄る黒い巨躯。
シホは狙いを定め、術式実行のトリガーとなる自らの魔力を法器に注ぐ。
魔力は瞬時に法器の内部を血のように巡り、術式を起動、処理、実行。
半濁の音で空気を震わせると共に一筋の光が疾走。獣の喉元を捉え後頭部へと貫通、風穴を穿つ。ごぽごぽと音をたてて黒い液体のような身体が崩れる。獣はのけぞって倒れると、蒸発するように消滅した。
いける――大丈夫だ。いきなりの実戦だが問題ない。シホは思った。
訓練で学んだ通り、クーヴァの動きは鈍く、耐久力も低い。一般的な魔女に比べると、いささか頼りない自分の火力――攻撃魔法でも十分に撃破が可能だ。
「シ……シホお姉ちゃん……」
シホの後ろで腰にしがみついていたレイナがか細い声を上げる。
シホとレイナを中心として、半径五メートルほど。
周囲には数多の黒い泉が湧き出し、そこから次々と新たな敵が這い出しつつあった。
あるものは雄叫びをあげて這いずり、あるものは四足歩行で地を揺らし、あるものは背中から蝙蝠のような翼を生やし空へと舞いあがる。
その数、十数体。どこを見渡しても視界に映るのは黒、黒、黒。
統制のない動きで四方から二人に迫る黒い獣たち。
漏れなくそれらの視線はレイナ――いや、レイナの前に浮かぶ光球に注がれている。
「レイナちゃん、ここでじっとしていて。絶対動いちゃダメ。いい?」
触れないとわからない位に小刻みに震えた肩から、少女が気丈にも恐怖を押し殺しているのが伝わってくる。シホはレイナを芝生の上にしゃがませて、落ち着かせるように、努めて穏やかに言い聞かせた。
不安げな眼差しを向けつつも、こくん、と僅かに頷くレイナ。
守らなくっちゃ。シホは立ち上がり、素早く周囲を見渡す。
法器を構え、距離の近いクーヴァに優先的に狙いを定め、次々と閃光を放つ。
魔法陣から射出された光が的確に頭部を撃ち抜き、次々と獣を駆逐。霧散させる。
それを見届けるや、シホは助走をつけて法器に飛び乗り、残る獣へと疾走。
スロットルグリップを捻り一気に間合いを詰め――クーヴァの目前で上体を傾け重心をずらすと同時に、制動領域を展開。機体を横滑りさせ――更にグリップを捻る。
物理法則に則り、法器が回転運動へと遷移――爆音と共にエンジンノズルから吹き出す蒼炎が一帯に蠢く漆黒を撫で、包み、焼き尽くす。
そのまま慣性に従い回転を二回、三回と続け――無理なく機体を安定させる。魔力燃料の焼けた独特の臭気が鼻腔に滲む。
残る遠心力を殺すようにシホは片足で地を蹴ると、躍動。法器の機首を上げ、空を漂う標的向かって疾走する。
獣は緩慢な動きで一度天へと向かい咆哮をあげた。やがて翼の生えたクーヴァは飛来する魔女を迎撃すべく下降を開始する。
さながら戦闘機のようなシルエット。尖った面構えの獣が正面から迫りくる。
しかし、シホは更に――加速。
瞬く間もなく、闇夜に溶け込んでいた巨体が、その本来の存在感を露わにしていく。
自分を圧壊せんと迫る大質量の黒い塊。
虚ろに光る双眸の間を狙い、法器に魔力を注ぐ。
眼前に展開する魔法陣が熱を帯び、輝きを灯す。
そして――発射。
上体を左に捻る。先刻までの天と地が入れ替わり――黒い
…………
霧と化し、宵闇に溶ける様に消えゆく獣を眼下に、シホは敵残存数を確認する。
――あと四体。
レイナを基準として、右前方に一体、そして左後方に三体。
位置関係を把握し、即座にプランを決める。
まずは単独の標的の傍らを通り抜けながら魔法で撃ち抜く。次にそのままレイナの後方へと回り込み――そこで先ほどと同様に法器を回転させ、エンジンから発する
即時、実行へと移る。一気に高度を下げ、最初の標的に迫りつつ魔法を放ち、予定通りに撃ち抜く。ちらりと右手に居るレイナを視界に捉えながら旋回し――
「お姉ちゃん! あぶない!」
レイナが叫んだ。その声にシホが正面へと視線を戻す。
前方の地面に湧き出した黒い泉――そこから今まさに誕生しつつある黒い魔獣の頭部が現れる。
その鼻先がしなり、伸びた。真上を通り抜けようとしたシホの足首を捉え絡まる。
しまっ――! そう思った次の瞬間、法器から放り出され、身体が宙を舞った。
内から響く鈍い衝撃音と共に、息が詰まる。激しく打ち付けた身体は地面を何度も転がりながら吹っ飛び――ようやく止まった。
新たに出現した、
「くっ……うう……」
痺れた身体に力を込め、なんとか半身を起こしたシホの耳に響いたのは救いを求めるレイナの声。既に三体の獣が迫っていた。反射的に地に手を這わせて法器を探すが、見当たらない。
そうしている間にシホの背後にも黒い巨躯が迫る。その気配にシホが振り向くと――
「どっ、りゃああああああ!」
目の前の巨体が傾く。
弾丸のように突っ込んできたその人物は法器に跨ったまま右脚でクーヴァを蹴り飛ばし――着地。そのまま流れるような体捌きで法器をバットのように構えると、標的目がけフルスイングで振り抜く!
――どっ……ごおっ!!
信じがたい光景だが――鈍い衝撃音と共に、クーヴァの山のような巨体が夜空へと吹っ飛んでいく。そして放物線を描く直前、そのまま宙で塵となった。
「こっちはクリアだ。ベネット!」
スイングを降り抜いたフォームのまま、行方を見守っていたその人物が叫ぶ。口元には通信用の小さな魔法陣が展開していた。
「言われなくてもわかってるのですっ!」
魔法陣から返答の声がした。
直後――どこからか飛来した光の弾丸が次々と残る三体の獣の頭部を捉え、撃ち抜く。
レイナの周囲に黒い霧が舞い――夜風に流され、消えた。
「危ないトコだったねー。新人クン?」
座り込んだままその光景を見つめていたシホに手を差し伸べながら、青いショートカットの魔女はそう言ってウインクした。
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