第9話 はじめて認めてもらえたもの

今までずっと母には否定をされ続けてきた。


絵を描くこと。

デザイナーという職業。

趣味の旅行。


どれも、「上手だね」「楽しいんだね」「頑張ってね」「楽しんできてね」などプラスの言葉はかけてもらったことがない。


反対のことは言われ続けた。

それは今でも続いているが。


小さなことかもしれないけど、それが物心ついたときから何年も何年も続くと、どうしてお母さんは応援してくれないんだろうという疑問から、私のこと愛してないんだ、と思えるレベルになっていた。


そんな母がはじめて、たった1つだけ。

私が大切にしているものを一緒に大切にしてくれている。


それは、娘。


つい最近家族全員で風邪をひいてしまった。

治りかけたタイミングで母から電話がかかってきた。


「子供は病気してないか?」


心配かけるのも嫌だし、めんどくさいのもあって、主人と私が風邪を引いたが、もう治ったという風に伝えた。


「子供には絶対うつしなよ(方言でうつすな、という意味)」


と言われた。


父とも少し話したけれど、熱は何度出ただの、コロナちゃうやろーな、だの、なんやかんや色々聞いてくれ「それはしんどかったなぁ」と言ってくれた。


そこが父と母の違うところ。


でも、私がもういいや、と思えたのは。


最初にも書いたけど、私が大切にしている娘のことを一緒に大切にしてくれるところ。


娘が一番。


そういうことだよね。

この子の存在を認めてくれるだけでもう、十分。

それだけでいいよ。


これが今までの人生。

私が大切だと思っているもの。

趣味、職業も同じように大切にし、見守ってくれていたらどうなっていたのかな。


母に相談したり、アドバイス求めたり、頼ったりしたのかな。

病気の時は甘えたり、出産の時は里帰りしたりして、全然違う人生を歩んでいたのかな。


私にはその選択肢がなかったおかげで、自立だけはできた。


親には、頼らない、頼れない。


ずっとその考えで自分でどうにかしてきたから。


そして親に甘えれなかった分、主人には内弁慶を発揮し、今が人生のなかで一番心地よく生きれてる。


親と仲の良い人が羨ましいし、それは素晴らしいことだから、もし親を選べるなら、今の親に生まれたいか自分に問いかけたら残念ながらnoだけど、それをめちゃくちゃプラスな言い方をすれば、愛情深い人たちに比べて親が亡くなった時の心の傷はたぶん浅くはすむと思っている。


主人と娘がいたらそれでいい、って思える。

すごく寂しいことだし、親と仲の良い人からしたら考えられないことだろうけど。


私がこれからできることは。

娘には絶対。

私と同じ思いをさせないこと。

一番に認めてあげること。

受け入れること。


そして、親に対しては、少しでも後悔が少なく済むよう接すること。


親が死んだときは、多かれ少なかれ、ほとんどの人があの時こうしていればとか、もっと親孝行したら良かったとか、後悔する気持ちって芽生えると思う。


私もさすがに「死んでくれてありがとう」とまでは全く思ってなく。


多少は後悔するんだろうなと思う。


親のためでなく、自分のためかもしれないけど、その苦しみから逃げられるよう、娘と会う時間を少しでも増やすとか、ありがとうと沢山伝えるとか、できることはやっていきたいと思う。

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