第7話 大好きだった父

あまり触れてはないが今日は父のことを書こう。

結論から言うと、私は父が好きだ。


母、私、妹の女3人と、父の4人家族。


父は、家族の中で一番強く、典型的な昭和のおやじだった。

母にとっては亭主関白で、今でいうモラハラ夫。

私たち姉妹にとっては厳しい父だった。


しつけの一環で暴力を振るわれるのも当たり前。

私は今でもそれを虐待とは思っていない。



私は小さい頃からずっとお父さん子だった。


幼稚園に行くときは父の出勤に合わせて一緒に幼稚園へ行った。

(幼稚園は当時暮らしてた社宅の隣にあった)


クラスのどの子よりも早くに園についていた。


私が寝てる間に父が会社に行ってしまったら寂しくて泣いてしまったこともある。


小学生の時は毎日一緒にお風呂に入り、学校であった楽しかったことを話した。

恥ずかしいカミングアウトだが、中学2年生くらいまでは一緒にお風呂に入っていたかも。


一緒に寝てたのは中学に上がる前までだったかな。

いつも寝る前に父の思い出話を聞いていた。

その時間が大好きだった。


勉強は、中学生くらいまではよく教えてもらった。


父は、母とは違い、私たち姉妹を平等に扱ってくれ、いつだって味方になってくれた。


そんな大好きな父が、私が20歳の時にステージ4の胃がんになった。

胃は全摘出。


奇跡的に現在もまだ生きているのだが、当時の抗がん剤での治療に参ってしまった父は、精神病になった。


壁に頭をぶつけ続ける父。


死にたい、死んで楽になりたいと言って、ふらりとどこかに行ってしまった父。

その後無事見つかったのだが、病気がきっかけで良好だった関係は崩れていった。


私は大好きだった父の姿があまりにも変わってしまったことをどうしても受け入れることが出来ず、目をそらすようになった。

心と心の繋がりも、離れてしまった。


私こそ弱いよね。ごめんね、お父さん。

一番支えてほしい時期だっただろうに。


さらに良くないことは続く。


胃を全摘出したにも関わらず、もともとアルコールだ好きだった父は、心の弱さからお酒に逃げ、アルコール中毒になってしまった。


びっくりする酒量。

病気にかからないのが不思議なくらい。


アルコール中毒は、母が気の毒なくらい大変だそうだ。


お酒のアテ作り、酔っ払ったら側で父の愚痴を何時間も聞かなくてはならない。

一人で勝手に飲む分にはなんてことはないが、そばについていないと怒るそうで何かしながら話を聞くというのも許されない。


それはとても時間の無駄で、母の白髪も一気に増えた。


父は、家族だけでなく、近所の人に迷惑をかけた。

窓から近所の人に向かって叫んで喧嘩を売る。

警察沙汰になってしまったこともある。

気が狂い、発狂した姿も見たことがある。


体を動かすのが大好きな父。

今は軽度の認知症もあり、体を動かすことをやめ、見たことがないくらい太り、大好きだったお風呂も毎日入らなくなったそう。

世間話はできるのだが、少しずつ話が通じなくなってきてるところもあり、理解力もなくなってしまった。


ああもう大好きだった父はあの時死んでしまったのだな・・・

父にはもう会えないのだな。


さみしいよ、お父さん。

またお父さんと思い出話がしたいよ。

お父さんの話、聞きたいよ。

あの時間が大好きだったよ。


何があっても、どんな父でも、やっぱり好きだ。

でも・・・

きっと、父が死んだらホッとするだろう。


母は自由になるだろうし、家族みんな、見えない何かから解放される。


精神病やアルコール中毒のせいか、私も妹も、父から「親が子供に言ってはいけない言葉」を何度か言われたことがある。


「今まで育てた金3000万返せ」とか。


それでも私が父のことを好きと言えるのは、父が愛してくれたと感じられる積み重ねの思い出があるから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る