第3話 バイトの副業? ってナニ?


「いらっしゃ……おんや。

ルカさんじゃあ、ありんせ」


 その日、店じまいを始めていたオレの手を留めたのは、椿さんが呼んだ名前だった。

 振り返ると、真っ黒なロングコートを着こなした女性が、入口に佇んでいた。

 扉についているカウベルを鳴らさないで入れるのは、このカフェ経営者であるルカさんだけだ。

 ハルカ、と言うのが名であることしか、オレは知らない。

 一度死んだ椿さんたちに肉体を与えた、占い師その人だ。


「こんばんは。良い夜ね」

 大きくはない、だがよく通る声で挨拶をすると、滑るようにカウンターに歩み寄った。

「お久しぶりです」

 バイト仲間の葵が、執事のようにハルカの斜め後ろから黒いコートを受け取る。

「ありがとう。どう、身体の調子は?」

「大丈夫です。ありがとうございます」


 葵も出戻り組だ。

 ハルカの心配は、葵が再び肉体を持って舞い戻ってから、そんなに長い時間過ごしていないためのやりとり……ではない。


 葵は、本来女の子だそうだ。

 にも関わらず、男の肉体を持って戻ってきた、たぐい稀なケースの一人なのだそうだ。


「なにかあったら、必ず私か、椿に言ってね」

「はい」

 それを見るともなしに見ていたオレの横で、イチが小さく鼻を鳴らす。

「くぅ! 美少女のはにかみは、心に響くねぇ!」

「……そうか」

 尻尾が3本のキツネなイチだが、葵の元の女の子の姿が見えているそうだ。

 オレには、ただの同じ年くらいの男にしか見えないが。

 生まれ持っていた姿には、二度と戻れないそうだ。

 だから葵も、もちろん椿も生きていた時の姿と今の姿はまったく違う、らしい。

「良くも悪くも、それが人の持つ、因果律なんえ」

 よく椿がいう言葉だ。



「どうしなすったんです?」

 椿はルカの隣に陣取り、小さく首を傾げる。

「そうっすよ。そんな小さい小物も引っ釣れて!」

 イチは鼻をくんくんさせながら、ルカの胸元を指す。

「イチくん。ルカさんに失礼だよ。ルカさん。どうぞ」

「ありがとう」

 イチの手を叩き落とし、代わりに笑顔で葵がルカにカップを手渡した。

「ひでぇ! 初めはあんなに優しかったのに!」

 見た目が六歳くらいの子どもに化けているイチに優しく接していた葵だが、このごろ何かを学んだらしい。

 いわく「子どものしつけは、早いうちに」だそうだが。


「今日は、タカ君にお願いがあったのよ」

「オレに?」

 再び片付けに入っていたオレだが、即座に語る。

 アレ、か。

 表情を読んだのだろう、ルカは小さく微笑み、胸元から小さく光る玉を取り出した。

 すぐにその光は、イチより小さな人の子どもの姿を取った。

 瞬間、ルカの後ろに隠れる。


「……えーと」


 ルカの影から少しだけ顔を見せている子どもとしばらく見つめあってから、オレは周囲に助けを求めて視線を彷徨わせる。

 椿は、オレの名前が出た瞬間から我関せずとキセルを吸っており、オレの視線など無視。

 次に目があった葵は、にっこり笑っただけ。

 すぐそばのイチは、「人間のことをオレに聞くな」と、手を振るだけ。


 ……どうしろ、と。

 子どもは無表情すぎて、何を考えているのかさっぱりだ。

「ミチコちゃん。このおにいちゃんが持ってきてくれるわ」

 ルカの言葉にも、小さく眉をひそめただけ。

 きゅっとルカの服を握りしめ、じっとオレを睨み付けるだけだった。

「ルカさん?」

 どうしたらよいか、訊ねようとした瞬間。


 ガララーン!


 入り口の扉が乱暴に開かれ、黒ずくめの人間が転がり込んできた。

「キサマ、よくも俺の仕事を横取りしたな!」

 怒り心頭の声に、オレは首をかしげた。

 聞いたことのある声だったのだ。

「あら?」

「あら、じゃない! 

 そこのガキは、俺が始末する魂だぞ! 

 勝手に規定を無視して持って行くな!」

 そのままルカに荒々しく近づく黒ずくめローブの前に、葵がすべり込んだ。

「店内での乱暴な行為は迷惑なのですが」

 無表情な葵だが、目がかなり怒っている。

「お前は関係ねぇ!」

「……、失礼」

 葵を押しのけようとした腕は、逆に取られ「せい!」

という言葉とともに、床に叩きつけられた。


「正当防衛ですから」

 軽く襟を正す葵に、オレとイチは怯える。

「目が笑ってねぇ」

「怒ってるぞ、マジで」

 女なのに、武道は一通り修めたらしい葵に逆らうとは……。


「ん?」

 床に転がり、目を回した黒ずくめのフードがずり落ち、寝癖がついた茶髪が見えた。

 よく見ようと足を踏み出したオレは、転がっていた黒ローブが持っていた棒に、足を引っかけた。

「あ?

 あー、もしかして、これ……」

「鎌だな」

 転がってきた棒を足で転がし、イチはしかめっ面で頷く。

「うん、死神だもの、その子」

 コーヒーを飲みながら軽く言うルカに、オレはため息をつくしかない。

 驚けない、異常事態に慣れた自分が悲しくて。

「……っつ」

 うつぶせに倒れたから、思いっきり顔面をぶつけたのだろう。

 うめき声を上げながら顔を抑える黒づくめの背中を、葵は踏みつけた。

「何しやがる!」

「自分の先ほどの態度を省みなさい。

 このくらい当たり前です」

 足蹴にされた黒づくめは、立ち上がろうにも上手に踏みつけている葵の足を振り払えない。

「っとに!

 なんだよ、ココ!」

 思いっきり顔を上げた黒ローブと、ばっちり目が合ってしまった。

「……遠藤?」

「ああ? 榊?」

 万年遅刻魔のクラスメイトの顔が、不思議そうな表情を浮かべていた。

「タカくん。

 知り合い?」

 面白そうに、二人に落ちた沈黙を眺めていたルカが、口を挟む。

「はあ、まあ。クラスメイトですが」

「そうなの? タカくんクラスって、本当に面白いね」

「……、ここまでくると、否定できません」

 ナチュラルに会話を交わすオレたちに、ようやく我に返ったらしい遠藤は、じたばたと暴れ始める。

「おい、榊! 

コイツの足をどけさせろ! 

っていうか、榊、そこの女と知り合いだったのかよ? 

ってことは、俺の敵かぁ? 

ふざけんなよ、お前、普通の人間だろ? 

てか、なんだよ、もう!?

何がなんだかわかりゃしねぇ!」

 もぞもぞともがきながら混乱している遠藤が憐れになり、近寄って軽く頭に一発入れる。

「いってぇ!」

「ちょっとおとなしくしろよ。

 そんで話を聞けよ」

 しゃがみ込んで目を合わせたオレの言葉に、一旦動きを止めた遠藤の瞳をじっと見つめ。

 一言いってやる。


「似合ってないぞ、その黒いローブ」

「……う、う、うるせー! 

 俺だってこんな時代遅れなの着たくねぇんだよ! 

 でもこれが正装なんだから仕方ないだろ! 

 ってか誰にも見られないだろうから、俺だって我慢して着てたんだ。

断じて俺の趣味じゃない!」

 力いっぱい断言した遠藤は、がっくりと床にはいつくばった。

 力尽きたようだ。


 オレは空々しく「そうか」と言ってやり、葵を振り仰ぐ。

 軽く肩を竦め足を外した葵は、ルカの後ろに控えた。


 つんつん、と遠藤をつつきながら、オレは優しく声をかけてやる。

「おーい。生きてるか? 

 ちょっと状況説明しろよ」

「この子の魂は、すでに私の管轄下にあるわ。

疑うならば、一度戻って書類を確認していらっしゃいな」

 それまで口を挟まなかったルカが、動きを止めた遠藤に言葉を投げる。

 がばぁ、と顔をあげた遠藤に、ルカは軽く肩を竦めた。

「元々この国では、貴方たちより私の方が『律』を絡め取るのに有利なのだから。

 わかっているでしょう?」

 悔しげに唇をかみ締める遠藤に、ルカは小さく笑う。

「私が邪魔をした、といえば誰からも文句は言われないわ」

 すでに『律』は書き換わっているのだし、と続けるルカを見つめた遠藤は、長々と大きいため息をつく。

「あきらめろ」

 せめてものアドバイスをやると、遠藤は情けない顔でオレを見た。

「なんで、こんなトコに榊がいるんだ?」

「ここ、オレのバイト先」

 簡潔に答えてやると、遠藤は身体を起こし床に座り込んだ。


「でね、タカくん、今日いい?」

 何事もなかったように微笑むルカに頷き、そばの椅子に腰掛ける。

 思いっきり無視されている遠藤は、体育座りになり床に文字を書きはじめた。


「今回は簡単。

 ミチコちゃんのぬいぐるみを、部屋から取ってきてミチコちゃんに渡してあげてちょうだい」

 少し待ったが、それ以上の言葉を何も口にしない。

 オレは拍子が抜けた。

 いつもより簡単な仕事だ。

 いつもなら、悪霊に追い掛け回されたり、食料と看做されて妖怪に襲われたり、異次元に投げ込まれたり、ドロボウの真似事をせざるを得なかったり……。

 思い出しただけで鬱になりそうな、過去の諸々をうっかり振り返りかけ踏みとどまる。

 人間、過去を忘れることも、時には必要なのだ。


「それ、オレでないと駄目なんですか?」


 過去には蓋をし、用心だけは忘れないように聞く。

 でなければ、ルカは情報を教えてくれない。

 いや、わかったんだと判断するのだ。

「ええ。

 そこの死神君が変な所で割り込んできたお陰で、この子の魄が一つ、零れ落ちたの。

 それも死神君のせいで、魄が力を持つものに怯えちゃって。

 私が近づくと、逃げるのよ」

「逃げる?」

「ええ、クマのぬいぐるみに宿っているから。


手足、あるもの」

「……そうですか」

 なんとも突っ込めず、ただ頷く。

「それで?

 ぬいぐるみを探して捕まえて来い、と」

 妙に疲れ、テーブルにひじをつく。

「ぬいぐるみは、この子の部屋にあるわ」

 葵が差し出したサンドイッチを受け取ったルカは、子どもを指す。

「子どもの魄、それも一つのみだから。

無駄に力を使わせたくないのよ」

 訝しげなオレに、ミチコちゃんの頭を撫でながらルカは呟く。

「本当は、タカくんに頼みたくないのだけど。

時間もないの。

 ……、頼んでも良いかしら」

 ルカがお人よしであることを知っているオレは、自分でもわかるくらい優しく小さく笑っていた。

「任せて下さい」

「……、ありがとう」

 立ち上がり歩み寄るオレに、ルカは目を伏せながら礼を言い、簡易儀式を行う。


「契約を」

「遵守する」


 そのやり取りのみだけで、差し出したオレの腕に、緑の石がついた腕輪が巻きつく。

 ルカの依頼を受けるごとに、契約を結ぶ。

 依頼が終了すると、石だけを残して腕輪が消える。

 この石が、奴の下へ行くための、足がかりになるのだ。


 石を軽く指ではじき、ついでにすぐ近くにあったミチコちゃんの頭を、ぐりぐり撫でてやる。

 見上げてきた黒黒とした虚ろな瞳に、にやりと笑ってみせてから、思いっきり身体を伸ばす。


「では。

 この子のうちの住所、教えて下さい」

 エプロンを脱ぎながら頼みながら、ふと、我に返った。

 ……また不法侵入かぁ。

 奴のためとはいえ両手の数以上は罪を犯している現状に、軽く落ち込む。

「それならそこの死神君に連れて行ってもらいなさい。

 空からなら、ダイレクトに部屋に着くわ」

 いきなり指名された遠藤は「はぇ?!」ときょろきょろし、閉店作業中のメンバー全員が自分を見つめているのに気がつく。

「タカくんを、この子の部屋まで」

 笑顔で圧力をかけるルカに怯えた遠藤は、カクカクと頷いた。

 時間がない、とルカが言ったので、そのまま出て行くことにする。

 ぶつぶつ文句を呟く遠藤を連れて。

 だが、やっぱりアホだな、コイツ。

 わざと鎌を返す暇をやらなかったが、絶対忘れている。


 送り返してもらえるようで、オレはラッキーだが。



 そして、オレは侵入する。

 一人の子どもと、ぬいぐるみがある部屋へ。


 扉の向こうには、父親と母親が行き交う気配があるうちの中で。


 数日前には、

 瞳を閉じれなくなった

 子どもの部屋へ。



 だから、オレは。

 人がキライなんだ……。



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