恭哉
授業を終え、放課後は部活で汗を流した。帰ると若葉と2人でご飯を食べる、そのことを考えるといつもよりもテンションが上がって部活にも集中できた。
部活を終えて、一直線に自分の家に帰った。シャワーを浴びて部活でかいた汗を流す。風呂から上がり適当に髪をタオルで拭き取るが、早く若葉に会いたい俺はまだ乾いていないのを気にせずに家を出た。
『お邪魔します』
そう言いチャイムも鳴らさず家に入ると、いつもなら若葉が出迎えてくれる。なのに今日は来ないし物音も聞こえてこないので、不思議に思いつつリビングに入る。
『…寝てる』
若葉は気持ち良さそうにソファの上で寝ていた。ソファの上には洗濯物が途中まで畳んであった。急いで帰ってきたのに…と少し残念に思ったが、幸せそうに寝ている若葉を見ているのは飽きない。
若葉に近づいてサラサラの髪の毛を撫でて、長い前髪をわけると若葉の顔が露わになる。伊達眼鏡を付けていても分かる綺麗に整った顔。
…誰にも見せたくない。
頭を撫でながら暫く、寝ている若葉を見ていた。時計の短い針が8を指したので、若葉から離れてキッチンに立つ。殆どのご飯の準備はできていて唐揚げを揚げるだけだった。
『…何このクッキー』
キッチンに並べられた、綺麗に包装されているクッキー。葉月が料理ができないのは知っているから若葉が作ったことに間違いない。今まで誰かにクッキーを作って渡すなんて…しているところを見たことがない。心の小さい俺は嫉妬心でどうにかなりそうだ。
今すぐ起こして問い詰めたい気持ちを押さえて、唐揚げを揚げた。若葉の作ってくれていた物を皿に盛りつける。全ての準備が終わったところで若葉を起こした。
『おい、起きろ』
「ん…恭ちゃ…ん?」
『起きろ、こんな所で寝るな』
「私寝てた!?ご、ご飯しないと!ごめんね、急いで作るね」
起きた若葉は俺がいることに驚き、そして慌てて立ち上がった。部活をして帰った俺が腹を空かしていると気を使っているのだと分かる、そんな些細な優しさに心が癒される。
「あ、あれ?」
『唐揚げ揚げるだけだからやった』
「ご、ごめんね…部活で疲れているのに料理させてしまって…」
『…別に。冷める前に食べるぞ』
「うん、ありがとう!」
申し訳なさそうな表情をしていた若葉だけど、イスに座ると嬉しそうに料理を食べ始めた。こんなことしたことなかったが悪くないなと思った。若葉が喜ぶならまたやろうと思えた。ふと、若葉を見ると鬱陶しい前髪と眼鏡で顔が見えない。
『眼鏡、外せよ』
「で、でもお見せするような顔じゃないから…」
『今更お前の顔見たところで何も思わねぇよ』
「…そうだよね」
ただ顔を見たいと素直に言えない俺。そんな俺に若葉は気を悪くするわけでもなく、恥ずかしそうに眼鏡を外して前髪をピンでとめた。
…かなり自己中だ
他の奴らには見せないで欲しいけど、俺の前だけは顔を見せて欲しい。汚い気持ちを若葉は鈍感だから気づかない、それが幸いだった。
何かを話すわけでもなく2人でご飯を食べる。美味しそうに食べている若葉を、俺は気づかれないように盗み見ては恥ずかしくなり目を逸らした。
そして、目を逸らした先にあのラッピングされたクッキーが目に入る。
『あのクッキー、なに』
「クッキー?」
『キッチンに置いてあるやつ』
「あっ、いつもお世話になっているから千枝ちゃんに作ったの」
吉田に作ったことが分かり心底安心した。もし男に作っていたなんて聞いたら…考えただけで嫉妬で頭がおかしくなりそうだ。
…でも…吉田にあって、何で俺にはないんだ。
女にも嫉妬するなんて心が狭すぎかもしれない。だけど、若葉にクッキーを作ってもらった吉田が羨ましくてたまらない。
「きょ、恭ちゃ…ん?」
不機嫌な顔をしている俺に、若葉がおどおどとしている。だけど、そんなの気にしている余裕がない。
『俺にはないのか』
「へ?」
『いつも世話してやってるだろ、俺にはないのか』
「甘い物…嫌いだよね?」
…そうだった
基本的に甘い物は食べない、女子が作ってくるけど全部いらないと受け取っていない。でも、若葉が作ったものは別だろ。
『…別に、食えるし』
「あ、そうなんだ。てっきり嫌いなんだと…」
若葉は立ち上がり、ラッピングしたクッキーを1袋持ってきた。
「いつもありがとう、これ良かったら食べて欲しいな」
お礼を言い、俺に手渡してくれた。甘い物が嫌いだから渡さなかっただけだと分かり、先ほどまでと打って変わり機嫌が良くなる単純な俺。袋を開けてクッキーを1つ食べる。その間、若葉は心配そうに俺の様子を伺っている。口に広がる甘さ、いつもなら嫌悪感しかないのだが若葉が作ったと思うと…とても美味しい。
『…うまい』
俺が一言そう言うと、若葉は安心したように微笑んだ。そんな若葉を見て俺の顔に熱が更に集中する。
『…残りも全部くれ』
顔が赤くなっているのを隠すように、若葉から顔を逸らして言うのが精一杯だった。若葉は残っていた袋を全て俺にくれた。恥ずかしさを隠すようにもう1つ開けて、クッキーを食べ続けた。
「ただいま」
そうしていると葉月が帰ってきて、俺と若葉の2人だけの時間は終わった。葉月は俺がいるのを見つけると嬉しそうに近づいてきた。そして、若葉は俺達に気を使って早く片付けを終わらせようとしている。葉月は風呂へ入り、その間に若葉はご飯を片付けて洗濯物を畳み終えた。
葉月が風呂から上がってきた時には若葉は全ての家事を終わらせていた。葉月が嬉しそうに借りてきたDVDを見ようと俺の隣に座る。ちらりとパッケージを見ると恋愛ものの映画だった。内容なんて全く興味がない。なのに葉月は俺の腕を掴み、一緒に見ようとしてくる。
…仕方がない。
俺が葉月を利用しているから、申し訳なさから強く反抗できない。
そうしていると若葉がリビングから出て行った。耳をすませるとシャワーの音が聞こえてきて、若葉がお風呂に入ったんだと分かった。映画なんて全く見ていない、隣で楽しそうに見ている葉月には申し訳ないがただ画面を見るだけで内容は入ってこない。
聞こてくるシャワーの音に意識は集中していて、そっと目を閉じた。
「ねぇ、恭哉?」
『…あぁ』
「ねぇ、聞いてる?」
『…あぁ』
「恭哉話聞いてる!?」
葉月に肩を強く叩かれ、閉じていた目を開けた。観ていた映画は既にエンディングを迎えていて、隣にいる葉月が頬を膨らませて怒っていた。
『…悪い、聞いてなかった』
「だからー、最後の主人公どうだったって聞いたの!」
『…悪い、途中から観てなかった』
「はぁ?何それ…」
葉月は怪訝そうに俺を見ている。が、すぐに溜息を吐き呆れていた。部活で疲れたのか体調が悪いのかと心配してくれる葉月には申し訳ないけど、ずっと若葉のことを考えていた。そんなこと言えるわけがないから、俺は眠たいとだけ言い自分の家に帰った。
次の日の朝、いつも通りに若葉の家に行く。若葉は気持ち良さそうに寝ていて、俺はベッドに腰をかけて頭を撫でる。
…俺が唯一、素直になれる時。
ふと時計を見ると時間が経っていて、家を出るまで10分もない。
『おい、起きろ、朝だぞ』
俺がそう言うと若葉は飛び起きた。長年の習慣からか、若葉は俺の声を聞くと起きるようになった。目覚ましの音では起きれないくせに俺の声だと起きる。
…それが嬉しいだなんて相当な俺。
起きてからの若葉の準備は早かった。急いで顔を洗い、歯磨きをして部屋に戻って来た。俺が髪を三つ編みに結ぶと、一瞬で制服に着替えた。朝の用意が10分でできるなんて、年頃の女ではあり得ないことだろう。息を少し切らして用意が終わった若葉を見て、鼓動が高まるだなんてかなりの重症だ。
それに気づかれたくなくて…
『ほら、眼鏡』
「ありがとう!」
素っ気なく眼鏡を渡して、先に家を出た。家の外には完璧に用意が終わった葉月が既にいて、葉月は俺を見ると嬉しそうに微笑んで腕に自分の手を絡ましてきた。
『これは嫌だ』
「なんで?いいじゃない」
俺が嫌がり腕を振り解こうとすると、葉月は絡める手に更に力を入れた。葉月は頑固な性格で、言い出すと話を聞かない。俺は溜息を吐いて腕を振り解くのを諦めた。
いつもの登校がとても長く感じた。学校について、振り返ると若葉がいない。サーっと顔の血の気が引くのが自分で分かった。
「あれ?あの子どこに行ったのよ!」
隣にいた葉月も気づいていなかったのか、呆れたように言った。
「鞄ないし、最悪」
…うるさい
ごちゃごちゃ鞄がないと文句を言っている葉月に苛立つ。今は鞄の心配じゃなくて若葉を心配しろよ。今まで一緒に登校していたが、こんなことは初めてだ。何か事件に巻き込まれたのかと嫌な想像をして気持ちが焦る。
『探してくる』
「待っていれば来るでしょ?」
『うるさい。教室行ってろ、鞄は持って行く』
「ちょっと、恭哉!?」
後ろで何か言っているが、俺は無視して若葉を探しに走り出した。
『すみません、セーラー服をきた三つ編みの子見ませんでしたか?』
「ごめんなさい、見てないわ」
『…ありがとうございます』
何処で逸れたのか分からない。ちゃんと後ろを見ていれば気づけたはずなのに…俺のせいだ。若葉に何かあったら俺の責任だ。俺は足を止めず、目撃者がいないか色んな人に聞いて回った。
「三つ編みの子ならさっき見たわよ、迷子の子を抱っこしていたわ」
『本当ですか!?何処に向かっていましたか?』
「ごめんなさい、何処に向かっていたかは…だけど迷子の子、近くの保育園の制服着ていたから、もしかしたらそこに…」
『ありがとうございます!』
若葉…若葉…若葉…
周りの目なんて気にする余裕なんてなく我武者羅足を動かした。保育園が見えたところで、門の前に若葉の姿を見つけた。
…無事でよかった
その瞬間、安心したせいか地面に座り込んだ。自分の手を見ると震えていて、若葉がいないと気づいてから生きた心地がしなかった。
若葉を見ると、楽しそうに男の子と笑っている。だけど、若葉が子供と指切りをするのを見て、心の狭い俺は体温が急降下したのが分かった。子供でも俺以外が若葉に触るな…
『若葉!』
気がついたら怒鳴っていた。若葉は俺の声が聞こえると、肩を震わせて振り返った。若葉はかなり焦っている様子で目が左右に揺れている。
…怒りに任せて若葉を怒鳴ったことに、罪悪感がつのる。
『…葉月の鞄』
「あっ!ご、ごめんなさい。ってもう授業始まってる!?」
俺の汚い気持ちを見られたくなくて、話をズラした。正直、葉月の鞄なんてどうでもいい。
「早く持って行かないと…」
『恥ずかしいから教室に来るなって言われてんだろ。俺が持っていく』
「…ごめんなさい」
若葉は申し訳なさそうにして、涙が溢れてしまいそうになっている。それでも泣かないように頑張っている姿に心が痛んだ。
謝ってきた迷子の男の子の母親に頭を下げて、その場を立ち去る。若葉の腕を掴んで、もう離れてしまわないように力強く握った。葉月に掴まれた時は離れたくてしかたがなかったけど、相手が若葉だとこうも違うのか。
葉月も学校の生徒もいない。そんな登校の道は初めてで俺は握りしめている手を離さなかった。
「きょ、恭ちゃん…」
『なに』
「迷惑かけてごめんなさい」
『ハァ、迷惑じゃなくてさ…』
迷惑という言葉を発した若葉に、歩いていた足が止まる。すると、それに反応できなかった若葉が俺の背中にぶつかった。でも、今はそんなこと気にしていられない。
『いつも世話をされてるくせに人助けするなんて…人の事より自分を何とかしろよ』
…嘘だ、こんな事を言いたいんじゃない。
「…ごめんなさい。だけど、放っておけなくて…」
『助けるなとは言っていない。行動する前に俺に言えって、何のために一緒に登校してんだ』
…違う、本当はもっと優しい言葉で言いたいのに。心配したって、何かあったら俺に頼れよって言いたいだけなのに。心配するからこんなこと二度とやめてくれと伝えたいだけなのに…
「2人の邪魔…したくないなって…」
『こっちの方が迷惑。急にいなくなって、どんだけ探したと思ってんだよ』
迷惑だなんて思ったことない。若葉と出会ってから、この16年間一度だってそんなこと思ったことはないのに。
急になにも言わないでいなくなったこと
男の子と仲よさそうに指切りをしていたこと
俺と葉月の邪魔をしたくないと思っていること…それ全部に苛立つ。
俺は若葉のことで必死なのに、若葉は俺がいなくても平気なのかよ。
また怒りに任せて言葉を続けようとしたが、若葉の顔を見ると泣きそうになって俯いていた。そこでまたやってしまったと後悔する。
『…悪い、強く言いすぎた』
「ううん…私が悪いから、本当にごめんなさい」
流石に怒りに任せすぎたと申し訳なく思って謝った。だけど、若葉は自分が悪いと言う。
…そういう子なんだ。
人に優しくて誰にも怒らない、悪いのは全部自分のせいだと自分を責める。そんな心優しい子なんだ。
俺は力強く握っていた腕を離した。このまま繋いでいたら、俺の汚い部分が若葉に移ってしまいそうで急に怖くなった。それからは、無言で学校に向かった。
俺は葉月の鞄を届けるために、学校の玄関で若葉と別れた。その時、若葉はもう一度謝ろうとしていたことに気づかなかった。俺の姿がいなくなるまで、後ろ姿をずっと見ていたなんて…知らなかった。
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