自立

「そろそろ、自立しなさい」

…自立?

「お姉ちゃんからも、恭ちゃんからも自立しなさい。2人が付き合いたくても若葉がいたらできないじゃない。少しずつでいいから離れるの」

…お姉ちゃんから、恭ちゃんから自立をする。

そんなこと今まで考えたこともなかった。そばにはお姉ちゃんや恭ちゃんがいるのが当たり前で離れるなんて、これから先もないと勝手に思っていた。

お母さんの言葉に戸惑い、言葉を失う。そんな私をお母さんは抱きしめてくれ、大丈夫よと繰り返し背中を撫でてくれた。

しばらくして、またご飯の準備を再開した。正直、お母さんの言葉が頭の中から離れなくて、何を話したとか記憶にない。お姉ちゃんが帰ってきて久しぶりに3人で食卓を囲んでご飯を食べた。久しぶりのお母さんにお姉ちゃんもとても喜んでいて、たわいのない話をして家族の時間を過ごした。この時間がずっと続けばいいのにと我儘な私は願ってしまった。


明日も仕事が早いからと、お母さんは早めに寝た。私もお風呂に入って寝る準備をする。自分の部屋でくつろいでいると、ドアをノックしてお姉ちゃんが入って来た。

「ちょっと話がある」

…話?

『今朝は鞄、ごめんなさい』

話があると言われて、私は慌てて謝った。正直、さっきのお母さんの言葉で精一杯になっていて、お姉ちゃんに朝のことを謝るのを忘れていた。迷惑をかけた上に謝らないなんて最低だ…

「そのことはもういいわよ、恭哉に怒られたんでしょう。だから私は怒らないでやってくれって言われた」

恭ちゃん…また胸がチクリと痛み、無性に泣きたくなった。

「今日のことで若葉に振り回されるの嫌だなって思ったの。だから、明日から2人で登校したい」

『え…』

お姉ちゃんは至って真剣な顔をしていた。だから、本気で言っているのは理解できた。

…さっき、お母さんにも言われた。

お姉ちゃんから、恭ちゃんから自立しなさいって。

『そ、そうだよね。いつも邪魔してごめんね…明日から私1人で行くね』

平気なふりをして、無理やり笑った。

…私は、ちゃんと笑えているだろうか?自分では分からないよ。

『明日から早めにアラーム鳴らしてみるね。いつも鳴らしているんだけど起きれなくて…』

「はぁ?アラームセットしてたの?」

『うん、目覚まし時計2つを5分おきに』

「…明日から私が起こしてあげるから。恭哉が来る前に家から出て」

『分かった』

そこで、会話を終わりお姉ちゃんは自分の部屋に戻って行った。ベッドに倒れ込み、両手で涙が溢れ出てくる目を押さえる。

だけど手で押さえきれなくて、我慢していたものが崩壊したように涙が溢れでて枕を濡らした。隣の部屋のお姉ちゃんに聞こえないように息を殺して泣いた。馬鹿で間抜けな私は、やっとこの胸の痛みを認めた。


『恭ちゃんが好き…』


叶わない恋、失恋決定の私の恋。

この気持ちはお姉ちゃんにも恭ちゃんにも気づかれたらいけない。2人が付き合い始めたら、“おめでとう”って笑顔で言わないと…。だから、その日のために今だけは泣くことを許して欲しい。明日からは何もなかったように、いつも通りにする。

だから…


「若葉!いい加減に起きなさい!」

『はいぃ!』

お姉ちゃんの怒鳴り声で目を覚ました。

…そっか、今日からは恭ちゃんじゃないんだった。

昨日は泣きつかれて、いつのまにか寝てしまったみたいだ。また昨日のことを思い出すと涙が出てきそうになる。

『だ、ダメだ。私が泣くのは違う』

自分の頬を叩いて気合を入れると、痛さで涙も引っ込んだ。

『おはよう!』

洗面台に行くと、お姉ちゃんが顔を洗っているところだった。私が起きてもお姉ちゃんの用意が終わっていない。その光景に違和感を感じるけど、いつかは慣れるだろう。

「…アンタ、本当に起きないのね。アラームも煩いし。」

『ご、ごめんね!』

私が謝ると、お姉ちゃんはため息をついて自分の部屋に戻っていった。

私も用意しないと、歯磨きをして顔を洗った。自分の部屋に戻り、髪の毛を…できない。

私は櫛を持って固まる。いつも恭ちゃんが結んでいてくれた髪の毛、私は全くアレンジができない。

…仕方がないか、髪の毛下ろしていこう。

寝癖のついているところに、寝癖戻しをつけてドライヤーで乾かす。

「珍しい、髪の毛下ろすの?」

『う、うん。自分で結べなくて…』

「ハァ…結んであげるからおいで」

お姉ちゃんは優しい。口調は厳しいけど何だかんだ私の面倒をみてくれている。昨日まで恭ちゃんがしてくれていたことを、お姉ちゃんが全部してくれた。

『いってきます』

「いってらっしゃい〜」

いつもより50分も早く家を出た。お姉ちゃんは朝から機嫌が良くて、メイクやヘアアレンジにも気合が入っていた。

…本当に恭ちゃんが好きなんだね

鋭く痛む胸を押さえて、入学して初めて1人で登校した。学校に着くと、朝練をしているクラブはあるけど、まだ登校している生徒は少ない。いつもは注目されている2人の後ろにいたので、こんなに静かな朝は初めてだ。


教室に入ると、やはり誰もいなかった。ホームルームが始まるまで時間がまだまだある。昨日は泣き疲れていつのまにか寝たけど、全然寝た気がしない。

…眠たい

ホームルームが始まるまで寝ようと、私は机にうつ伏せになった。自分が思っていたより身体は睡眠を欲していたのか、すぐに意識を手放した。

「…ぃ、ぉぃ」

ゆさゆさと体が揺れている気がする…が、まだ寝たい。まだ眠れるなと思った私は、再び意識を離そうとする。

「若葉、起きろ!」

『はい!?』

急に怒鳴るような声がして、私は飛び起きた。周りを見るとクラスのみんなが私を見ていた。

…あっ、早く来たから寝てたんだった

「若葉」

『きょ、恭ちゃん?』

恐らく、私を起こしてくれたのは恭ちゃんだろう。目の前にいる恭ちゃんは、昨日に引き続き何故か私の教室に来ている。必然的にクラスのみんなは私達に注目しており、いたたまれない気持になる。

『ご、ごめん。起こしてくれてありがとう。何か忘れ物したの?』

何も話してくれない恭ちゃんに耐えかねて、私は会話を振る。昨日来た時は教科書を貸してって言ってたから今回もそうなのかと思った。

…でも、違ったみたいで、恭ちゃんに睨まれた。

「ちょっと来い。」

『え?ちょ、恭ちゃん?』

恭ちゃんが私の腕を掴み、無理矢理席から立たせた。そのまま引きずられるように教室を後にした。きつく掴まれたところが痛いはずなのに、触れられているところだけが熱を帯びている。

…なんて私は馬鹿なんだろう。

恭ちゃんがどこに向かっているのか分からない。ホームルームを知らせるチャイムが鳴り、私も恭ちゃんも遅刻が決定した。恭ちゃんは気にしていないのか、立ち入り禁止と書かれたドアを躊躇いもなく開けた。

うわぁ…空が近い。

初めて屋上に来た私はここから見える景色に見惚れていると、背後でドアが閉まる音が聞こえた。振り返ると恭ちゃんが逃がさないとでも言うようにドアの鍵を閉めていた。

「朝のなに」

…何で恭ちゃんが怒っているんだろう。お姉ちゃんと2人になれて喜ぶと思っていたのに。

『お姉ちゃんと恭ちゃんから自立しなさいってお母さんに言われちゃった』

アハハと誤魔化すように笑うと、恭ちゃんは鋭く睨んできた。それにビビった私は笑うのをやめて、視線を地面に落とした。

…嘘じゃないもん、本当のことだもん。

ただの勘だけど、お姉ちゃんが別々に登校したいと言ったことは口に出してはいけない気がした。

「それだけか」

『うん、それだけだよ。そろそろ私も自立しないとなって…』

「…チッ、自立なんてしなくていいだろ」

恭ちゃんが舌打ちとともに何かを言ったのは分かったけど、あまりに小さい声で聞き取れなかった。

『へ?今何か言った?』

「別に」

恭ちゃんはため息を吐くとドアの前に腰を下ろした。ホームルームは既に始まっているけど、この調子だと1限目も遅刻してしまいそうだ。退ける様子のない恭ちゃんに、授業をサボったことのない私は焦ってしまう。

『きょ、恭ちゃん。1限目に遅刻しちゃうよ?』

「そーだな」

勇気を振り絞って言ってみたが、恭ちゃんが立ち上がる様子はない。

…授業に出ないつもりなのかな?恭ちゃんの考えが読めなくて混乱する。

「若葉、おいで。髪の毛乱れてる」

『…さっき寝ちゃったからかな』

恭ちゃんに言われて私は自分の髪の毛を見た。正直、乱れているとか私には分からないので、恭ちゃんの前に大人しく腰を下ろした。

『お願いします』

「あぁ」

恭ちゃんは慣れた手つきで髪の毛を解き、綺麗に三つ編みをしてくれる。いつもしてくれていたことなのに、好きだと認めたせいで顔が熱くなる。髪の毛に触る恭ちゃんの手に全神経が集中し、胸が苦しくなった。

…後ろ向きでよかった。こんな赤くなっている顔なんか見せれないよ。

知られてはいけない気持ち。

知られたら幼馴染ですらいられなくなってしまう。自分の気持ちをどう処理していいのか分からなくて、また泣き出してしてしまいそうになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る