十話 豚肉とキャベツの中華炒め

  十話 豚肉とキャベツの中華炒め


 美味しい。

 そう言わせるために作っているのがプロの料理人で。

 毎日のお腹を膨らませるのが、家庭料理だと思っていた。

「その二つに差異はない」

「ど、どうしてですか?」

「マズいもので腹を膨らませようとする人間はいないだろう? よほど困窮してない限りは」

 まぁ、それはそうかもしれないが。

 芳樹さんも割と極論派だよなあ。

「というわけで、僕にも家庭料理をご馳走してほしい」

「えええ……?」

「いいじゃない、いつも通りで」

「いや、穂希さん。めっちゃハードル高いですよ。五つ星ホテルのシェフに家庭料理を振る舞うとかどんなハートしてるのか」

「僕も子供の頃は母親が作った食事を食べていた。問題ないよ」

 いや、緊張する。

 嘉数家には良質な食材がストックされているとはいえ。

 しかし、グダグダしてても仕方がない。

「がっかりしないでくださいよ、芳樹さん」

「ああ」

 ……。

 あくまで、いつも通りだ。

 まずは味噌汁。

 手鍋にお湯を沸かして、顆粒出汁なんてご機嫌なものはなかったから出汁を取る。

 昆布の表面を水拭き、そして切り込みを入れて水から沸騰させる。

 沸騰手前で昆布を外し、そこに花鰹を入れて布で濾す。一番出汁。

 そこに赤味噌を溶き入れ、乾燥ワカメとさいの目に切った豆腐を入れていく。薄揚げも油抜きをしてカット。放り込んだ。

 さて、メイン。

 キャベツを水洗いして角切りに。

 冷凍していた豚肉に塩コショウで下味をつけ、一口大に切る。何でこま切れなんか買ってたんだろう。この家にしては珍しいものだ。

 放置していて出た汁気をキッチンペーパーで拭きとって、準備よし。

 ごま油を少しフライパンに垂らし、豚肉を焼いていく。

 焼き目がついたら、キャベツも入れていく。しんなりするまで。

 べちょべちょになっても食感が悪い。けれども、シャキシャキだとかさが高い。

 中華出汁、醤油、塩、胡椒で味を整え。

 さらに水溶き片栗粉でとろみをつけ、それは出来上がる。

 料理の名前はない。ただ豚肉とキャベツを中華風に炒めただけ。

 それを並べて、俺は穂希さんが淹れてくれたお茶を飲んだ。

 穂希さんは容赦なく箸を進めている。

「美味いわ。おふくろの味よ」

「ふむ……出汁の取り方がいいね。慣れている人だ。どれ」

 まずは味噌汁からいった。

「……」

 無言で、中華風の炒め物をおかずに白米、そして味噌汁を食べ。

 最後にお茶を味わっている。

「……」

「久しぶりだな、こんなに温かい食事を食べたのは」

「え?」

「出汁の強さで塩分を控えた味噌汁、そこに少し塩が効いたこの炒め物。白米に合う。まぁ、僕の方が美味しく作れるが……ちゃんと美味しいよ。見事だ。出す人によってそういうことができるならば、才能がある」

「ま、そうだよね。普通のレストランは全員の美味いのアベレージに近づけるけど、本物なら個人個人によって寄り添う味が違うものだもの」

「おや、その話はしてなかったが、穂希」

「考えれば分かるわよ。この料理を食べて、ワタシ、少し懐かしさも覚えてたし。お父さんの味付けに、少し似てるの」

「……。そうか」

 ええええ……。

 ただの家庭料理なんですけど。

 そりゃ旨味を活かした味付けの方がいいなあなんてぼんやり思っていたが。

「ケイ君、卒業したら僕のところで働かないか?」

「いいいっ!? いや、俺五つ星ホテルなんて自信ないっす!」

「だろうね。だから、忠告だよ」

「?」

「半端な覚悟で、好きだからというくだらない理由の延長上でプロになるのは勧めない。これで食べていきたいと心から思い、これで誰かを養いたいと心の底から願った時。きっと、君から頭を下げてどこかに行く日が来る。……楽しみにしてるよ」

 ……。

 これが、プロなのか。

 自分の技術に対する圧倒的自信。経験から裏付けされたその強固な才能と技術、そして意思を。

 俺はビシビシと肌で感じていた。

 その肌が総毛立つ。

「まぁ、お父さんも好きだからって理由でここまで上り詰めたから、あんまり気にしない事ね」

「こらこら穂希、ばらさないの」

「……。いや」

 そうだよ。

 俺に足りないもの。

 目標がなかった。

 毎日毎日、貴重な日々を消費するだけで。

 俺には確固たる意志もなければ。

 将来に投資する夢もなかった。

 でも、俺は今思った。

 ――ちゃんと自信をもって料理を提供できる。

 そんな人間に、なりたい。

「ありがとうございます、芳樹さん。俺、頑張ります!」

「……。うん、頑張れ」

「ほどほどにね。風船でも何でも、パンパンになったら爆発するわよ」

「うっす!」

 今までは何のために生きているのか、分からなかった。

 ただ栄養が足らんと思って作り始めたメシが。

 ただの家庭料理が。

 何故、こんなに心が躍る――

「……いい顔ね」

 ああ、自分でもわかる。

 今日の夕飯、気合入れていくぞ……!



「?? 今日、お祝いだっけ」

 千佳が首を傾げた。

 そりゃそうだ。

 マグロ、鰤、鯛のお刺身系から。

 厚焼き玉子、きゅうり、カニかまぼこなどの具材。

 更には味付けそぼろまで。

 手巻き寿司の具材が並んでいたのだから。

「景先輩、これは?」

「ん? 俺の個人的なお祝いだ」

「……」

「?」

「先輩、なんだかいい顔してますね!」

「……おう。これ運んでくれ」

「はーい」

 お澄ましを彼女に任せ、俺は最後まで仕込んでいく。

 その日の手巻き寿司は大好評を頂いたが。

「あの、お嫌いなのでは?」

「ダイジョブだって、史峰。俺も喰えるし、普通に美味いとは思えるようになってんだから」

 史峰はこちらを心配しているようだった。

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