六話 肉じゃが
六話 肉じゃが
嫁の技能とは、何か。
花嫁修業において重要視されるのは、基本的に炊事洗濯掃除の三つ。
よくドラマで見る意地悪な継母は窓枠を指でなぞって埃確認したり、嫁の味付けに文句を言ったりしてくれていることが多い。
自分がやったらこうはならないからイライラする、というのは分からないでもないが。
男と遊んで結ばれて、そんな幸せ盛りの、ある種パープリン的なまでに浮ついていたやつの家事全般を信用する方が間抜けだともいえる。
だが、彼女は違う、と思っていたのだ。
思っていたのだが。
「……嫁の必須技能ですか」
「そうだ。分かるだろ、史峰」
「旦那を立てることですか?」
「違う。もっと具体的な話だ」
よくわからない、という彼女も。そのパープリンの一種なのだろうか。
違うと思いたい。
「た、立てるって、まさか……! え、エッチですよ、瀬戸君!」
「エロいのはどう見ても史峰だが。正解は、肉じゃが!」
「……肉じゃが。その、どういう、行為なのか、よくわからないのですが……男子には当たり前の、その、ぷ、ぷれい……」
「そこから離れろマジで。食べる方の肉じゃがだ。史峰がよくご飯にバウンドして口に放り込んでるやつだよ」
「何故、肉じゃがが必須技能に?」
「なんとあの過程で三種類の料理が作れる。しかも、男は絶対にどれかが好きだ」
「どういう料理なんです?」
「カレー、シチュー、肉じゃが」
「ああ……」
「というわけで、今日は肉じゃがでーす。これで史峰のお嫁さんスキルもぐいぐいアップだ」
「あはは、だといいんですけど」
「つーわけで、買い物行ってくる。史峰は夕方の情報番組だろ?」
「は、はい。ごめんなさい」
「いーって。んじゃな」
史峰は意外とテレビっ子だ。暇さえあれば齧りついている。
彼女の夢って何だろうなあ。
そう考えながら、道を行く。
「や!」
「んお、藤堂先輩。どしたんっすか」
「たまには付き合おうかと思って」
「おお。今日おひとり様一パックの99円卵の日なんすよ。是非」
「さすがだねぇ。でも、こんな時間に間に合うの?」
「夕方に一度棚を整理するから。その時に補填されるんだ」
「……。いや、主婦力高いよ。さすがだね! いよっ、オカン!」
「シバき倒すぞ」
「冗談だって! カッコいーカッコいー」
「心がこもってねえ……。まあいっすけど」
この人もなあ。
見た目は清楚な美少女なんだけど。
大体騙されるんだよな、この外見に。
「ん?」
目の前を行くのは、女の子。小学校高学年くらい。
だが、メッチャ不自然な歩き方。右足を引きずるように歩いている。
「はーい、お嬢ちゃん。どしたのどしたの?」
「……ブザーを鳴らしますよ?」
「ってすげえ怪我だ! 馬鹿、この大馬鹿! 助けを求めなさい!」
白いソックスが真っ赤になっていた。とてもショッキングな光景。
「え? え?」
その子を抱え上げる。
意外にもその子は何も言わなかった。
「藤堂先輩、買い物行ってください。はい財布。卵とじゃがいも。じゃがいもはメークイン!」
「は、はぁ、構わないけど。ちゃんと送ってやってね?」
「任せろ」
とりあえず、寮の庭に戻り、水道で傷口を洗う。
「っ……!?」
「染みるか、我慢しろ。この横一直線の傷、側溝に足を落としたな」
「……よくわかりますね」
「俺もやったことあんだよ。いてーよな。よし、ここで俺のリュックの出番よ。ほい、携帯用の消毒液と絆創膏デカいサイズ」
「何でそんなものを……」
「備えあればという」
手当をして、再び彼女をお姫様抱っこする。
「あ、歩けます!」
「馬鹿たれ、さっきまで生まれたての小鹿みたくプルプルしてたろ。いいから、家まで案内させろ」
「……お兄さん、馬鹿ですよね。ワタシが通報すればお縄ですよ」
「見捨てた方が後悔が残る。ほら、言え」
「……右です。次を上」
「飛べと!?」
そういうやり取りをしながら、ようやく彼女の家にたどり着いた。
「……ありがとうございます。お茶をごちそうします」
「いや、そこまではいらん」
「飲んでいってください。さすがにこのまま恩を受けっぱなしでは……」
しっかりした女の子だなあ。
「……その慈しむような視線は何ですか?」
「ん? 可愛いなあと」
「ワタシ、これでも二十なんですけど。お兄さんは大学何年生?」
「あ、いや。え!? 年上!? 俺十六歳……」
「そう。こういう年上もいるの。社会勉強になったでしょ?」
「充分に。じゃあ、ご馳走になろうかな」
「そうして」
「つか、俺大学生に見られてたの?」
「二十代前半かな、って感じ。褒めてるわ、落ち着いてるもの」
「そ、そう……」
すげえ微妙な気分だが。
とりあえず上がり込んで、お湯の沸騰を待つ。
葉っぱから淹れるみたいだ。あの陶製の筒……まさかティーパックではあるまい。いや、別にティーパックでもいいんだけどさ。
「お湯からなんて凝ってるな」
「夕飯も済ませるからついでにね」
「え?」
「じゃん。いいでしょこれ。二百九十八円のところ百九十八円に値下がりしてたカップ麺」
「……お前もか」
「え?」
「お前も栄養を摂らんのかおおん!? 育ち盛り……? かもだろうが! 伸びる身長も伸びねえぞ!」
「土日は両親がいないの。仕方がないでしょう? キッチンを何度も台を乗せ換えるのきついんだし」
「しゃーねえなぁ。待ってろ」
棚を開けて色々確認。
「パスタでいいか?」
「え? う、うん」
「任せろ」
沸かしていたお湯をデカい鍋に入れて、塩を四つまみ。
もう片方では、少量のオリーブオイルに乾燥した鷹の爪を……。
「辛いの平気?」
「辛党よ」
オーケー、タネも身も入れるか。包丁で輪切りにして突っ込んだ。
ニンニクをスライス。冷蔵庫の貯蔵は立派なもので、ちゃんと突っ込んであった。
舞茸を切り、ベーコンを切って、まずベーコンと鷹の爪を炒めていく。
ベーコンが焼けたら舞茸とニンニクを入れる。
ニンニクを焦がさないよう火を通したら、一旦それは火を切って置いていく。
パスタを表示時間より一分早く茹で、茹で汁を少し具材を炒めていたフライパンに。再び火をかけて、乳化させていく。
そしてパスタを投入。よく馴染ませ、味を見る。
……少し薄いか。塩を散らしてもう一度混ぜる。
パスタを茹でる時に使った塩の量で調節するのだが、中々難しい。
まぁ、そういうわけで。
舞茸のペペロンチーノの完成。
「ほら」
「……男の子の手料理……」
「いらんなら捨ててくれ」
男子高校生の料理って中々ハードル高いしな。
「食べるわよ」
仕方なさそうにそれを食べて、彼女は目を見開いた。
「お、美味しい! やるわね」
「ふふん、せやろ」
「……美味しい。ふふっ……」
嬉しそうにそれをあっという間に食してしまった。
「ごちそうになってしまったわね」
「いや、ついカッとなって……」
「あのね、土日は基本的にいないの。だから、たまに……一緒にご飯、食べてくれる?」
「作りに行くよ。見過ごせん。カップ麺なんてお父さん許しませんよ!」
「誰がお父さんよ。むしろ、まるで母親のようね」
「誰がオカンじゃぁぁぁッ!!」
「うわ、びっくりした」
「俺は男子高校生なんですよ……! ナウでヤングでチョベリグな男子高校生なんですよ!」
「今時の男子高校生は昭和退行してるの?」
「というわけだ。俺は瀬戸景」
「嘉数穂希」
「嘉数先輩だな」
「穂希さん」
「……」
「いい?」
「分かったよ、穂希さん。また作りにくるわ」
「楽しみにしてる、ケイ。それと」
「?」
「今度こそ、お茶を飲んでいってね?」
柔らかく微笑む彼女。
……。
「抹茶?」
茶立を行い、泡と濃密な緑の香りが立ち上る。
「ワタシの母、お茶の師範。そして、ワタシは茶道クラブのメンバー。これくらいは」
「ん……おお、まろやかで美味い」
「でしょ。今度は、和菓子を用意しておくわ」
こうして、土日の日課に。
お茶の日が加わった。
さて、料理だ。
史峰は横にいる。彼女に持たせたのは、ピーラーという道具。
皮むき専用の素敵アイテム。どんなやつでもこれで剥ける。
「ピーラーだ。使い方は分かるよな」
「はい。で、この刃の外側についてるわっかの部分は?」
「ここでじゃがいもの芽とかをほじくるんだ」
「じゃがいも、芽が出てたらダメなんですか?」
「毒だからな。気を付けろ。んで、にんじん、じゃがいもを剥き終わったら一口大に切る」
「はい」
「玉ねぎはスライスかくし切り。今回は新玉だから味と食感が分かるくし切りに。糸こんにゃくは三分くらい熱湯で茹でて水にとって適当な長さ」
「なぜ茹でるんですか?」
「臭いから。そのまま入れてみろ、凄いことになるぞ」
「そ、そういうものなんですね」
色々教えながら、下ごしらえは完了だ。
肉に下味を付けるのは毎度のことなので割愛。
今日は牛肉。アメリカ産の安いやつ。
「まず肉と玉ねぎを炒めていくぞ。カレーの場合は玉ねぎから。肉に火が通って玉ねぎが透明になったら、じゃがいもと人参、糸こんにゃくを入れて少し炒める」
「何故でしょう。水を入れてもいいのでは?」
「油を回すことによって、煮崩れを防ぐ意味合いを持つ。よし、そして、水、昆布だしの顆粒、ミリン、酒、濃い口しょうゆを良い感じに投入する」
「い、良い感じにって……」
「比率的にはミリン1:醤油1:酒1。これは万能だから。後は甘みが少なかったら砂糖だな。まず沸騰するまで待つ」
沸騰してきた。
完全に酒が飛んだところで、味見。
「ん、いいだろ。後は蓋をして弱火でコトコト。厚手の鍋ならここで火を止めていい。余熱でいく。この鍋なら、弱火で八分かな」
「なるほど」
「んじゃ、味噌汁は……あー、面倒だな。乾燥麩とわかめでいいか?」
「う、うん」
手鍋に鰹と昆布の顆粒出汁、そして味噌を溶かして味見。よし。そして乾燥麩と乾燥ワカメを入れて、これでオーライ。
「んで、肉じゃががいい頃だな」
「ふわぁぁ……! で、でも、こんなに大量に……」
「明日余ったら、肉じゃがコロッケ」
「瀬戸君は神様です……」
「拝むな拝むな」
そうして並んだ肉じゃがは好評を博し。
翌日のコロッケも、すっかり平らげられてしまった。
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