四話 唐揚げ

  四話 唐揚げ


 人間、好物を食べたいと思うのは至極当然の欲求だ。

 だから好みの店をわざわざ模索して、通い詰める人間もいるというわけで。

 何が言いたいかといえば。

「か、唐揚げ……」

 史峰は真っ赤な顔で俯くのだが、好物を聞くだけでなんでこんなリアクションされるんだろう。

 とりあえず、溜息を吐く。

「そんな恥ずかしがることはないだろ」

「だ、だって! 史峰、お前はいつも揚げ物ばかりだな、とか思ってるし、きっと!」

 それは少し思ってたけど。

 前に史峰がリクエストしたビーフシチューはかなりレアで。

 普段のリクエストは、とんかつ、油淋鶏、牛かつ、コロッケ、メンチカツ、揚げパンなどなど。

 脂質というものは確かに美味しくはある。

 けれどそればかりというのも体に悪い。

 彼女は体調を気にしてもち麦ご飯や野菜たっぷりの味噌汁をお願いしてくる。後納豆も。

 何事もやり過ぎは良くないが、史峰の頻度はいたって普通。

「はいはい、唐揚げな。塩がいい? 醤油がいい?」

「しょ、醤油で……」

「醤油、ニンニクバリバリだろ? 分かってるって」

「……うう、好みが完璧に知られてる……」

「いーじゃん、ニンニク。誰かとキスするような予定はないんだろ?」

「それは、そうですけど」

「んじゃ全然オーケーだろ。ほーら、今日のおやつはドーナツですよー」

「うう、美味しそう……! 揚げ物?」

「ぶっぶー。おからとサツマイモとカボチャを練りこんで焼いたヘルシードーナツだ」

「た、食べてもいいのかな」

「要らんなら俺が食べる」

「た、食べます」

 それを食べる史峰は本当にほにゃんとしている。

 家ではリラックスしてるよな、ホント。

「ほい、紅茶」

「ありがとう。……あ、爽やかだね、香り」

「柑橘系のフレーバーだ。アイスティーが良いっていうんで、冷やしといた」

 そこに藤堂先輩がやってくる。

 いいタイミングで来るなぁ。

「あーっ、おやつ食べてる!」

「食べますか、藤堂先輩」

「貰う。ドーナツドーナツドーナッツー!」

「そも思うわけだが、ドーナツ、なのか、ドーナッツなのか」

「どっちでもいいんでない? あぐっ……あれ、これ揚げてない。もっちりしてる?」

「焼きドーナツです」

「いやー、ホントオカンだよね」

「だからオカン言わないでくださいって先輩。地味に傷ついてるから」

「ま、男にオカンは悪口でしかないか。一応褒めてるんだよ?」

「もっとちゃんと褒めてください」

「いよっ、ナイスガイ、伊達男! 顔だけは素晴らしい!」

「五体満足で部屋に帰れると思うなよテメェコラ」

「ひぃぃぃっ! まなちゃんガード!」

「え、え!?」

「史峰、退かんと貴様のおっぱい揉むぞコラ」

「ど、退きます……」

「ちっ、ドーナツ持って退散だ!」

 二個持っていった。

「甘木に渡しといてください」

「そのつもりー!」

 意外と面倒見がいいんだよな、藤堂先輩。

 なんだかんだ甘木も先輩二人に可愛がられてるし。そもそも、あいつは性格からして可愛がられ系だ。

「さーて、唐揚げかー。肉常温に戻しとくか」

「す、すみません……」

「今更どうした。お前にも手伝ってもらうからな、当然。好物くらい、自分で作れるようになった方がいいだろ?」

「……は、はい! 頑張ります!」

 


 唐揚げと似た料理に竜田揚げなんてものがある。

 どっちも粉まぶして揚げるだけのご機嫌なレシピなんだが、違いは何か。

 俺が今から作る唐揚げは、小麦粉と片栗粉を同量混ぜて粉を作る。

 竜田揚げは片栗粉のみをまぶすことによって出来上がるものを言う。

 けれども、片栗粉のみのやつを唐揚げということもままあるそうで。

「つ、つまり?」

「美味けりゃいいんだよめんどくせえ」

 という実に乱暴な結論に落ち着く。

「下味だ。塩コショウ振って十分放置」

 しました。

「キッチンペーパーで水気を拭いたら、まずは鶏肉の筋を切っていく。これがあると食感がよろしくない」

「は、はい」

「そして開いたもも肉を一口より少しデカいくらいに切る。熱が入ると肉が縮むから、一口大より少し大きいくらい」

「なるほど」

「んで、肉を触った後はちゃんと洗剤で手を洗う。徹底な」

「手を洗う……なるほど……」

 さてと。

 ここまでくれば早い。

「調味料、ぱんぱかぱーん。濃い口しょうゆ、酒を同量。お湯に溶いたメッチャ濃い中華出汁を少し。後はニンニクすりおろしと生姜チューブを適当に入れ、少し揉んで放置」

「あの、何でビニール袋何ですか?」

「そんままゴミ箱に突っ込めるだろ」

「はぁ……?」

「そして、鶏皮も美味いから細切りにして、少し調味液をわけてこっちにも漬け置く。大体二十分から三十分程度」

「一晩寝かせるのは?」

「ありゃ醤油とかの塩気で鶏肉の水分ほぼ逃がすんだ。ジューシーさが無くなっちまうわけよ」

「理由があるんですね」

「おうともさ。さて、ここで脂っこいものが大好きな史峰ちゃんにとっておきのアイテム! ババン!」

「……柚子胡椒?」

「それとマヨネーズ」

「それって、美味しいんですか?」

「完成したらやってみな。七味マヨでもいいけど」

「期待しておきますね」

 苦笑されてしまった。

 まぁいいや。

 その間に、ご飯研いだりキャベツ千切りしたりとやることをやって、いよいよ揚げの工程。

「まず、キッチンペーパーで鶏肉の汁気を拭きます」

「付けた味が逃げていきませんか?」

「染みこんでるので大丈夫だ。むしろ衣が分離しやすくなったりして悲惨なことになるぞ」

「な、なるほど」

「そして、百八十度の油で適当に揚げる。いやー、今時のコンロは便利だ。自動的にその温度まで加熱してくれる機能があるんだから」

「そうですね、便利」

「よしよし。そして、片栗粉と小麦粉……薄力粉な。を半分ずつ使って、混ぜて、塗して、いざピットイン」

 じゅわわー、と肉が揚がっていく。

 続けざまに五個を入れる。入れても六個だ。それ以上は油の温度が酷く下がってしまう。

「淡くきつね色に上がったら取り出す。それを繰り返す」

 今日は草薙さんも来る。六人分の唐揚げを作るのは、ちょっとした手間だ。挙句、油ですぐもたれる人間にこの工程は地獄。夏だとさらにキツイ。

 初夏の陽気を感じるこの頃だが、少し涼しいのが運が向いているなと思う時。

 まぁ、史峰のやつは季節問わず油物食ってるけど。

 最初にプライベートで見かけたのは、肉屋でコロッケ齧ってる時だったな。

 とか考えたら、全部揚げてしまった。

「完成……にしては、焼き色が淡いですね」

「こっからよ。油の温度を二百度にセット。そして、五十秒くらい二度揚げ!」

 一度揚がっているので、先ほどよりは多めに突っ込んでも大丈夫。

 きつね色になったそれは、香しい匂いを放つ。鼻腔にニンニクと醤油のいい香りが抜けていく。

「お、美味しそうです……! 実は大好きなんです、瀬戸君の唐揚げ」

「そう言ってくれると嬉しいけどな。俺の分を一個やろう」

「そ、そんな、悪いです!」

「でも本当は?」

「二個欲しいです……」

「意外に貪欲!?」

「な、何を言わせるんですか何を!」

「いやお前が言ったんじゃん!?」

 滅茶苦茶だった。



 並ぶ食品たち。

 各皿に取り分けられたキャベツの千切りとトマトのサラダ、唐揚げ、茹で卵ハーフ。

 そして、味変に欠かせない物たち。

「柚子胡椒マヨネーズ」史峰はさっき見ているので驚かず。

「七味マヨ」甘木はちょっと涎たれてる。

「スイートチリ」藤堂先輩はうわぁ、という目だ。

「おろしポン酢」草薙先生はなるほど、という顔。

「マスタード……」純一は不思議そうだった。そりゃ普通はからしだもんな。

 総じて、特に変じゃないと思うが。

 各々、まずは味変せずに食べていく。

「ん、うっめ」

「美味しいよ、さすがオカン!」

「喧嘩なら買いますよ、藤堂先輩」

「でも、本当に美味しい……」

「うちのかーさんより料理上手です! 嫁に来てほしい!」

「行くなら婿だろ、甘木よ……」

「あはは。はぁ、やっぱりビールかなぁ!」

 草薙先生はいそいそと冷蔵庫から愛飲のバドちゃんを取り出す。

 明日の朝はシジミの味噌汁になりそうだな。

 この人、弱くはないが飲む加減を知らないから……。

「あ、スイートチリは……悪くない?」

「柚子胡椒マヨネーズ、美味い!」

「おろしポン酢、サッパリしてるなぁ」

 マスタードは人気なかった。

 悲しい。

 悔しいので俺はマスタードを付ける。

 ……。和風なのになぜか香る洋風の風。

 素直に和からしにすりゃよかった。

「要研究だな」

 唐揚げに合うディップか。

 辣子鶏風にピリ辛にしてみるとか? いや、それなら油淋鶏風の方が。

 んんん……よだれ鶏でもいい気がしてきた。

「……」

「どうしたんですか?」

「明日、一番に早起きした奴に唐揚げの余りで作る親子丼を作ってやろう」

「オレが一番だ」

「いいや、私です!」

「わ、わたしもぉ!」

「あたしはいいや。朝からそんなヘヴィーブローはきつい」

「ごっ、ごっ、ごっ、ごっ……ぷっはー!」

 ……。

 結局。

 最初に降りてきたのは甘木だった。

 史峰は朝弱いし、純一は遅れがちなので当然といえば当然だったが。


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