三話 チキン南蛮

  三話 チキン南蛮


 草薙先生が暇になる日は大体決まっていて。

 月曜日と水曜日と金曜日に仕事がなくなるのだそう。

 だから、その月水金はアルバイトを入れている。

 うどん屋。甘夏うどん。

 高校生の娘さんがいる夫婦がやってるうどん屋。

 その娘さんは一個下で、同じく九重学園の生徒。

 甘夏依音。

 夜の開店前。五時三十分に夜営業が始まる。

 その十五分前、俺達は軽い談笑をしていた。

「依音、おまえうどんと蕎麦どっちが好きよ」

「蕎麦」

 なんと蕎麦派だった。

「ふんっ」

「いったぁ!? 何で叩くのよ、父さん!」

「こんのバカ娘が! うどん好きって言えや!」

「好きじゃないしー! 蕎麦の方が香り高くて好きー!」

「はぁ……うどん屋の娘がそれでどうする」

「ここのうどん美味いのになぁ」

「おうおう、瀬戸の坊主は分かってんなぁ! 今日の賄い海老天乗っけていいぞ!」

「やったぜ!」

「もー、瀬戸パイセン甘すぎー」

「いや美味いんだもんここ」

「中坊の頃から通ってくれてたもんな。覚えてるぜぇ?」

「アタシ目当てだったり?」

「それはない」

「経営者の娘に少しは色目使ったら?」

「ま、なりはいいが。他がなぁ……」

「ふーんだ、性格よくて美人なんてどっか欠陥抱えてるもんなの!」

 そう言われ、史峰を真っ先に思い出した。

 あのネーミングセンスはひでえな。この間コロッケにころちゃんズとか付けておきながらソース責めして丸かじりしてたし。

 そういえば、藤堂先輩はどうだろう。頭はいいらしいし、無難なネーミングなのかも。

 分からないといえば、甘木だ。あいつのことはよく走りに行く元気な陸上部くらいしかプロフィール知らんし。

 好きなものくらいは聞いておこう。ハンバーグをリクエストするくらいなんだから、それは好きなんだろうけど。

「……」

「? どした、依音」

「他の女の人のこと考えてるでしょ」

「エスパーかよ」

「ぶーぶー、アタシと話してる時はアタシのこと考えてよね!」

「もうちょい成長したらな」

「またそれ言うー! おっきくなってるって!」

「ミリだろ」

「……見栄の何がいけないと言うの!」

「開き直っただと!?」

「ほれほれ、開店だ。接客は依音、フライヤーは瀬戸、うどんはおれがやる」

 ここのうどんは、注文してから麺を伸ばし、手打ちにする。

 時間はかかるが、ゆであがり、透き通るような白さのうどんの美しさは半端ではない。

 テレビ局も何度も取材が来る鉄板のお店だ。

「ここ、ここマジ美味いの!」

「もー。私夕飯もあるんだよ? て、あれ? 瀬戸君?」

「史峰じゃん。らっしゃっせー。お好きな席にどーぞー」

 とりあえず客もいないので、そこで待機する。

「何にする?」

「ここでバイトしてたんだね、瀬戸君」

「まーな。夕飯もあるだろ、史峰、軽めがいいと思うぞ。今日草薙さんチキン南蛮するって言ってたし」

「……ごくり。あ、ありがと。何が美味しいの? 権藤さん」

「肉ゴボウの大盛りかな」

「じゃあ次来た時それをたのもっかな。今は軽めにしておきます。ワカメうどん並みで」

「肉ゴボウ大盛りで!」

「肉ゴボウ大盛り、ワカメうどん並み、ご注文ありがとうございまーす! オーダー通しまーす! 大盛りと並、お願いしまーす!」

 言いつつ、俺はフライヤーで薄スライスのごぼう天をあげていく。

 液につけそのまま低温のゾーンに落とす。

 上から液をまぶして衣化粧をして仕上げていく。

 そして、高温に入れ替え、サクッとした口触りのごぼう天。

 仕上がったうどんを、依音が持っていく。

「おまちどーさまでーす!」

 湯気が立ち上るうどん。

 さっそく、二人は手を合わせていた。

 豪快に吸い込む音が聞こえる。権藤さんだろう。史峰と外食をしたことはないが、家でうどんを出しても静かに食べている。

「……美味しい」

「でしょ。ここ開店時間に飛び込まないと、すぐに埋まっちゃうんだ」

 テクテクと依音が戻ってくる。

「何あの美少女。瀬戸パイセンの知り合い?」

「ああ、同じ寮なんだ」

「ほへえ……むらむらしない?」

「いやするけど。さすがにそんな露骨な視線は向けてない」

「もっと男らしくいこう!」

「多分逮捕される」

「パイセンの中の男らしいってどういう……いや、いいや。ろくでもないことだろうし」

 八割正解だ。

「ちなみに、女の子が喜ぶセリフあるよ。これで好感度ぐいぐいアップ!」

「マジでか、そんな虎の巻が。教えてくれ」

「『そこの彼女、俺で妥協しない?』」

「え!? 寂しくね!?」

「成功したら妥協した幸せが訪れるよ!」

「いや嬉しくねーわ。告るんならクールに決めてやるぜ」

「やってみなよくそ童貞」

「何だとくそビッチがコラ!」

「アタシ清いもんねー、処女の中の処女だもんねー!」

「ああそうかい」

 とりあえず、彼女の細い顎を持ち上げる。

「え……!?」

「ずっと言えなかったんだけど……その……いうぞ」

「……」

「……」

「…………」

「お前胸ちいせえな」

「は?」

「ぺったんぺったん」

「おい、パイセン。なんで今のムーヴでその答え出てきたんだよ」

「テヘペロ!」

「こ、このー! この、バーカ、ばーかばぁーか! 乙女の純情弄ぶやつは死ねばいいんだ!」

「残念でしたー、ボクはしにましぇーん」

「その似てもないし侮辱してるようなもの真似はやめてっつの!」

「やかましいぞお前ら!」

「すみません、お宅の娘さんが粗相してしまって……」

「パイセンも同罪でしょーが!」

 げんこつ。

「店内で騒ぐな、いいな」

「「はい……」」

 俺達は黙々と働いたんだ。

 前述したと思うが、俺は基本揚げ物をメインにしている。

 熱い調理場で最も過酷ともいえる。

 カッコつけて倒れてもアホらしいので、塩分補給タブレットを噛みながら揚げていく。

 ちくわ店、鶏天、舞茸天、カボチャ天、ナス天、ごぼう天がメジャーどころ。

 淡々とメニューを捌いていき。

 やがて夜も更けていった。



 今日は客足が伸びなかった。

 ノルマは達成しているけど、麺とスープが余ったということで貰ってきた。

 明日は土曜日。昼に食べてしまおう。

 寮に帰り、リビングに行く。

 藤堂先輩と草薙先生がテレビを見ていた。

「やっ! おかえり」

「ただいま。なに見てんですか?」

「誰でもできる簡単ホットヨガ講座!」

「やるの?」

「「ううん、見てるだけ」」

 なるほど。

「チキン南蛮、冷蔵庫に置いてあるよ!」

「あざーっす!」

 うどんも賄いで食ってきたが、晩飯も食べる。

 男子高校生は大体腹ペコだ。

 とりだして温めていく。

「よーし」

 タルタルソースをかけて、その上から七味を掛けていく。

 ご飯よーし、サラダよーし、チキン南蛮よーし、味噌汁もよーし。

 いざ。

「ん、美味いっす、草薙先生! 鶏肉やーらけえ」

「ありがと。でも、もう瀬戸くんの方が上手じゃないかなー」

「どうだろう。ただ言えるのは、このチキン南蛮は美味い! ってことっす」

「もう、上手なんだから」

 苦笑して、彼女の視線はテレビに戻っていった。

 俺も食べながらそれを眺める。

 なんということはない。誰でもできる運動をさも痩せるということに主眼を置かせてやらせるだけのあれだ。

 実際に試してみても体重はそんなに変わらない。

 そのために、効果の出やすいデブな芸人や一般人を揃えるのだ。

 なんせ、デブのグラムは誤差という名言もある。

 何事にも、見極める力というのは大事なことだ。

「ねえねえ、明日はワタシもご飯一緒に食べちゃダメ?」

「だめ」

「……そうだよね。こんな三十代ババアの言うことなんて聞いてくれないよね……!?」

「え、あ、いや、今のはじょうだ――」

「言わなくていい、言わなくていいよぉ! わかってるもん、この年になっても孫の顔を見せてやれない。家族で唯一ワタシだけが結婚してない! 兄さんも姉さんも妹でさえも結婚しているというのに! ワタシもう叔母さんなのに!! どうしてぇ!? なんで結婚できないのぉ!? ガキっぽいから!? 容姿がメスガキだからぁ!?」

「お、落ち着いて、センセ! だ、大丈夫だから、若いから! 瀬戸も冗談言うのやめなさいってば! 何とかして!」

「樹里。落ち着いて」

「うわ、王子モードだ」

 説明しよう。

 王子モードとは、俺が気障な自分になって甘い言葉をささやく状態のことを言う。

「せ、瀬戸くん……?」

「樹里は綺麗で、可愛いんだよ。きっと、君が宝石みたいだから、誰もが傷つけたり汚したりできないんだ」

「ほ、宝石……!」

「そう。樹里はさしずめ翡翠かな。その高貴で落ち着いた輝きは、まさに至宝と呼ぶにふさわしい。自信を持ってくれ、樹里。君は綺麗だ。何よりも美しい」

「え、えへへ……そうかな、そうかなぁ?」

「ものごっつ単純だー……」

 藤堂先輩は「うわぁ」という顔をしていた。

 俺も何やってんだろうと軽く死にたくなったが、とりあえず丸く収めるべく、話を誘導する。

「そんな素敵な先生が食卓に加わらないなんてありえないよ。明日、一緒に食べよう。みんな、先生を待ってるよ?」

「うん! 行くぅ! えへへ、るんたった、るんたった、ワタシは宝石~! お・ひ・め・さ・ま~!」

「……」

 去っていく草薙先生を眺めて、俺と藤堂先輩は溜息を吐いた。

「迂闊だよ。反省して、瀬戸」

「つい意地悪したくなるんですよ」

「いや、分からないでもないよ。でも、時折、あの人同級生みたいに馴染んでるからビビる」

「まぁ、可愛いからよし!」

「ざっくりまとめたね」

 いや、可愛いじゃん。

 ちょっとネガティブだけど。

 ……。

 いや、ちょっとなのか?

 とりあえず俺は洗い物をして、風呂に入る。

「くっはー」

 四十二度設定のお湯が沁みるぜぇ。

「……」

 何か、忘れてるような。

 まぁいいや。そんな大したことじゃないし。

 ん? 脱衣所に影。純一だろう。帰ってきてたのか。

 俺もちょうど上がるところだった。

「おーっす、純一。あがった……ぞ……」

「……あ……」

 甘木……?

 小柄な体、無くはない胸、くびれはあるが少しぽこっと出たお腹。

 スポーツ系の下着に包まれて、今下着を脱ごうとしていたところだった。

 なんというか、その。

「ありがたや、ありがたや……」

「拝まれました!?」

「すまん、とっさに本音が……」

「人の裸を見て咄嗟に拝む人間なんていないと思うんですけど!?」

「は? 裸じゃないだろ。下着姿だ」

「同じようなものです!」

「じゃあ裸になれよ」

「いやに決まってるじゃないですか!」

「ほら対応が違う」

「あ、相変わらず口だけは達者ですね……!」

「パシャ」

「?」

「脳細胞に録画した」

「消してください!」

「分類はロリのフォルダだ」

「アダルトな魅力を放っているわたしがロリ!? まさか、そんなぁ!?」

「いや、割とマジですまん。でも、男子入浴中の掛札を――あ」

 忘れてたのってこれか。

 いやー、うっかりうっかり。

「忘れてましたね……?」

「つか、何ではいろうとしてるんだよ。人がいるってわかっときながら」

「藤堂先輩なら歓迎してくれますし、史峰先輩も嫌がりませんから。お風呂で話すの楽しいんですよ」

「そういうもんか」

「……いい加減出ていってください。瀬戸先輩はエッチだけどそこまでゲス野郎じゃないのは分かってますけど、さすがに、その。恋人じゃないのに、これは……」

「恋人になったら見せてくれるの?」

「い、いいですから出ていって!」

 追い出されてしまった。

「おーい、せめて下着取らせてくれー」

「わたしがお風呂に入るまで待っててください!」

「はー……ったく」

 しゃーねーな。

「……あ、あばばば……」

「? げっ、史峰!」

「は、はだ、裸……!? な、何で!? なんで裸で脱衣所の前で仁王立ちしてるの!?」

「いや、これには事情が……おーい、まだか甘木!」

「もういいですよー! さっさと取って退散してください!」

「と、取る?」

「下着だよ」

「!?!?!?!?!? あ、甘木ちゃん、ダメ! 男の人に下着を渡すなんて、ダメです!」

「いや、下着は俺のなんだけど」

「甘木ちゃんの下着を私物化しないでください!」

「いやだから俺のなんですけど!?」

 結局、俺は湯冷めしてしまった。

 風邪ひかなかったからオーライにするか。

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