第8.5話 知識の精霊

「そうか、そいつは一日中災難だったな」

 ホークスは学園から帰宅した後、食堂でネブロに文字を教わりながら今日あった入学式での出来事を話していた。

「ええほんとに。おかげで学園生活は楽しく送れそうですけどね」

「何よりだ。私も文字を教えてやってる甲斐があるってもんだ」

 食堂には二人のほか、ウララ、ネーテ、エマ、そしてマルネの四人も集まり、皆で明日の予習をしていた。

「にしても、マルネの部屋が隣だったとはなあ。ごめんな、昨日の夜とかうるさかったろ。なんせネブロさんが無茶苦茶するもんだから」

「お前のせいだろうが! 私だってあんなことしたくなかったっての。ドアは結局修復魔法で私が直さざるを得なかったしさ。夜中にやらされる人の身にもなってみろってんだ」

 相変わらず調子に乗っているホークスの耳をつねりながら悪態をつく。その様子を見ながらマルネは愛想笑いをするしかなかった。

「あ、あはは。どんな人が入ったのかちょっと怖かったけど、ホークスが良い人そうで良かったです」

「良い人「そう」は余計だろ」

 すると、教科書を一通り読み終えたウララが向かいの席からちゃちゃを入れ始める。

「どうかなあ。悪い人では無いしそんなことする度胸も甲斐性も無いけど、良い人かって言うとなあ」

「あら、ホークス様は良い人ですわ! わたくしが保証いたします!」

「うぅぅ、ネーテ……お前さんって子は……」

 人を困らせるのが大好きなウララに対し、咄嗟に庇ってくれるネーテには感動すらしてしまう。しかし彼にそんな暇はなかった。ネブロの優しくも厳しい授業が続く。

「さあホークス。よそ見してないでさっさと書きまくれ。文字を手っ取り早く覚えるには書くしかない」

「へーい」

 しかし軽く返事はしたものの、文字の習得はちょっとやそっとで出来そうになかった。基本は英字とほぼ同じ26文字なのだが、言わばこれが平仮名やカタカナに該当。そこに更に「鈴」や「木」のような一文字で意味を成す漢字の概念の文字も入ってくる。とりあえず自分の名前くらいは書けるようになったが、教科書や参考資料を難なく読めるようになるのにあとどのくらいかかる のか、今は想像もしたくなかった。

「……こいつは前途多難だぜ……あ、そうだ。

 文字を簡単に覚えられる魔法って何か無いのか?」

 それを聞いて、ウララがまたバカにするように見下してくる。

「あんたねえ。いくら魔法って言ったって、どこぞの未来の世界の秘密道具じゃないんだから、そんな都合の良いものは――」

「有るには有るりますよ」

「え゛?!」

 マルネの言葉に一番驚いたのはウララだった。首席で卒業したというネブロもこれは知らなかったようで、ちょっと驚いている。

「そうなのか?」

「はい。正確には知識を得る魔法です。ただ、覚えられる量や質は本人の魔力に起因する所が大きいらしくて、僕が使ってみてもせいぜい百科事典一冊分程度でした」

「さすが天才少年。十分凄いじゃないか! マルネ、是非その魔法を俺にも教えてくれ!」

「構いませんよ。古い文献に載っていた、魔法陣を使ったアナログな物なのですが……」

 そう言うと紙に魔法陣を書いて見せる。ホークス以外の人間も気になるようで、じっと覗き込んだ。

「これを……そうですね、中心の円の中に一人立てるだけの大きさで書いて、自分が得たいと思った知識をなるべく詳細に思い描きます。今回のホークスなら、文字を一通り覚えたいとかそんな感じで」

「ふむふむ」

「そして杖を手に取り、後はこの部分にもう片方の手をついて「知の精霊よ応えよ。我は欲する者なり。術者の名に於いて命ずる。知識よ、我と共にあれ。知識開放リ・ベリオ・デ・ジオ」と呪文を唱えるんです」

「え、それだけ?」

「はい。ただ古い上にどうやら実験途中の魔法だったようであまり安定しておらず、人によっては知識の断片だけ少し付与される程度だったり。

 最悪、精霊に逆に吸い取られるかも」

 ネーテとエマは顔を見合わせる。

「そう聞くと恐ろしいですわ。一般に普及しなかった理由が何となくわかった気がしますもの」

「ですね。地道に勉強するのが一番、ということでしょうか」

 しかしホークスは違った。自身には溢れんばかりの魔力が備わっており、確実に成功すると信じて疑わない。魔法陣が描かれた紙を手にして立ち上がる。

「面白そうじゃん。ちょっと裏庭で試して来るわ」

「あ、おいホークス!」

 ネブロの声も届かず、布で包まれた杖を持ってさっさと食堂を出て行ってしまった。

「ったく……ま、無くなりそうな知識もあいつには無さそうだし、大丈夫かもな」

 ふと言ったネブロの意見に、残された全員の意見が合致する。

「確かに」


 宿舎の裏庭に着いたホークスは早速土の地面に魔法陣を描き、マルネに言われた通り中心に立って杖を左手に持ち、その場で跪く。そして右手を着くと、それだけで魔法陣はうっすらと光始めた。

「す、凄い……ここに立っただけなのに……何かもう、力みたいなのを感じる……これが魔法陣なのか……」

 胎動する魔力が周囲を取り囲むように揺らめき、彼の衣服や髪の毛をゆらゆらと揺らす。

 皆も興味本位でやって来ると、事の成り行きを静かに見守ることにした。

 マルネが、首を横に振る。

「僕の時と明らかに様子が違う……これがホークスの魔力。既に溢れ出しているじゃないですか」

 ネブロは食堂の明かりを消したりしていて少し遅れてやってきた。

「だろうな。知識の精霊はもっと静寂な空間を好むと聞く。これはどう見ても”騒がしい”状態だろう」

 エマも一応確認のために尋ねた。

「魔法陣を書き間違えてるとか?」

「それも大丈夫みたいです」

 この中で一番ホークスの身を案じているネーテは落ち着かない様子だった。

「ままま、まさか知識が吸い取られてしまいますの?!」

「おそらくそのような類では無いと信じていますが、何分詳しいデータが無いので僕も何とも……」

「ホークス様……!」

 一方、ホークスも引けない状態なのだと認識していた。逆にここで止めるとそれこそ知識を持って行かれそうだとさえ思った。もうやるしかない。ゆっくりと深呼吸をすると静かに呪文を唱え始める。

「……知の精霊よ応えよ。我は欲する者なり。ホークス・フォウ・ベリンバーの名に於いて命ずる。知識よ、我と共にあれ! 知識開放リ・ベリオ・デ・ジオ!!」

 そして最後の言葉を放った瞬間だった。

 これまで胎動していただけの魔法陣が嵐のようにけたたましくうなり声を上げる。

 周囲を魔力の風が駆け巡り、チカチカとまばゆい光をほとばしらせてゆく。


 やがて光はホークスの頭に次々と吸い込まれて行き、ひときわ強く輝いたかと思えばあっという間に周囲は静かになった。

 動かなくなったホークスに、マルネが恐る恐る近づく。

「ほ、ホークス、大丈夫ですか……?」

 だが、近づいて肩に手で触れる前にホークスは倒れてしまった。

「!!」

 誰よりも早くネブロが前に出る。

「いかん! 限定空間転移リミ・ガクト・ランシーロ!」

 そう呪文を唱えた瞬間、ホークスの体は淡い光に包まれてどこかへと消えてしまった。


 ホークスが目を覚ました時、彼は自身の部屋のベッドの上にいた。体に傷などは特になく、どこにも痛みも何も無い。

 あれからどれくらい気絶していたのだろうか。傍らには椅子に座り、ベッドに突っ伏して寝ているネブロの姿があった。

 ゆっくりと上半身を起き上がらせると、頭に乗せられていた濡れタオルがポトリと落ちる。

「……気絶してたのか、俺……

 ネブロさん……また調子に乗っちゃって世話になったのか。悪いことしたな」

「気が付いた?」

 そう声をかけてきたのは、ネブロではなくウララだった。手にした鍵開けくんでまた勝手に入ってきたらしい。

「ウララ……」

「ネブロさんが、皆は先に帰って寝てろって言ってね。ま、彼女も看病したりで疲れて寝ちゃったみたいだけど」

「俺、どのくらい寝てたんだ?」

「十時間くらい? もうすぐ夜明けよ」

「なんてこった」

「それで、文字は覚えられたのかしら?」

「あ、ああ。たぶん分かると思う」

「あなたの魔力量なら全部の文字くらい余裕で覚えられると思うけど、どのくらいを思い描いて呪文を?」

「……それがその、文字だけじゃなくこの世界の人々が持ち得る知識全てを……って」

「あっきれた。バっカじゃないの?」

「ああ、返す言葉もねえよ。

 文字はそこそこ覚えられたと思うけど、他はそんなに得られなかったみたいだ」

「でしょうね。むしろ全部の知識なんて入れようもんなら、その頭粒子レベルで粉々に吹っ飛んでたわよ?

 恐らく、最悪の事態になる前にあんた自身の魔力がバリアになって暴発を防いだのね」

「え、マジでか?!」

「大マジ。そうね、人間の脳の容量なんてせいぜい千テラバイト程度が関の山。対してこの世の情報量なんて、それこそ軽く見積もっても無量大数テラバイト近くあるわけよ。

 もちろん私も把握してるわけじゃないし、出来ないけど。それ以上と考えて全然オッケーなレベル。って言えば少しは理解できるかしら?」

「……少しも想像できないんですけど……桁が違いすぎるだろ」

「何はともあれ、死ななくてよかったわね」

「あ、ちなみになんだけど、俺がこの世界の言葉話せたりしてるのって」

「当然私のおかげね。転生の際にちょっと脳をいじらせて貰ったわ。

 さすがに言語習得からとか悠長な事言ってられないからねえ」

「ちょっとコンビニ行ってくる感覚で人の脳を――」

 文句を言おうとしてやめた。ああそうだ、人の命なんて何とも思ってなかったなこの人は、と。

「ごめんごめん。でも楽だったでしょ?

 あ、私からも。一つ質問良い?」

「何だ?」

「当然全部じゃないとしても、いくらかの知識は得たんでしょ?

 何か他に分かったことってあるの?」

「ああ、有るぞ。

 ウララさんは最近一キロ痩せて、更にスリーサイズは上から86――むぐぅ?!」

 と言いかけたところを、ウララは馬乗りになって思いっきり両手で口を塞いだ。

「あ゛ー! あ゛ー! あ゛ー! あ゛ーーっ!! ななな、何でそんな情報を?!

 ていうか、知識の精霊何してくれとんじゃー!!

 むしろそんな知識望んどったのかキサマ―!!」

「む、むぐぅっ!」

「ぎゃー! もうお嫁に行けないー!! 死ねー! 死んで詫びろお!!」

 口だけではなく鼻も塞ぎ、まったく呼吸ができなくなってしまう!

「ぐ、むぐぐぅっ!!!」

 徐々にホークスの顔が死を覚悟し蒼くなっていく。

「もうこんな頭フッ飛ばして、未来永劫そんな知識消し去ってしまえぇぇぇ!!!」

「む……ぐ……がくり」

 そしてまた気を失うホークス。

「ふぅ、やれやれ」

「やれやれ、じゃねえよ!」

「?!」

 一連の騒ぎでネブロが起きないわけは無かった。普段から寝起きは機嫌が悪く、今はそれに輪をかけて怒りが心頭していた。

「ネ、ネブロしゃん……?」

「痴話喧嘩ならよそでやれやー!!」


 ドゴォオォオン! と頭に強烈な一撃を貰ったウララは、そのままホークスのベッドの上でグロッキーしてしまい、完全に意識が飛んでしまう。

 ネブロは両手をパンパンとはたき、大きくあくびをするとたばこを咥えて部屋を出ていこうとしてホークスの方を振り替えった。

「……ったく、あんまり心配かけさせるんじゃねえよ。でも、無事で良かったぜ。

 さぁて、部屋に戻ってもうひと眠りすっかな」

 そう言い残して去っていく。


 一方そのころ、隣の部屋では両目に涙を貯めたマルネが、ガチガチと歯を鳴らしながら怯えていた。

「ややや、やっぱりホークスと友達になるのはやめた方がいいのかなあ……おかあさーん……」

 連日の轟音に、ちょっとだけメンタルがやられかけているのであった――。

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