夏至の魔王は第一宇宙速度で


 魔王はその身に纏う空間すらも禍々しい。どす黒く澱み、忌まわしい虚像が歪んで見える。


「よくぞここまで来た。貴様こそ勇者にふさわしい」


 この魔王の居城に至るまで、何人の挑戦者が脱落したことか。それは険しい道のりだった。だがしかし、この旅には命を賭けて挑むだけの価値があった。魔王の心のようにどす黒い野望があった。


「勇者よ。何を望む?」


 魔王は問う。


「世界の半分をおまえにやろう。この魔王とともに世界を支配したくはないか?」


 勇者は魔王の前で試される。清く正しい心を持つ者は正義の剣を振るう。しかし魔王の誘いに乗る者があれば、世界は分断され、第二、第三の魔王が誕生する儀式が行われる。

 ここに新たな魔王が生まれた。世界の半分を受け取った勇者がいたのだ。世界の半分を、高高度の上空の世界を。


「世界の半分って、上半分かーいっ!」




 夏の青はより濃く流れて、夏の緑はより深く生い茂る。水の妖怪、河童が棲むとされる清流は坂道を転がるように水の流れが早い。澄んだ水がキラキラと太陽の虚像を映しては流れている。


「入道雲って竜の巣なんでしょ」


 少年は川面に崩れる波紋を見送った。小石で水切りに挑戦したが、投げられた石は小さな水飛沫を上げて澄んだ川底に沈んでしまった。波紋はすぐに消えて、少年は惜しそうに青空を見上げる。川の流れの延長上、入道雲が輝いて見えた。

 VRMMORPG『インターシヴィル』に湧き立つ雲は白く眩しい。全感覚支配型VR技術によって再現される世界観は、プレイヤーの視聴感覚をより刺激するために水流はより青々しく植物はより深く緑に、鮮明な色を使いこなす。


「入道雲って美味そうだよな。キンキンに冷えてたら最高じゃねえか」


 緑が色濃い河原で足元の小石を探しながら、河童のような鮮やかなグリーンのジャージ姿の男が答えた。


「どうせカキ氷とかソフトクリームみたいだって言うんでしょ?」


 竜の巣というファンタジー風味の表現が逆に子供っぽかったか。少年は一言言い返してやった。


「ビールの泡に決まってんだろ」


「竜が酔っ払っちゃうよ」


 少年はさらに一言突っ返して、つと腕を水平に伸ばした。人差し指をぴんと立てて、遥か遠く入道雲の高さを数える。ひとつ、ふたつと人差し指を上へ上へ継ぎ足して、もうもうと盛り上がる入道雲を仰ぎ見る。

 夏至の日、太陽は少年の真上にあった。


「一万二千メートルってとこかな」


「すげえな。雲の高さ測れるんだ。あれで一万二千か。俺が目指すのは二万五千だ」


「頑張れば行けるんじゃない?」


「バカ言うな。二万五千もジャンプできねえからみんな諦めてんだ。それとな、俺は河童じゃねえ。第四魔王だ」


 グリーンジャージは自らを第四だと名乗った。少年はそれを聞いてあからさまにがっかりして見せる。


「ああ、やっぱりね。そんな気はしてた」


「そんな気って、どっちだ?」


「河童じゃないって方。河童は夏至の日周辺しか現れないレアエンティティなんだよ」


 最新のニュースでは魔王ならたしか第七魔王まで誕生していたはずだ。今さら第四魔王なんて珍しくも何ともない。レアリティで言えば河童の方が数段上を行く。

 そりゃあ悪かったな、と第四魔王は頭を軽く下げた。

 夏至の河童を探す少年は、青い川で水切りをする第四魔王と出会った。




 相変わらず太陽はわざとらしく真上に居座って、ギラギラと夏の始まりを告げている。空の青さも増しているように思えた。自己顕示欲の強い太陽のせいで植物はますます緑がかって、地に落ちる影も切り取ったように真っ黒で、そのコントラストが夏っぽさをより一層印象深く突き刺してくる。


「なんで入道雲よりも高くジャンプしたいの?」


「おうよ。見てろ」


 水切りってのはこうやるんだ、と言うように第四魔王は手頃な小石を手に取った。平べったくて、滑らかな表面を持ち、指の引っかかりも良さげな扁平した小石。

 少年に自慢げに見せつけてから両足を揃えて川岸ギリギリに立ち、ふうとひと呼吸。一度だけ入道雲を見やって、投球フォームに入った。

 川から見てサイドに構えて体を折り畳んで膝を上げる。頭は目標地点の川面を睨んだままだ。倒れるように足を踏み込んで腕を大きく横に振るう。手は地面すれすれ。指は小石の歪んだ部分に引っかけて、回転力を与えるように腕をしならせる。


「おりゃ!」


 第四魔王は川面に向かって低い弾道で小石を投げた。

 気合いの抜けた掛け声ととも放たれた小石は、鋭い回転を与えられて空を切る。

 川面に触れる。

 きらめく水飛沫。

 波を立てずに水に跳ねる。

 水を叩く硬めのチップ音が響く。

 小石が川に触れる。二度目。

 回転は弱まらない。

 水面を蹴る。

 跳ねる。

 飛ぶ。

 蹴る。

 跳ねる。

 飛ぶ。

 跳ねる。

 跳ねる。

 跳ね。

 跳。


「どうよ! 十二ってところか?」


「十九回! ラストの追い込みすごいよ! さすが第四魔王!」


「十九? よく数えたな」


 少年は少年らしく跳び上がってはしゃいだ。第四魔王は魔王らしく胸を張って川を流れゆく波紋の群れを指差した。


「あんな状況なんだ。第二の奴は」


「第二魔王が?」


「最初に魔王と出会った記念すべきプレイヤーは、魔王から世界の半分をもらった」


 キラキラと夏至の太陽を反射させる川面は水切りの波紋をすべて流して飲み込んだ。それでも第四魔王は胸を張り続ける。


「「インターシヴィル』の上半分、上空二万五千から成層圏五万までな」


「魔王の御褒美だね」


 少年は今度は自分の番だと自分用の小石を探しながら言った。


「水切りと原理は同じだ。空気層に弾かれるように跳ねて、あいつは未だに成層圏を高速で水切り中だ。もう還ってこれないんだ」


 理想的な小石を求める少年の手が止まった。魔王は魔王の元にたどり着いたプレイヤーに莫大なゲーム内資産と特定スキル報酬を与える。それが『世界の半分』だ。第二魔王は高さの半分をもらった。では、ここにいる第四魔王はどうなんだ。


「じゃあ、第四魔王のおじさんはどんな『世界の半分』をもらったの?」


 少年は川面を指差したままの第四魔王に問う。ここにもゲーム運営陣の罠に嵌ったプレイヤーがいる。


「俺は冬至から夏至の間までチートし放題だ。その代償に夏至から冬至まではステータス最低。何にもできねえ」


 第四魔王が背中を丸めた。膝を抱えるように屈み、夏至の太陽を見上げて睨む。

 少年はその背中に寂しげに言う。


「……夏至までってことは、今日だね」


「ああ。この夏至の日まで、うんとチートしまくった。時間が半分になっちまった第三魔王に二倍の速さで動ける方法を学んだし、第五魔王に重力コントロールの仕方も教えてもらった」


 第三魔王は時間を半分もらった。その結果、人の二倍速く動けるようになったが、寿命は半分。第五魔王は重力が半分になった。身体は軽いが、運動エネルギーを半分しか発揮できない。


「どうする気?」


 しっかりとしゃがんで濃い青空の一点、夏至の太陽を見据える第四魔王は軽い口調で返事する。まるで散歩に誘うかのように。


「今度は世界の半分なんていらねえ。魔王をぶちのめしてやるために、ちょっと第二魔王に会ってくるよ。あいつの力が必要なんだ」


 第二魔王は成層圏の際を衛星軌道上の人工衛星のように飛んでいる。正確には地上へ落下し続けているが分厚い空気の層に跳ね返されて上空に留まっている状態だ。


「会えるといいね」


 少年は手を振った。別れの挨拶のつもりではなく、応援するよと心を込めて。


「夏至の今日まで力を溜めまくったんだ。きっと会えるさ」


 第四魔王は笑顔で言った。


「じゃあな、少年。第一宇宙速度で跳んでやるぜ」


 遥か上空、濃く青いキャンバスに光点が一つ走っている。とてもゆっくりと落ちる流れ星のように。眩しく盛り上がる入道雲を跳び越えるように。成層圏を落ち続ける第二魔王だ。


「おりゃ!」


 水切りの時と同じ少し気合いの抜けた掛け声で第四魔王は跳んだ。

 まず空気が爆ぜた。

 一瞬で空間から移動したせいで第四魔王の身体があった部分の空気密度が異常に薄くなり地上に雲が湧いた。

 風が巻く。反時計回りの上昇気流が生まれて、雲と砂埃を巻き込んで一直線に青空へと立ち昇る。

 次に衝撃波が膨らむ。

 地を這う薄いもやが砂を吹き飛ばし、水を弾けさせ、爆発的に膨張する。少年は第四魔王がかけてくれた対衝撃魔法の効果で無影響だ。

 川の水までもが弾け飛んで、川底が露わになる。ごろごろと大きな石が転がり、ぴちぴちと魚が跳ねている。何か、いる。

 少年は川底に河童を見つけた。水を消し飛ばした衝撃波で無様にひっくり返り、無防備に白い腹を覗かせている。今なら無抵抗でゲットできるだろう。

 第四魔王のおかげで千載一遇のチャンス到来だ。

 少年はインベントリからシリコン玉を取り出してサイドスローの投球フォームに構えた。さっき第四魔王の投げ方を見て覚えた投擲スキルだ。


「おりゃ!」


 投げ方と同時に掛け声も学んだ。要点は力を抜くことだ。




 ある夏至の日、ゲームアーカイブに『河童の捕獲』と『成層圏までジャンプ』という二つのレアな実績解除が記録された。

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