オスカーの浮遊惑星


 人類絶滅まで残り二十年。


 正確には人類の絶滅が始まるまで、約二十年。


 それが、宇宙を漂流する浮遊惑星が地球軌道に漂着するまでの人類に残された時間だ。


 絶滅まで二十年。生まれたばかりの赤子が逞しい青年に成長するまでの時間。長いか、それとも短いか。それは人類すべてに問いかけられた哲学問題のようだ。




 絶滅を約束された人類はささやかな抵抗を試みる。浮遊惑星の強制テラフォーミングだ。先遣隊が浮遊惑星に着陸して二年が経とうとしていた。




 浮遊惑星にも海があった。惑星の月軌道を極小サイズの恒星が周回し、その核融合エネルギーは外宇宙でも惑星表面を温めていた。地表の平均気温は20度。海水温は24度に達する。


 テラフォーミング先遣隊の一人、外気に触れないよう与圧服を装備したテルヒコは忌々しく月軌道の極小太陽を仰いだ。


 あの小さな毒太陽さえなければ、この開放的なビーチで水着に着替えて泳げたというのに。


「テル、サボってないで、サンプルを集めてよ」


 ペアを組んでいる調査隊員ユーナギが惚けるテルヒコに声をかける。与圧服のブーツで海水を蹴り上げ、ヘルメットにぶちまけてやる。


 この息が詰まるヘルメットさえなければ、まさしく南の島のビーチで波をかけあってはしゃぐカップルだというのに。


「見てよ、このシオマネキ」


 ユーナギは一匹の大きな甲殻類を捕獲した。テラフォーミングの一環で移植した地球産の生物群はこの浮遊惑星の環境に適応して新たな生態系を構築していた。


「立派なハサミ。シオマネキって言ったら、普通は片手だけ巨大なハサミでしょ?」


 そのシオマネキは、両手に肥大したハサミを誇示していた。自分を捕獲した人類に対して威嚇するように両手の巨大なハサミを振り上げる。


牡型おすがたシオマネキね」


 テルヒコもそう言って、砂浜を走り波から逃れようとするシオマネキを捕まえた。やはり両手に巨大なハサミを持っている。テルヒコの与圧グローブを何とか挟みちぎろうとするが、敵う相手ではない。


「ここら一帯の生物は、みんな牡型に変化したようね」


 すべて毒太陽のせいだ。


 月軌道を周回する極小恒星は核融合反応で地表に熱エネルギーを届けてくれる。そしてそれ以外にも生物にとって厄介なエネルギーを送ってきていた。環境ホルモンによく似た波長の電波エネルギーは生物を牡型に変化成長させる。


 すべての生き物が牡になるのだ。


 それは地球軌道でも例外ではない。浮遊惑星が地球軌道に漂着し、地球に最接近した場合、極小恒星の熱エネルギーは地球の平均気温を五度上昇させる。そして環境ホルモン型電波エネルギーが生物の遺伝子を破壊して、すべての生命体が牡型に変化成長するだろう。


 未だに環境ホルモン型電波エネルギーの解析は成されていない。このまま地球に最接近すれば人類の絶滅はもはや決定事項だ。


「でも、牡同士でも、何故か子が産まれるのよね」


 テルヒコが巨大なハサミを二刀流で振り回すシオマネキの腹部を観察した。そこにはたっぷりと卵が格納されていた。


 牡型の特徴である肥大化したハサミを二刀流で操るくせに、牝型の特徴である妊娠産卵をするシオマネキ。雌雄同体とは別物で、言わば牡と牝の二刀流だ。


「放っておいてもいいかもね。この星、けっこう居心地いいし。人類みんなでこの星に移住しちゃえばいいのよ」


 ユーナギがヘルメットを脱いだ。潮風が髪をさらう。陽の光が心地いい。


「コラ。許可なくヘルメットを脱いじゃダメよ。規則違反だからね」


 テルヒコがぷりぷりと怒って言う。いつもこれだ。ユーナギは規則は破るためにあると思っている。


「いいじゃないの。あんたも脱ぎな」


 ユーナギがテルヒコを波打ち際に誘う。シオマネキたちもまるで二人を歓迎するかのように二本のハサミを振りかざした。


「しょうがないわね」


 浮遊惑星の大気は地球のそれとよく似ていた。アルゴン分子が若干多めでたまにスパークが走るようだが、短期間の呼吸なら健康状態に何ら問題ない。


 テルヒコもヘルメットを脱ぎ、素肌を浮遊惑星の極小太陽の光に晒した。


 毒太陽の環境ホルモン型電波エネルギーは先遣隊調査隊員の身体をすでに蝕んでいた。


「周りがみんなオトコの子になっちゃうんでしょ。それってパラダイスよ。パラダイス浮遊惑星で決まりね」


 テルヒコは野太い声で身をくねらせた。


 人類を、そしてすべての生命を牡型に変える浮遊惑星にまだ名前は付けられていない。テルヒコによりパラダイス浮遊惑星と命名されたその星は、テルヒコの鍛え上げられた身も心も牡型によって受胎させられる牡型に変化させていた。


「パラダイス? あんたみたいなゴツいオトコがマッチョなオトコと二刀流で妊娠する世界なんて地獄絵図そのものでしょ」


 ユーナギは整った顔の細い顎に生え始めたヒゲを撫でた。オンナ顔でありながら顎髭を生やす。憧れていた顔にようやく近付いた。


「細身の男の娘が華奢な少年とBL展開し放題な訳でしょ。BL浮遊惑星に決まってんじゃないの」


 ユーナギにBL浮遊惑星と名付けられた星はもともと牝型であるユーナギを確実に牡型へと変化させていた。ユーナギの望む所だ。


「パラダイス浮遊惑星が牡型なら、この宇宙のどこかに牝型化浮遊惑星もあるのかもしれないわね」


「BL浮遊惑星とペアとなる星? たしかに軌道を交差させる夫婦星めおとぼしなんて聞いたことあるね」


 テルヒコはシオマネキを波際に離してやった。大きなハサミの二刀流の甲殻類は一度ハサミを振り上げて威嚇し、すぐさま近くにいたもう一匹のシオマネキへと歩いていく。


「この星、地球に浮気しに来たんじゃない? 牝型星もノンケ星も守備範囲が広いのよ」


「だとしたら厄介な星に目をつけられたものね、地球も」


 波打ち際にしゃがみ込み、求愛のダンスを踊り始めた牡同士のシオマネキをうっとりとした目で見つめるユーナギ。


両刀使にとうりゅういの星か。この星ってまさか宇宙規模で巨大な生き物だったりして」


「それはそれでロマンだわ」


「生命を牡型に変える惑星レベルの巨大生物。雄化の浮遊惑星。たしかに宇宙のロマンね」


雄化おすかか」


雄化おすかね」




   オスカーの浮遊惑星   おわり

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