第55話歪み(朱明視点)

 何をさせられるかと思えば、人に悪さをする念の塊を駆除することとは。下位の魔の大群を日々相手にしている俺にとっては、まるで子供の遊びだ。魔の世の内情を人間にわざわざ教えるようなことはしないが、物足りないにも程がある。


 道端に蹲るそいつをゲシゲシと脚で踏みつける。八つ当たりだ、分かっている。




『神久地家は、言霊を尊ぶ。だから私は軽々しく嘘をつかない。そして真実思うことは真実のままに口に乗せる』だと?ほざくな!


 何が『僕の自慢の美しい従魔』だ!


 飼っている動物でも自慢するように言われて喜ぶと思うか?


 いちいち弄ぶような言葉を選んで俺を玩具にして楽しんでいるのだ。真実しか言わないという口で、自分は男だと偽っているのだ。信じるものか。




 念の塊に丁寧に語り掛ける葵の横顔を見れば、もう女にしか見えない。癖の少ない艶やかな黒髪に白く柔らかそうな頬、意志の強さを感じる細く曲線を描く眉、星を閉じ込めたような闇色の瞳は、実は間近で見れば黒と見紛う程に濃い青だと既に知っている。




 こんな姿で男だとよく偽れたものだ。先入観が聞いて呆れる。




「いい加減覚悟を決めなよ。僕が君に殺されるか、寿命で死ぬまで君は僕から離れられないんだ」




 塊を消し去った後、葵は不吉な予言の如く断定してみせた。




「途中で契約術を解いたらいいだろう」


「それは無理かな」




 解術について何か聞き出せないかと問うてみたが、あっけらかんと返された。






「なぜだ!?」


「君のこと割と好きだからね。離したくないんだ」




 執着めいた言葉に戸惑う。


 死ぬまで俺を手放さないとは、どういう気持ちで言っているのか訳が分からない。どうせ俺でなくても良かったのだろうに、葵が女と知れてから更に言葉の真意が掴めなくなった。




 葵という人間が分からない。偽った生き方、人からかけ離れた特殊な能力、家族との関係、それらが葵を歪ませているのだろうと推測はできた。


 哀れな娘だ。




 自室で庭を眺める彼女には、決められた生き方しか求められていない。確かに俺にも果たさねばならない義務はあるが、この女ほど縛られているわけではない。


 スイッと肩を押せば、簡単に転がってしまう頼りない身体を組伏せれば目が合う。






「う!?んんっ」


「………………どうすれば自由になれるか考えていた」




 口を押さえれば、何のことはない。抵抗らしきものもできない弱い人間だ。




「言霊がどうとか言っていたな?つまり、おまえの声を封じれば俺が従わされるようなことはない」


「んん」




 左手で俺を突っぱねるようにするが、殆ど力を感じない。喋れなければ唯の人の女に過ぎない。




「いい気味だな、葵。傷付けることはできなくても、おまえに報復はできるぞ。クックックッ、どうしてやろうか」


「…………………………」




 ようやく仕返しができると思うと気分が良い。




「俺が与えられた屈辱を、おまえも味わうがいい。そうだな、まずは服を全て剥ぎ取って庭の木に逆さで吊るし上げてやるか」


「んんーー!!」




 案の定慌てふためく葵を眺めて、苛めたくなってきた。




 思わせ振りに襟の合わせに手を掛けると、息を呑んだ彼女だったが直ぐに力を抜いて、左手を畳に投げてしまった。




「もう降参か。術が使えなければ大したこともないな」




 泣くだろうか?いつも偉そうな葵が、涙を流すところを見てみたい。


 屈服させてみたい。


 嗜虐心を燻らせて意地悪く嗤っていたら、葵は俺をじっと見上げてきた。




「身ぐるみ剥がされてもいいのか?なぜ抵抗しない?」


「………………………………」




 抵抗する彼女を期待していたというのに、開き直ったのか大人しくなった。




「…………契約術を解けば、許してやる」




 このまま服を引き裂いてやろうと思うのに、なぜか躊躇う。口を塞がれたままの葵の長い吐息を掌に感じた。




 ふるふると首を振られて、自分が何をしたいのかさえ曖昧になってきた。




 訝しむように一度小首を傾げる仕草をした葵が、頬を掠める俺の髪へと目を向けた。自由な方の手をゆるりと伸ばして、毛先を指に絡める。




「あお、い」




 眩しげに目を細めた彼女が、満足そうに笑んだ。まるで良い物を与えられたとばかりの表情に、胸が疼いた。


 チリチリと自分の中の何かが焼かれるような感覚は、唐突に湧いた。




 無意識に口を塞いでいた手を外すと、薄薔薇色の唇が動いて名を呼ぶ。




 頬に触れると、ピクリと葵は身動ぎして目を瞬かせた。柔らかくしっとりした肌をしている。


 撫で付けるように指を耳まで辿らせると、堪えきれないといったふうに葵が目をギュッと瞑って叫んだ。




「そこまで!水羽、お願い」




 ザバアッと後頭部から水を被り、我に帰った俺は自分が信じられなかった。




 血迷ったとしか思えない。よりにもよって………


 俺は一瞬、葵を乞うたのだ。


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